満月の夜

文字数 1,529文字




 宗教国家エリニス、リブラ派の聖地ビルヘン。

 二階建ての煉瓦造りの家で、マリアが一人、机に顔を伏せていた。

 そこはマリアの部屋で、ベッドにタンスと、簡素な物しか置いていない。

 机には、マリア、妹、父と母が写った写真立てがあった。 

「お父さん……お母さん……」

 マリアはしゃっくりを上げ、写真を手に取った。目は充血し、潤っている。

「これから私、どうしたらいいの……シオンだって、まだ六歳なのに」

 マリアの父と母は、すでに他界していた。

 マリアと妹のシオンは、親戚を頼って、ビルヘンへやってきたのだ。

 今は親戚を離れ、貸し家でシオンと二人ですごしていた。

「……お姉ちゃん」

 その小さな声に、マリアは驚き波立った。

 ドアが開き、茶色の瞳が、こちらにむけられている。

 妹のシオンが、ウサギのぬいぐるみを手に持ち、姉のマリアを眺めていたのだ。

「あっ、シオン? ごめんね。ちょっと疲れがでちゃって」

 マリアは、慌てて、腕で両目を拭う。

 シオンを心配させまいと、わざと笑ってみせる。

 それでも、目の充血や目下の黒いクマは、誤魔化せない。

「お姉ちゃん、いつも傷だらけ。何をしてるの?」

 シオンの何気ない質問に、マリアは明らかに動揺し、

「そっ、それは……それはその……そう、接客。接客業をしてるの」

「それ、辛そう」

「えっ?」

「お姉ちゃん。いつも泣いてる」

 マリアの頬がカッと真っ赤になる。

 シオンに泣いている所を見られたのは、これが初めてではないのだ。

 シオンはいつも部屋に一人で、ぬいぐるみ遊びをしているため、完全に油断していた。

「そっ、そんなことないよ。そう。お姉ちゃんは辛くない。だってシオンがいるもの。私の可愛い妹がいるもの」

 マリアはたまらず、シオンに近づくと抱きしめた。

 自分と同じ白い髪から、妹の匂いがする。

 身体はまだ柔らかく、小さくて華奢で、抱きしめると壊れそうなぐらい細かった。

「ねえ、お姉ちゃん」

「うん?」

「今日クロワ様が来て、私に女神様にならないかって誘ってくれたの」

 突然の報告に、マリアは目を丸くした。

 マリアは、少しシオンから体を離して、瞳を見つめ、

「クロワ様が?」

「うん。だから、シオン行きたい。女神になって、お姉ちゃんを助けたい」

 神様になる。

 幼い子供が言うと、それはとても可愛らしく聞こえる。

 シオンはシオンなりに、自分を助けようとしてくれているのだと、マリアはわかっていた。

「そう――ありがとう、シオン」

 再びシオンを抱きしめた。

 どんなことをしてでも、妹だけは守ってみせる。

 自分は泣いている暇などないと、ようやくマリアは決心できた。

「お姉ちゃん。シオン、えらい?」

「うん。とっても」

 マリアはシオンの頭を、なでなでした。

 シオンは嬉しそうに頬を赤くして微笑むと、マリアにむかって精一杯笑って見せ、

「がんばるね。マリアお姉ちゃん」

 姉にばかり苦労をかけず、自分から何かしてみようとする決意。

 すでにシオンは、母や父を失った苦しみから脱し、前向きに生きようとしている。

 そんな妹の姿を見て、マリアは目頭が熱くなっていた。

「うん、うん。がんばろうね。――私達二人で」





「はっ!」

 マリアは、布団から飛び起きると、すぐに周りを確認した。

 ここは古い木造建築の家で、今寝ていた部屋は狭い。

 隣では、長身な女が、寝息を立てている。

 その女性が、スズだとわかると、マリアは目をパチパチさせた。

「……夢? そっか、夢か」

 さっきまでシオンと一緒にいたのが、夢だとわかると、マリアはため息をついた。

 額には汗をかき、下着も濡れている。

 暗い闇の窓から、月の光が、部屋に射し込んでいた。

「――シオン」

 外では金色の満月が、地上に明かりを照らしていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み