アゲハ、反省

文字数 3,589文字

 カンタロウ達は宿屋で部屋をとると、それぞれの個室に入っていった。

 都市だけあって、宿場が多く、お客を入れる余裕はある。

 予算は、ツバメがすべてだしてくれるので、カンタロウとアゲハは遠慮なく個人部屋をとっていた。

 カンタロウは部屋に入ると、刀を置き、ベッドの上で膝を抱えた。

 窓の外から、船跡のような雲が、五つ続いている。

 ぼんやり眺めていた。遠い母のことを想っているのだろう。

 そんな様子を、アゲハ、マリア、ツバメは、ドアの隙間から眺めていた。

 カンタロウは、ドアに鍵をかけることすら忘れているようだ。部屋からため息が聞こえてくる。

「カンタロウっち。ベッドで膝抱えてるよ。あれで仕事は大丈夫なのかい?」

 ツバメは目を細くし、カンタロウの様子を、ドアの隙間から見守っている。その下には、アゲハとマリアが、見つめていた。

「よし、わかった。私が元気づけてあげるよ」

「どうするんですか?」

「カンタロウ君の好きなことをさせてあげるんだよ。そうすれば、元気になるはず」

「好きなこと?」

 アゲハは自信あり気にそう言うと、ドアを開け、カンタロウの元へと歩んでいく。

 そして、耳元で何かを囁いた。コクコクと小さくうなずいている。

 しかし、カンタロウは首を横に振るだけで、アゲハの提案を飲まずにいるようだ。

 アゲハは諦め、マリアとツバメの元に帰ってきた。

 アゲハは悪戯して怒られた子供のように、口を少し尖らせ、

「ああもう、駄目だった」

「何を言ったんだい?」

 気になったので、ツバメが内容を聞いてみた。

 アゲハは首を横に振り、

「うん。マリアの乳輪て、ヒナゲシみたいに大きいから、吸わせてもらえば、って、言った」

「えっ? ええっ?」

 マリアは驚愕し、目を見開いた。

「なんだって! どうしてそれを早く、あたしに言わないんだい! マリア!」

 なぜかマリアを責めるツバメ。

「あなたになんか、言うわけないでしょ! それよりも、何てこと言うんですかっ!」

 マリアは涙目になり、アゲハにむかって怒りを爆発させる。

「いけないの?」

「アゲハさんの、アゲハさんの馬鹿! もう知りません!」

 顔を真っ赤にし、両目から涙を流すと、マリアはその場から走り去った。部屋に入ると、大きな音をたててドアを閉める。

「あっ……マリア」

 さすがのアゲハも、マリアの涙を見てほぞをかんだようだ。顔つきに後悔の色が見える。

「あ~あ、泣かしちまったね」

「……どうしてマリア、泣くの?」

 アゲハにとっては、決してふざけたわけではなく、カンタロウを勇気づけようとして言ったことだった。

 マリアを傷つけるつもりもなかった。

 幼少の頃から同年齢と遊んだ経験がないため、人間関係の距離感をよく理解していないのだ。

「そりゃ自分の恥部を、好きな男に知られたら、恥ずかしいに決まってるさね。あたしは平気なんだけどね。まっ、仕方ない。こうなったら、あたしのでカンタロウっちを慰めてやろう」

 ツバメはごそごそと、自分の胸をまさぐっている。

「やめろ。カンタロウ君。お前の黒い乳首なんて見たら、生死をさまよっちゃうだろ」

 アゲハは冷たく言い放った。

 「まだあたしの乳首はピンクだよ!」ツバメは一応反論した。

「話は聞かせてもらったぞ」

 ぬっと、カンタロウが二人の前に姿をあらわした。

「うわっ!」

「いつの間に!」

 アゲハとツバメは立ちすくんだ。

「今のはアゲハが悪い。後で謝っとけ」

 カンタロウの叱責に、アゲハはむっとした表情になる。

「どうしてよ」

「マリアが泣いてるだろ? 理由はそれだけで十分だと思うぞ?」

 カンタロウにそれを言われると弱い。

 アゲハは視線を下に落とし、

「うっ、うん……」

「俺が仲介してやるから。ちゃんと謝っておけ」

「……わかった」

 アゲハはカンタロウから目をそらしたが、一応承諾した。

 カンタロウは、マリアの部屋の前に立つと、ドアをノックし、

「マリア。カンタロウだ。入っていいか?」

「……どうぞ」

「失礼する」

「…………」

 部屋に入ると、マリアはベッドに座っており、カンタロウからは後ろをむいていた。

 後ろから見ても、目を手でこすっているのがわかる。

 さっきまで泣いていたのだ。

 カンタロウはマリアにむかって後ろをむくと、ベッドに腰を下ろし、

「悪かった。アゲハのこと。俺は何も気にしていないから、許してやってくれ」

「…………」

 マリアは何も答えない。

 カンタロウは話を続け、

「アゲハも悪気があって、言ったわけじゃないと思う。あいつなりの気遣いなんだろう。ただ、まだ人の気持ちを考えるのが、下手なんだろうと思う。だから……」

「どうして、カンタロウさんが謝るんですか? アゲハさんのことをよく知ってるみたいですね」

 マリアの声は、低く、かすれていた。

「……そうだな。なんでだろうな。アゲハとは一緒に戦った仲間だから、それで庇いたいんだろうと思う」

「アゲハさんには、気を許しているんですか?」

「そうかもな。なぜかは説明できないけど。あいつと組んで、悪い気はしない。俺の背中を預けられる」

「私とはどうですか?」

「えっ?」

「私に、あなたの背中を預けることはできますか?」

「……できるよ。頼りにしてる。マリアがいないと、アゲハとツバメの暴走を止められないからな」

「……ふふっ」

 カンタロウとマリアは、少しだけ笑い合った。

「だからマリア。許してあげてくれ」

「……わかりました。もう気にしてません。それにカンタロウ様には、下着も見られましたし」

 釣瓶の国へむかう途中、かずら橋を渡ったときのことを言っているのだろう。マリアはまだ覚えていた。

「俺は見てないぞ」

 カンタロウは事実、本当に見ていないので、即否定する。

「アゲハさんが羨ましいです。私、内気な自分が嫌い。あんなに積極的に、行動できない。もし私がアゲハさんだったら、もっと――カンタロウ様のそばにいるのに」

「…………」

 マリアの言葉に、カンタロウは何も答えられない。

 マリアはベッドから、カンタロウに少しだけ、背中を寄せ、

「カンタロウ様、私……」

「すまない、マリア。俺は母さんしか愛してないんだ。母さんは、俺のせいで両目を失った。だから、ずっとそばにいるって誓ったんだ。だから……」

 カンタロウの言葉が止まった。背中に、マリアの手が置かれてある。細い指使いが、背中から伝わってきた。

「言わないで。カンタロウ様の一番大切な人。私はちゃんと、知ってますから」

 マリアはカンタロウの事情を、アゲハから聞いてよく知っていた。

 ヒナゲシのことも、そしてコウタロウのことも。

 事情を知ったうえで、カンタロウと一緒に旅をしているのだ。

「それに――まだ私はあなたの彼女じゃないですよ。調子に乗らないでください」

 マリアはカンタロウの背中を、軽く押した。

 アゲハが言いそうな台詞だった。

 カンタロウは小さく笑い、

「そうだった。悪い。調子に乗ったな」

「そうですよ。まだこれからです」

「ああ、すまん」

 カンタロウはベッドから立ち上がると、ドアの前までむかった。

「さてと……」

 カンタロウはゆっくりと、ドアを開けた。

 アゲハが立っていた。手をモジモジさせていて、落ち着きがない。

「あっ……」

 マリアがアゲハの存在に気づいた。

「あっ、あのさ……マリア、ごめんね。ひどいこと言った、つもりはなかったんだけどさ」

「まだ反省が足らないな。ほらっ!」

 カンタロウはアゲハの両脇を持ち上げると、天井近くで揺らした。

 お父さんが娘をあやしているような格好だ。

 カンタロウはアゲハを見上げながら、

「ほらアゲハ、今どんな気分だ?」

「すごい屈辱的です……ごめんなさい」

 アゲハは虚脱し、手足をぶらぶらさせている。本気で反省しているようだ。

「ふふっ、もういいですよ。下ろしてあげてください」

 マリアはクスクス笑うと、アゲハを許してあげた。

「よしっと」

 カンタロウはアゲハを、ゆっくりと床へ下ろす。

「はぁ……もう! カンタロウ君のために、マリアの」

「よっと」

 アゲハが言いたいことを言おうとした瞬間、またカンタロウによって持ち上げられた。

「……すみません」

 捨てられた子犬のように、カンタロウに持ち上げられると、アゲハはまた大人しくなった。

「もう、お二人とも、面白いですね」

 マリアは機嫌良く、微笑みを絶やさなかった。

 ドアのすぐ近くでは、ツバメが腕を組んで、三人の様子を聞いていた。口元には笑みを浮かべている。

 ――やれやれ。仲良くなったみたいじゃないか。それにしても、やっぱりあのアゲハって子。あたしの好みだよ。

 顔立ちや声、アゲハのすべてが、ツバメにとって好みの対象だった。

 彼女を見ていると、どうしても興奮が押さえられない。

 体の芯が熱くなってくる。

 ツバメは胸をまさぐり、

 ――絶対隙があったら、喰っちゃお。

 赤い舌をだし、ペロリと艶やかな唇を舐めた。
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