破壊されたシオン

文字数 7,019文字

 四人は地下を上がると、部屋を一つ一つ調べていた。

 部屋の中は割れたガラス、ホコリが積もった机、実験器具など、乱雑で荒れている。

 人が建物に入った形跡もなく、足跡すら見つからない。

 窓という窓に、植物が張り付いているため、昼間なのにたいまつがなければ、何も見えなかった。

「この部屋にもいないねぇ……」

 ツバメが部屋の中に明かりを灯してみるが、ネズミ一匹見つからない。

 静寂が施設を支配している。

 人の呼吸する音ですら聞こえない。

「本当にこの施設に、信者やクロワって奴、いるの?」

「いるはずなんだけどねぇ」

「人の気配しないんだけど? 間違った情報なんじゃないの?」

「そんなはずは、ないんだけど……」

 アゲハに何度もつっこまれ、ツバメは自信なさ気に答えた。

「俺の背中にくっついている奴が、偉そうに言うな。お前は猿か」

 アゲハはカンタロウの背中に、ぴったりとくっついていた。お化けが怖く、人肌が恋しいのだ。

「いいじゃん。怖いんだもん」

 アゲハはカンタロウの背中に顔を当て、ぐりぐり動かした。

「まったく」

 カンタロウは、非常に迷惑そうな顔をする。

「本当に怖がりなんですね。なんだか、アゲハさんって意外に可愛らしいです。ふふっ」

 マリアはアゲハのもう一つの一面に、微笑ましさを感じていた。

 いつも偉そうなことを言っている姿との、ギャップが大きいからだ。

 子供っぽくて、とても可愛らしい。

 お兄さんにしがみつく、恐がりな妹のようだ。

 アゲハはマリアにそんなことを言われ、耳の先まで真っ赤になった。

「ちっ、違うよ! 私は怖いんじゃなくて、よくわからないものに、恐怖を感じてるの!」

「それを怖いって言うんだぞ」

「うるさい!」

 アゲハはカンタロウの背中を上ると、頭をポカポカと叩いた。

「あたた、頭を叩くな」

 カンタロウが怒ってアゲハをつかまえようと手を後ろにやるが、うまくかわされている。

「ふふっ、まあまあ、お二人とも」

 マリアはそんな二人を、落ち着かせようとしている。仲間としての連帯感を感じられ、居心地がいいようだ。

「うん?」

 部屋を調べていたとき、ツバメが何かに気づいた。

 廊下に赤く、太い線が引かれている。

 時間がたっているのか、どす黒く腐り、変な臭いがした。

「何? 何かいるの?」

「おっ、お前、首を……」

 アゲハはカンタロウの首に腕を回し、全力を込める。

 カンタロウは青い顔で、必死でアゲハの腕を叩いた。

 アゲハがカンタロウから離れた。

 ツバメは廊下についた液体を、手に取ってみる。

 指からポロポロと崩れている。乾いて、固まっているようだ。

 ツバメはペロッとそれをなめ、

「これは……血だね」

「血って……人のですか?」

 マリアの言葉がつまる。和やかな雰囲気が、急速に錆びて、剥がれ始めた。

「人のだ。動物のじゃない」

 長年の経験と勘からわかるのか、専門家ですら難しい血の特定を、ツバメは判定してみせた。

 嘘くささは感じられない。

 誰もがツバメを疑わなかった。

「廊下の奥から、続いているな」

 カンタロウは液体の流れや引きずった跡から、血の主がどこに移動したかを、読みとることができた。

 ツバメは視線を向け、

「奥へ行ってみようか?」

「ああ、ここまで古いと、かなり時間はたっているけどな」

 カンタロウはすぐに同意した。

 フリーのハンターだけあって、ツバメはマリアと違って動揺はない。頼もしさすら感じる。

「アゲハ、エコーズの気配はするか?」

 カンタロウは一応、アゲハにエコーズの存在の確認を取る。

「ううん。今の所ない」

 アゲハは自信を持って、首を横に振った。

「他のは?」

「それは、まあ、ないね」

 他の気配については、アゲハは曖昧だった。

 四人は血を追いかけて、二階に上っていった。

 廊下では、おびただしい赤黒い液体が、天上、壁、ドア、窓にまで飛び散っていた。

 いったい何十人もの人間から出血したのか、想像すらできない。

 遺体は骨まで動物に運ばれたのか、小さな白い破片しか残っていなかった。

「うわっ、ひどいね。血がそこらじゅう飛び散ってるよ。ここは惨劇の館かい?」

 ツバメが鼻をかく。

 濃い植物の匂いで気づかなかったが、辺りから異様な臭いが漂ってくる。

 ツバメはたいまつをむけながら、たまらずあいている手で鼻をつまんだ。

 天井から水滴が、血のように滴り地面で弾ける。

「……シオン」

 マリアは泣きそうな顔つきで、妹の名前をつぶやいた。

 四人が奥へと進むと、ある部屋の前にたどりついた。

「血はどうやら、この部屋から続いているようだね」

 ツバメが血の行き先を示した。

 ドアは粉々に破壊されている。

 斜めに傾いた名札には、『中央監視室』と書かれてあった。

 中に入ると、四角の画面のディスプレーがあり、それは表面が破壊され、中身が覗いている。

 すぐ前にあるキーボードも、二つに砕かれていた。

 職員が座る椅子は逆さになっていたり、壁に突っ込んでいたりと、散々な扱いだ。

 引っかき傷や乾いた血が、床に多くの線を残している。

 この施設に入り込んだ動物達が、遺体を巣に運んでいった跡なのだろう。それ以外の怪物かもしれない。

 マリアはそれを見て、身震いが抑えられなかった。つい、カンタロウの腕を、握り締めてしまう。

 カンタロウはマリアの気持ちを察し、特に何も言わなかった。

「ここは、中央監視室だね」

「なんだ? それは?」

「吸収式神脈装置を起動させるための、制御室さ。ここで遠隔操作して、装置を動かすんだ」

 ツバメはよく知っているのか、カンタロウにすらすらと監視室について説明する。

「へぇ。ここがそうなんだ?」

 アゲハも始めて見るようだ。

 前に吸収式神脈装置を見たので、地下の装置は驚かなかったが、中央監視室は初見だった。

 普通は警備員がいるほど厳重で、一般人の立ち入りは許可されていないからだ。

 どこの都市や町でもそうである。

「でも、無惨なぐらい破壊されてますね」

 マリアが落ち着いてきたのか、カンタロウから離れて、機械に触れたりしてみる。

 キーボードを押してみても、何の反応もしない。

「これじゃ、使い物にならないね。やっぱり直接装置を起動させて正解だったよ」

 ツバメは両手を後頭部にやり、部屋を見回していた。

「うん? あの扉は何だ?」

 カンタロウが部屋の奥にある、扉に気づいた。

 防火扉になっているのか、鉄製でやけに分厚い。

 アゲハが扉を開いてみると、狭い通路が続いていて、

「細い廊下だね。いかにも怪しいわ。これ」

 マリアが廊下を見下ろしてみて、

「血はこの奥に続いてますね」

 廊下にはびっしりと、赤黒い乾いた血の跡がついていた。

 引きずった跡を見ると、奥からでてきたようだ。

 中央監視室にたどりつき、惨劇が起きた。

 ここまでは四人とも想像できたので、誰も口を開くことはなかった。

 ツバメを先頭として、その細い廊下を歩いていく。

 秘密の部屋はすぐに見つかった。

 血はその部屋からでてきていた。

 ツバメが見回しながら、

「うわっ、狭いし薄暗い部屋だねぇ。ここにも機械あるし」

 部屋の天井は低く、圧迫感を感じる。

 机がいくつかあり、その上にはホコリをかぶったモニターがあった。

 外に通じる窓がないため、どうやら照明のみで部屋を照らしていたようだ。

 たいまつの明かりが、奥の闇まで届かなかった。

 アゲハが部屋の端まで歩いて行く。

 その後ろには、マリアがついてきていた。

 部屋の奥の方には、透明のガラスがあり、それは何かを閉じ込めるように、壁になっている。

 アゲハが光る物を踏み、

「何、これ? 床にガラスの破片がすごい」

「この透明の壁のガラスでしょうか?」

 マリアがガラスの破片を拾ってみる。とても分厚く、壊れた透明の壁に合わせてみると、ピッタリだった。

 マリアは不思議に思い、

「どうしてここだけ、透明の壁を作ったんでしょうか?」

「たぶん、この部屋を観察できるようにしてたんじゃない?」

 アゲハが崩れた透明の壁から、たいまつを入れてみて、

「うわっ! 床、血塗れじゃん。何があったんだろ?」

 透明の壁のむこう側は、赤黒い血ですさまじい状態になっていた。

 天井や床、壁と、容赦なく飛び散っている。

 たいまつの火に気づいたのか、小さな虫達が、一斉に音をたてる。

 マリアはその音に驚いて、ついたいまつを落としそうになった。

 昆虫の絨毯を見たアゲハは、さすがに虫の王国に足を入れるのをためらった。

 さらにたいまつを伸ばしてみると、壁際に三つの大きな試験管があった。

 左右の二つは無事なようだが、真ん中の試験管は、元の形がわからないぐらい破壊されている。

 内部から何かでてきたのか、ガラスの破片が、前の方に散らばっていた。

 液体が排水溝に流れた跡が、とても生々しい。

「アゲハさん。あれはなんだったんでしょうか?」

 マリアが試験管に注目する。

「う……ん。あの大きな試験管に、何か入れてたんじゃない? 熊一頭ぐらいは、入れそうだからね。それが内側から破壊して、外に飛びでたって感じだよね」

「では、何がでてきたんでしょうか?」

「わかんない。ただ、血の量からして、そいつがここの信者達を殺していった。もしかしてクロワももう……」

 アゲハは、口を閉ざした。マリアが悲しそうな表情をしていたからだ。

 妹のシオンがどうなったか、最悪の展開を想像したのだろう。

 二人の間に、沈黙が流れた。

「おいっ、これは?」

 カンタロウが何かを発見した。

 それをきっかけに、アゲハとマリアはそこから離れることにした。

 ツバメもカンタロウの元へとむかう。

「おやっ? 本当だね。どれどれ」

 ツバメがカンタロウから、物を受け取る。

 丸い形で、表面は鏡のように滑らかだ。

 大きさは人の頭より少し大きく、厚さは五センチぐらい。

 下にはボタンが取り付けてある。

 ツバメは物を見回し、

「これは『月の氷』だね。起動エネルギーに神脈を使っている魔道具だ」

「動くのか?」

「ちょっと待ちな。ここを押してと、よし、動くよ」

 カンタロウに見せるように起動。

 月の氷から映像が映しだされた。

 カンタロウはそれを見て、目を丸くし、

「すごいな。売ればお金になりそうだ」

「月の氷は貴重品だからね。それこそ数が少ないんだよ。もしあれだったら、持って帰ればいいんじゃないか?」

「いいのか?」

「あたしのじゃないからいいよ」

 ツバメはあっさり承諾。

 カンタロウは借金返済のため、お金が必要だ。

 売れそうな物があれば、なんでも持って帰って売っていた。

 たまにスズやヒナゲシのために、使えそうな物を持って帰っていた。

 月の氷はどこか故障しているのか、映像がたまに乱れる。

 画面に白い線が何本も入っていた。

 何とか映像の内容は確認できる。

 画面には、試験管が映しだされていた。

 四人の男が、ベッドを運んでいる。

 ベッドには女の子が寝かされていた。

「あっ、あのベッドに寝かされてる女の子」

 マリアが何かに気づき、 


「シオン!」


 妹の名前を叫ぶ。

 シオンの髪はマリアと同じく白く、服はビーナスメイクの信者の服を着せられていた。

 顔立ちはやはり幼く、背丈も小さい。

 肌もマリアと同じく白く、姉妹であることを強く感じさせられる。

「あれがマリアの妹か。というか、この映像は何なんだ?」

「記録映像だよ。つまり、過去の出来事を、映像として録画できるんだ。ほら、日付があるだろ? これは、半年前ぐらいだね」

「すごい魔道具だな」

 カンタロウはツバメから聞く月の氷の性能に、感嘆の声を上げた。

 シオンは眠ったまま、試験管の中に入れられると、何かの液体が充満していく。

 液体の色は、赤い。

 試験管は真ん中を使用しており、両隣の試験管には何も入っていない。

 透明な壁のむこう側にあった物と、まったく同じだ。

 マリアはとても嫌な予感がし、両手で自分の体を抱きしめる。

「いったい何をしてるんだ?」

 カンタロウがしゃべると同時に、月の氷から音声が流れた。


『これより……を開始……。この……が成功すれば、我々ビーナスメイク……飛躍と発展を期待でき……』


「なんだ? この声は?」

 カンタロウはどこから声が聞こえてくるのかわからず、キョロキョロと辺りを見回す。

「クロワ様……」

 マリアがその声の主の名前を、つぶやいた。

「どうやら声も、録音できるようだね」

 ツバメがカンタロウに、説明してやる。

 シオンが入っている試験管に、液体が満たされた。

 液体の中で、何か泡のようなものが、蠢いている。

 男がそれを確認し、後ろにむかって手を上げた。

 画面から消えていく。


『少女にはある……をしておいた。これで、彼女は、永遠に自分が女神であると、認識できるであろう。我々にとって女神とは、すべてにおいて平等に接しなければならないのだ』


 クロワは音声だけを、記録しているようだ。自分の姿を、画面には映していない。


『我々が崇拝するリブラとは、魂の葬送を意味する。魂に……はない。そこには、悪も、善も存在しない。すべて女神の慈愛により、彼等を救ってやらねばならない。これが完成すれば、我等の教義は世界全土に広がる。人は神を、女神を信じるようになる。なぜなら、人は本物の神を見ることになるからだ』


 自己陶酔した者の声だ。

 自分のやることはすべて崇高で、低俗なものを嫌う性格なのだろう。

 良い方向にむかえばいいが、悪い方向にむかったとき、たちの悪いものへと変化する。


『さあ、準備は……実験開始』


 試験管の中の液体が、真っ赤な光を発光させた。

 眩しく、映像を見ていた四人はたまらず目を細める。

 シオンがどうなったのかは、光が邪魔してまったくわからない。


『どうし……なに……た?』


 クロワの緊張した声が聞こえてきた。

 音声が途切れ途切れになっている。

 映像もさらに白い線が増え、見えずらくなった。

 月の氷は、壊れかけているようだ。


『少女……試験管……エラー……発生しています!』

『ゴーストエコーズ……出現……神脈が急速に低下!』

『馬鹿な……神脈がなくなって装置がトリップ……結界消失……』


「なんだ? どうした?」

「何か起こったみたいだね? 音声が聞き取りずらいよ」

 カンタロウとツバメが耳をすましても、何を言っているのか理解できない。

「……シオンが」

 マリアが妹の名前を、小さく呼んでいる。

 映像に注目すると、試験管から液体が漏れだし、床を赤黒く染めていた。

 液体のなくなった試験管の内部から、シオンが両手で何度も、何度もケースを叩いている。

 何か事件が起き、意識が覚醒したのだ。

「あの子。起きてる。必死でケースを叩いてるみたいだけど」

 アゲハも、シオンの異常事態に気づいた。

「ちょっと待ちな。こういうときはね。こうするといいのさ」

 ツバメが月の氷の角を、手で叩いてみる。すると映像が綺麗に映り、音声も鮮明になった。



『いだい! いだいよぉ! お姉ちゃん! マリアお姉ちゃん! 助けて! いだいぃぃぃ!』



 すべてがはっきりとなった。

 シオンが、悲鳴を叫んでいる姿が。

 白かった髪は血に染まり、絶望的な表情で、何度もマリアの名前を泣き喚く。

 四人は言葉を失い、呆然とした。

「しっ、シオン……」

 ただ、マリアだけが、映像に手を伸ばした。

 本物のシオンはいない。

 過去の映像なのだから。

 しかし、手をださないわけには、いかなかった。


『がばっぁ!』


 マリアが手で映像に触れる前に、シオンは事切れた。

 試験管の壁から、手がズルリと落ちていく。

 最後の断末魔は、マリアの脳の奥深くまで刻まれてしまった。


『おのれ……敗だ。どうして……女は……ゴーストエコーズを生み……? ……完璧な神を作ることが、気に入ら……? 何? この施設に神獣……?』


 映像も、音声も途切れた。

 ツバメも、これ以上、月の氷を直そうとは思わなかった。

 誰もが口を閉じる中、マリアだけは動揺を隠しきれず、月の氷から一歩、また一歩離れていく。

「いや……いやっ、シオン! うっ……」

 マリアは口を押さえると、廊下に飛びだしていった。

「マリア!」

 ツバメがマリアを追いかけようとすると、カンタロウが止め、

「俺がマリアを連れ戻す! ここにいてくれ!」

「わかったよ! 必ず連れ戻しておくれ」

「ああ!」

 カンタロウはマリアを追いかけて、廊下の奥へと消えていった。

 ――それにしてもクロワの奴。いったいどんな方法で、女神を生みだすつもりだったんだい?

 ツバメが考え込んでいると、月の氷がまた映像を流した。

 アゲハが映像を眺めていると、おかしなことに気づき、

「あれ?」

 映像の上半分は壊れてしまい、画面が歪み見えない。

 注目したのは、下半分の映像だ。

 試験管から赤黒い液体が流れる床を、白い足の何かが歩いている。

 それにくっついて、大きな見たこともない魚が、ビチビチと跳ね回っているのだ。

 さらに、赤く、両目のない大蛇も、ウネウネと気味悪く床を這っている。

 どこからか、奇妙な鳥の鳴き声がした。


 ――魚に、蛇? それに、鳥? そんな生き物、いなかったはずなのに。


 刹那、魚と蛇が、アゲハの方をむいた。

 映像が途切れた。

 あとは何も映しだされず、月の氷は完全に壊れてしまった。

 ツバメが異様な様子に気づき、

「どうしたんだい?」

「うっ、ううん……なんでもない……」

 アゲハの心臓は、止まることなく、動き続けていた。
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