鉄人

文字数 5,769文字

 四人は森の中に入り、奥へと進んでいた。

 研究所へ続く道は、まだなんとか雑草に隠されておらず、かろうじて見える。

 冷たい風が森の枝をそよがせ、草花を揺らした。

 気温の低下に、鳥や動物達の活動が悪くなっているためか、鳴き声や物音が聞こえなくなっていた。

 森では、壊れた柵や家屋にあるような家具が、草むらや土に埋まっている。

 枝にも藁や縄が引っかかっていた。

 結界の中に、信者達の家や農場があったのだろう。

「そろっと行くんだよ。北西に研究所はあるらしいからね。ゴーストエコーズに見つかったらやっかいだ」

 ツバメは道に咲く野草を踏み潰しながら、周りの警戒を怠らない。

「無理だ。奴等の縄張りに入れば、すぐに神獣を召還してくる」

 カンタロウは首を振る。

 ゴーストエコーズの縄張りは、目に見える所にはない。

 いつ神獣を召還され、攻撃されるかはわからない。

「だから慎重に行くんだよ」

「まあまあ。私に任せろ」

 アゲハが、ツバメとカンタロウの間に入ってきた。

「何か考えがあるのかい?」

「アゲハはエコーズの臭いがわかるらしいんだ」

 カンタロウがアゲハの特殊能力を、ツバメに教える。

 正確には、エコーズのみの気配がわかるだけなのだが、詳しくはカンタロウも知らなかった。

 ツバメは感心し、

「さすが獣人だね。頼りにしてるよ」

「あいよ」

 アゲハは三人の前にでていくと、体の神経を集中させた。

 マリアはカンタロウの隣に近づくと、横顔をチラリと覗く。

 カンタロウは真剣な表情をしているが、そこにはまだ余裕が感じられた。

 マリアの手が、ググッと握り締められた。

 ――神様ごめんなさい。私に嘘をつかさせてください。

 マリアは緊張からか、呼吸が荒くなり、頬が赤く染まっていく。

 不謹慎な考えは押さえるべきなのだろうが、シオンを奪還するまでが勝負だ。

 ここでチャンスを逃せば、二度とこんな状況は訪れない。

 マリアは唾を飲み込み、

「カンタロウ様。そのっ、腕を、腕を貸していただけませんか?」

「どうした?」

 マリアの緊張で震えた声に、カンタロウは少し驚いた。

「怖いので……あの……駄目ですよね」

 チラチラと、下からマリアが視線を送ってくる。表情を見ると、緊張と不安があらわれていた。

 カンタロウは、マリアの言うことを信じた。マリアが、自分に恋しているとは、夢にも思っていなかった。

「いいよ」

「ありがとうございます」

 マリアは必死で、嬉しくて叫びたい気持ちを抑え、カンタロウの腕を取った。

「大丈夫か?」

「はい。平気です。かなり落ち着きました」

「そうか。よかった」

 何も知らないカンタロウは、安堵の表情をマリアに見せた。

 マリアはその顔から、自分は受け入れられていると思い、身を腕に寄せ、

 ――細いけど、固くて強い腕……すごく幸せ。

 頬を腕にくっつかせ、胸に寄せる。

 カンタロウの匂いが鼻孔に入ると、精神が安定していくのがわかる。

 マリアにとって、初めての経験だった。

 ツバメはマリアの上気し、恍惚とした表情に、細い視線をむけ、

 ――おいおいマリア。やめてほしいねぇ。あたしゃお前にだけは、手をだしたくないんだから。

 ツバメはマリアに、何か苦言を言おうか悩んだが、自分の言葉が恋する者に受け入れられるとは思えない。

 自分に対するマリアの信頼度は、ゼロに等しい。

 ツバメはアゲハを焚きつけることにし、

「なあ、マリアを止めないのかい?」

「どうして? カンタロウ君にくっついてるだけじゃん」

 アゲハはすでに、マリアの行動に気づいているようだ。その気がないように、振る舞っている。

 ツバメはさらにつっこみ、

「お前はアレを見て、何とも思わないのかい?」

「別に」

 アゲハの声は明らかに、不機嫌そのものだった。

 ――一人は素直で、もう一人は全然素直じゃないよ。顔にモロでてるし。

 ツバメは困ったように、頭をポリポリかいた。

「ねえツバメ」

 突然、アゲハがツバメの名前を呼んだ。

「あん?」

 ツバメはぞんざいな返事を返す。

「どうしてマリアってさ。カンタロウ君とくっつこうとするの?」

「へっ? 好きだからじゃないのかい?」

 アゲハの変な質問に、ツバメは目をパチクリさせる。

「そっか、マリア。カンタロウ君のこと、好きって言ってたもんね。でもなんで、好きならくっつくの?」

「おいおい。お前は恋愛偏差値初等部だね。そりゃ、好きな人に触れられたら、女は喜ぶもんなのさ」

「えっ、そうなの?」

「そうさ。アゲハはカンタロウに、触れたいと思わないのかい?」

「う~ん。触れたいと思う」

 アゲハはツバメに正直な気持ちを話した。

「なら好きなんじゃないかい?」

「ええっ、そうだったの? 私、何とも思わないけど? それに私はすでに、出会って一分でふられたぞ」

 初めてカンタロウと出会ったアダマスという都市で、アゲハは即行でふられていた。

 ふられた理由は、カンタロウがマザコンだからだ。

 母しか愛していないと、いまだ耳に残っている。

「ふられた? ……じゃ、逆に言うけど。あたしに触れられたらどう思う?」

「剣で刺したいと思う」

「そうだろ。嫌いな人にはそう思うだろ。ということは、好きな人には、触れたいと思ってるってことさね。って、ちょっとひどくない? あたしはアゲハのこと、大事にするよ?」

 ツバメはアゲハに嫌われていることがわかり、少し泣きそうだった。

 ――う~ん。わかんないや。好きって、どんな気持ちなんだろ?

 アゲハはツバメの言葉が耳に入らず、好きという感情について考えていた。

 ツバメとアゲハの後ろで、カンタロウは森に目を光らせていた。

 森は静寂に包まれ、何の音もしてこない。

 この静けさが、逆に不安をかき立てる。

 ――……変だ。森がやけに静かだ。本当にゴーストエコーズがいるのか?

 カンタロウの歩みが止まった。何かの気配を感じたからだ。

「どうかしました? カンタロウ様?」

 カンタロウの腕を持つ、マリアがいち早く、変化に気づいた。

 ――すごい汗?

 マリアの手に、カンタロウの汗が流れた。

 腕から、体温が急上昇していることがわかる。

 カンタロウの呼吸も、薄く、浅くなっていた。

「うっ!」

 その刹那、アゲハが地面に座り込んだ。

「うん? おいおい、いったいどうしたんだ……!」

 ツバメがすごい形相で、後ろを振りむいた。

 マリアだけ三人の変化に追いつけず、オロオロし、

「ツバメさん? アゲハさん? カンタロウ様も……いったいどうした……」

「ツバメ! アゲハを頼む!」

「えっ? きゃっ!」

 カンタロウは両手で、素早くマリアを持ち上げると、森の木の影に隠れた。

 マリアは成されるがまま、抱き抱えられ、木の影でカンタロウと密着する。

「アゲハ! あたしにつかまりなっ!」

 ツバメはアゲハを背負うと、同じく森の木の影に隠れた。

「かっ、カンタロウ様……あっ、あの……いったい何が……」

「しっ!」

 カンタロウはマリアに人差し指を、口に当てた。

「えっ?」

 マリアがカンタロウの顔を覗くと、額からいくつもの汗が流れている。

 相当緊張しているのだ。

 マリアはようやく異様な殺意と圧力感を感じることができた。

 ――何? この体が押しつぶされるような威圧感……何かが来る。

 マリアが木の影から、威圧感の正体を覗いてみた。

 黒い何かがやってくる。

 一つ歩いただけで、地響きが聞こえてくるような、重量感が耳に響く。

 黒い影から、血のような二つの赤い光が見えた。


 ――両目が赤い。そんな……あれは、エコーズ。


 マリアは目を見開いた。

 ガタイが大きく、全身を黒い鎧で包んでいた。

 顔まで覆った兜から、赤い両目が鋭く動く。

 黒い鎧から大きな棘が、肩や腕から突きでており、まるで何者も寄せつけない鉄壁の壁のようだった。

 軽く踏みつけた太い枝は、無惨に残骸を飛び散らせる。

 ――なんだ? アイツは? 殺気だけで、体が硬直した。こんなことは初めてだ。

 カンタロウは必死で気配を隠す。

 黒い者は赤い目で、森の中をグルリと見回している。

 目以外は黒い鋼鉄なので、口や顔つきで表情を読みとることは不可能だった。

 鎧が唸る音が、森の中を響き渡る。

 ――なんてこったい。あれは十神人の一人、鉄人。

 ツバメは鎧の中央、胸のヒビを見て、そのエコーズの名前は鉄人だとわかった。

 他の部分は綺麗に形づくっているのに、胸の辺りの鎧だけは、なぜか修繕していない。

 ――すごい気配。一瞬で体が動けなくなった。アレが戦争時、朧先生や咎人と一緒に戦った、鉄人。

 アゲハは声をださないように、必死で口を手で押さえた。

 ――まずいな……。鉄人は確か、三代目コウダ様の傘下に入らなかったエコーズ。私のことは知ってるだろうけど、言うこと聞きそうにないなぁ。どうしてこんな森へ……。

 アゲハがいろいろと考えているうちに、鉄人はどこかに行ってしまった。

 後に残ったのは、地面をえぐられたような足跡と、飛び散った木の破片だけだった。

 どこからか人の悲鳴のような、風の声が聞こえてくる。

「……行ったようだね」

 ツバメが木の影からでてきた。

「ぷはっ、はあっ」

 ツバメの後から、アゲハが息を大きく吐いた。

 緊張からか、呼吸がうまくできなかったようだ。

 必死で肺の中に、酸素を取り入れている。

「とんでもない殺気だな……」

 カンタロウは木の幹に手をつくと、その場に座り込む。

「あの、あれはいったい……」

 マリアは気配を察知する感度が鈍く、あまり鉄人の影響は受けていないようだ。

 異常事態が発生していることは、皆の様子からわかった。

「十神人の一人、鉄人さ。百年以上生きたエコーズで、一代目コウダと一緒に、このコスタリア大陸を支配しようとした、十人のエコーズの一人さね。まだ生きてたんだねぇ」

 ツバメはカンタロウの隣に行くと、木を背にし、座り込んだ。

「アレが噂の十神人か……初めてだ。こんなに体が震えたのは……」

 カンタロウの顔から、ポタポタと汗が落ちていく。

 相当な緊張状態だったらしい。

 まだ瞳に、動揺が浮かんでいる。

「どうりでゴーストエコーズが、姿を見せないわけだよ。あんなのがいるなんて、聞いてないっての」

 アゲハは呼吸を整えると、カンタロウやツバメと同じく、地面に座り込んだ。

 同じエコーズ同士だけあって、四人の中で一番気配を察知する能力が優れている。

 精神的ダメージが大きい。

 まだ顔を上げられないのか、膝の中に埋めたままだ。

「あの、そんなにすごい相手なんですか?」

 マリアだけが、普通にしゃべることができていた。

「すごいも何もないよ。十神人の中でも、朧、竜人、鉄人はケタ違いの戦闘能力を誇ってたからね。三闘神と呼ばれててね。たった三人で、いくつもの国を潰しちまったぐらいなんだから」

「そんな……でも、そんなのぜんぜん聞いたことない」

 ツバメが鉄人の暴威を教えても、マリアにはまったく実感がわかなかった。

 生まれてきたときからずっと、三闘神や鉄人など、そんな話聞いたことがなかったからだ。

 戦争は終結しているためなのか、現在はエコーズの話をする者も少ない。

「そうだろうね。あの三人は、今では隠居生活を送ってるからね。人間の男に負けて以来」

 アゲハがようやく顔を上げた。

 汗で頬についた金髪を、手で拭っている。

「あんなのに勝てた奴がいたのか?」

 カンタロウが息を飲んだ。ツバメとマリアも、アゲハに注目する。

「うん。確か、フリーのハンターで、若い男だったみたいだよ。しかも人数はたった一人。鉄人は胸を破壊され、竜人は肺を潰され、朧は瀕死の重傷を負わされて、三人とも戦線離脱しちゃったんだよ。まあその後、一代目コウダが神脈結界でやられちゃって、戦況は一気にエコーズ不利になったみたいだけど」

 アゲハは髪型を整えている。

 朧から聞いた話だった。

 そういう事情から、朧は人間嫌いになり、戦争時は自分を倒した男を追い続けていた。

 しかし、どこを探しても見つからなかったようだ。

「へぇ……アゲハ、詳しいじゃないか。あたしは鉄人が胸に怪我をしてるってのは聞いたことあるけど、人間の男一人で、三闘神を倒したってのは、聞いたことないよ」

「えっ? そうなの?」

 アゲハがツバメを見ると、きょとんとした表情をしていた。

 カンタロウも、目を丸くして、注目している。

 マリアも二人と同じような目で、見つめていた。

 アゲハは居心地の悪さを感じ、詳しく教えてしまったことを後悔した。

「あたしが聞いたのは、三人とも神脈結界にやられたって教えられたけどね。まっ、歴史は塗り替えられるものさ。案外、あんたの言ったことが正しいかもね」

「ははっ……そうかな?」

 アゲハは誤魔化すために、苦笑していた。ただ、一つだけ、ツバメの言葉が気になった。

 ――歴史の、書き換え……。

 戦争が終わって、まだ二十年ほどしかたっていないのに、すでに人々の記憶は改ざんされつつあった。

 朧当人が言ったことのほうが、歴史としては正しいのだろう。

 しかし、神脈結界の絶対性の方が、強く、人々の頭に残ってしまっている。

 そう、結界がある以上、平和は永遠に続くのだという思い込み。

 何度聞いても、アゲハにとって、それは笑い話にしかならなかった。

「あんな化け物がいるんじゃ、今後苦しいね。どうする? それでもやるかい? あんた達」

 ツバメはカンタロウとアゲハに、改めて仕事の確認をとった。

 アゲハは口を閉じ、黙っている。

 すぐに顔を上げたのは、カンタロウで、

「当然だ。早くマリアの妹を助けないとな」

 それに続いて、アゲハも顔を上げ、

「まっ、乗らないけどね」

 二人の意志が確認でき、マリアが頭を下げ、

「……ありがとうございます。二人とも」

「ああ、急ごう」

 カンタロウは深呼吸すると、立ち上がった。

 ツバメも、それに続き立ち上がり、

「それじゃ、行こうかね」

 ツバメが先頭を歩き始めた。

 その後ろを、カンタロウとマリアが歩く。

 アゲハは胸に手を置いていた。ドクドクと心臓の鼓動が速くなっている。

 目に見えないナイフをむけられているような、異様な緊張感を感じているからだった。

 ――何事もなければいいけど……。

 アゲハの嫌な予感が大きくなる。

 太陽が雲に隠れ、四人の黒い影が、薄く見えなくなっていた。
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