結界切り

文字数 2,359文字




 エルガがソフィヤの部屋に入ってきた。

 表情はぼんやりとしている。

 町の長に呼びだされ、衝撃的な事実を教えられたからだ。

 明日は急いで、城にむかわなくてはならない。

「どうしよう……」

 ソフィヤがいつも寝るベッドに座る。

 棚に置かれてある、ぬいぐるみを手に取る。

 それを抱きしめると、顔を埋めた。

 妹の匂いが、愛らしさと懐かしさを思い出させる。

「ソフィヤ……」

 考えがまとまらない。どうしていいか、わからない。思考がハエのようにブンブン唸る中、耳に雷音が入ってきた。

「大雨がくるのかしら?」

 窓を見ると、赤い光が入ってきている。さすがに不安な気持ちになり、窓辺に立った。

「空が、赤い」

 窓を開けて、空を眺める。

 黒い雲が町を覆い、青白い光が波のように走っている。

 つい、城の方角を見てみると、何かが飛んでいた。

「あれは……」

 それは鳥ではなかった。





 アゲハはカンタロウの左腕を持つと、大空を飛んでいた。

 赤眼化し、背には水神の翼をはばたかせている。

 体力の消耗が激しいのか、アゲハは息切れを起こし、

「カンタロウ君! 重いんですけどっ!」

「我慢しろ。もうすぐ結界だ」

「結界まで行って何する気?」

「時間がない。とにかく早くしてくれ」

 地上から一千メートルぐらいまできただろうか。

 神脈結界の中心点が見えてきた。そこは、虹色の渦が、渦巻いている。

「すごい、結界に虹の渦ができてる。こんなの始めて見た」

「もうすぐだな」

 アゲハとカンタロウは、結界の表面に近づいてきた。

 カンタロウの右目が赤く染まる。赤眼化したのだ。

 すぐ近くで、轟音が鳴った。

「雲が近づいてくる! あんな中に入ったら、すぐに焼け焦げちゃう!」

「ここでいい。俺をあそこまで放り投げろ」

「簡単に言うよね! この仕事終わったら、なんかおごってよ!」

「了解」

「ふんっ!」

 アゲハはカンタロウを持つ手に力を込めると、空中でグルグル振り回した。

 遠心力を利用し、カンタロウを結界まで放り投げる気なのだ。

 赤眼化の力と、水神の魔法を利用し、うまく形にはまった。

「よっしゃ、行ってこい!」

 アゲハは、おもいっきりカンタロウを投げる。

 カンタロウは空中でも、冷静に刀の鞘を握った。風の抵抗を小さくするため、腰を下ろす。

 目は水平に、結界を見据え、手を柄にそえる。

 赤い結界が、目の前にまで近づいてきた。

「はっ!」

 カンタロウは、一気に刀を抜き、大きくなぎ払う。

 刀で切られた結界は、横線に割れていった。そこから波及し、ガラスのようなヒビが入り、形が崩れ、次々と蒸発していく。

「そんな、結界を切るなんて」

 アゲハはあぜんとした。

 普通ではあり得ないことだ。

 神脈結界を剣で切れば、すぐに元に戻ってしまう。形が崩れることはあっても、壊れることはない。

「アゲハ! 回収してくれ!」

 地上に急降下している、カンタロウが叫んだ。

「はっ、あっ、はいっ!」

 アゲハは慌てて、カンタロウを追いかけた。

 カンタロウはアゲハにむかって、手を伸ばす。

 アゲハはカンタロウの手を、しっかりとつかみ、

「ふう、すごいじゃん、カンタロウ君!」

「そうか?」

「どこでそんな技、覚えたの?」

「父からだ。あの人から、教わった」

 カンタロウの表情に、寂しげな影が走った。

「そう……」

 アゲハはそれ以上、何も聞かなかった。

 破られた結界から、雲が吸い込まれていき、四散していく。

 しばらくすると、雷音はやみ、またいつもの夜空へと戻っていった。





「結界を切るなんて、すごいな。カンタロウ」

 城では、カインが仰向けに、空の様子を眺めていた。

 吸収式神脈装置も、トリップを起こし、機械を強制停止させたようだ。起動するには、時間がかかる。

 カインは立ち上がると、気絶しているソフィヤを、優しげに見つめた。

「ソフィヤ、クシギ、ミユ、ヒバリ、リズ。僕は間違っていたのかもしれない。だけど、君達と一緒にいるときだけ、僕は人間でいられた」

 城に招待した女性達の名をあげると、屋上の端にむかう。

「もう人間を捨ててしまったけど、後悔はない。君達が奇跡の人となれば、道を開けると思ったけど、あいつのようにもしかすると、別の道があるのかもしれない」

 カインは端に立つと、夜空を見上げた。

 下から冷たい風が、足下を揺らす。

 何もない闇が、カインを待ち構えるように、両腕を広げる。

「だけど、もう僕には道がない。もう人でないのだから――」

 カインは目を閉じた。そこにあったのは、さらなる闇だった。

「待て!」

 カンタロウがカインの行動に気づいて、叫ぶ。アゲハとともに、屋上に帰ってきたのだ。

 カインは何かを思い出したのか、楽しそうに笑うと、闇の中へと飛び上がった。

「くっ!」

 カンタロウは赤眼化し、すさまじい速さで走ると、落ちていくカインの手をつかんだ。

 全身を使って、その場に踏ん張る。それでも力が足りず、体が宙に放りだされた。

「ちょっと! カンタロウ君?」

 アゲハがジャンプし、カンタロウの腕をつかんだ。そこで、カインの落下を防ぐことができた。

 アゲハは二人分の命を、その手に託された。

「……どうして僕を、助けるんだい?」

 闇だけを見つめていたカインは、カンタロウを見上げた。

「さあな。どうしてこんなことをしたのか、聞きたかったからかもな」

 カインを持つ手が震える。

 何度も赤眼化し、体力を消耗したアゲハも、辛そうに顔を歪ませた。

 カインは高揚のない笑みを見せる。

「……変わらないね。カンタロウ。君は立派に成長した。僕と違って」

「どういうことだ?」

「わからないか。そうだろうな。僕だよカンタロウ――ルウだ」

 カンタロウの記憶が、ルウという名に反応して、大きな科学反応を起こした。黒い瞳を全開にして、カインを見つめる。

 カインは力なく笑っていた。
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