大好き

文字数 3,893文字



「寿命?」


「口の中を見てみろよ」


 一尾の指先を追い、アゲハはシオンの口の中を、覗いてみた。

 息が異常に臭い。

 赤い舌や口蓋、歯肉といった部分が、黒く変色し、膿のように白く、所々くぼんでいる。


 食べ物を食べない理由は、お腹がすかないと、シオンは言った。


 口の中に食べ物を入れると、痛みがひどく、それで食べたくなかったのかもしれない。


「これは……細胞が壊死してるの?」

「そうだ。もともと無茶な実験だったんだろう? 寿命が縮むのも当然だ」

 一尾に言われ、アゲハとカンタロウは、唖然として、倒れたシオンを見下ろす。


「喉乾いた……お水ほしい……」


 シオンは思考停止しているカンタロウから離れ、雨でできた水溜まりに、口をつけようとし、



「きゃあ!」



 シオンの悲鳴で、カンタロウは我に返った。

 シオンが胸に抱きついてくる。

 脅え方が、尋常じゃない。


「どうした!」

「誰? この化け物、誰? お兄たん、怖い」

「化け物?」


 カンタロウは、シオンを抱き寄せ、周りを見回してみるが、化け物はどこにもいない。

 神獣も、一尾の戦闘意欲がなくなったのか、神脈に溶けてしまった。


 一尾は何もしていない。


 シオンがいったい何に脅えているのか、カンタロウにはわからなかった。


 ――化け物って、まさか。


 アゲハが、脅えている正体に気づいた。

 水溜まりを見ればわかることだ。


『自分の姿』しか映っていないのだから。


 カンタロウが様子に気づき、

「どうした? アゲハ?」

「……自分の顔が認識できないんだ。たぶん、脳のどこかをいじられたんだと思う。そういえば、シオンって、私達の顔を見ても、『形』としか言わなかった。それは……つまり……」

「つまり――どういうことだ?」

「…………」

 アゲハは唇を噛み、黙り込んだ。何も言いたくないと、意思表示している。

 カンタロウは早く理由を知りたいので、アゲハの気持ちに気づいてやれず、

「アゲハ? どういうことなんだ?」


「教えてやるよ。少年」


 一尾が代わりに口を開いた。

 アゲハと違って、その表情は言いたくて、うずうずしていたようだ。口角が斜めに伸びる。

「クロワについて、いろいろと調べさせてもらったが、そいつを作った目的は、『信者集めのため』だってぇのは知ってるか?」

 一尾の質問に、カンタロウは、コクリとうなずいた。

 ツバメやマリアから聞いた、シオンを作った目的。

 残酷な事実。


「それなら答えは簡単だろ? そいつの行き先は鉄の柵の中――つまり檻だ。例えるなら、動物園に入れるために、作られた『珍獣』って所だな」


 カンタロウは愕然とした。

 シオンは女神として、崇拝される存在ではなかった。

 信者を集め、利益を得るための、ただの道具だったのだ。

 一尾の口が開き、



「動物が檻の中で、人々の奇異な目で見られているのに、平然と餌を食える理由は知ってるか? 人の顔から、『感情を読めない』からだよ。つまり、見物客の表情がわからないのさ。哀れみ、同情、失笑、恐怖、狂気……そんな感情がねぇ。後もう一つは……」



「自分の顔が老いても、醜くなっても、一生自分が女神だと信じ込ませるため。女神は『不老不死』。常に若くて、美しくなければならない。年老いてはならない。だから、鏡を見せないようにした。――そこには、化け物になった自分がいるから」



 アゲハが一尾の話を遮って、つぶやくようにしゃべった。

 思い出したのだ。

 月の氷で、クロワが言ったある言葉を。



『少女にはある……をしておいた』

『魂に……はない』



 聞き取れなかった台詞が、ある単語と組み合わさって、はっきりと言葉になっていく。



『少女にはある細工をしておいた』

『魂に顔はない』



 その言葉から推測すれば、シオンが何をされたのか、目を覆いたくなるような現実がわかる。


「自分の姿も、人の姿も、この子から――すべて、奪ったのか?」


「まっ、そういうこったろうさ。全世界から人を集めるんだ。視線のストレスは相当なものだろう。それを軽減したかったんだろうが……はっ、鉄人のダンナも無駄死にだな。まさか、女神どころか、檻から逃げだした猿だったとわねぇ」


「…………」


 カンタロウは歯を食いしばり、一尾を睨んだ。



「そんな目で睨むなよ、少年。どのみち、その子はもう長くない。もし呪うというのなら――その失敗作の運命をかってに決めた『人間を恨め』」



 一尾は踵を返すと、カンタロウ達とは逆方向に歩み始めた。


「じゃあな。少年。それと――どっちつかずの半端者」


 手をふらふらと振ると、一尾は雨の中、森へと消えていった。





 残されたカンタロウとアゲハは、雨を防ごうと、地下通路のある部屋に戻った。

 雨に濡れたせいか、シオンは両腕で体を抱え、震えている。

 顔も青く、肌は死人のように白い。

 皮膚に触れてみると、極端に体温が低下している。



「寒い……寒いよ……」



 シオンの小さな口が、繰り返し訴える。

 声がか細い。

 アゲハはそれを聞くだけで、悲痛な思いになる。

「待ってろ。今火をたいて……」

「カンタロウ君」

 立ち上がろうとしたカンタロウは、アゲハの表情を見て、体が硬直した。

 アゲハは両目から、涙を幾度も流していた。

 カンタロウは、そんな姿を直視したのは、初めてだった。いつも明るいイメージしかなかった先入観が、書き換えられる。

「アゲハ……」

「この子、どんどん冷たくなってる。ずっと肌で暖めてるのに、ぜんぜん暖かくならない。ならないよ……」

 カンタロウのすぐそばで、うなだれるアゲハ。

 最後の言葉が、泣き声で萎む。

 アゲハの両目は赤く腫れ、濡れた瞳ですがるように、カンタロウを見つめる。

 悲しさで歪んだ表情は、大切なものを奪われた、母親を連想させた。


「…………」


 カンタロウの頭が、真っ白になった。

 自分がどれだけアゲハの笑顔に、助けられてきたのかを思い知った。罪悪感が、胸を締めつける。


「あっ」


 シオンはアゲハを見て、小さく叫んだ。口元が微笑む。


「お母さん」

「えっ?」


 視線が動き、次にカンタロウを見上げる。


「お父さんも」

「シオン……」


 カンタロウがシオンの瞳を眺めると、赤い瞳が白く変色しつつあった。目に病魔がせまってきているのだ。


 ビネビネが悲しそうに、一声鳴いた。


「ねえ。お母さん、お父さん。シオンね。ずっと会いたかったの」


 シオンが自分のことを、『お姉ちゃん』ではなく、名前で呼んだ。

 死期が近くなり、記憶が蘇ってきたのだろう。

 瞬きしない白い瞳を天井にむけ、震える手を空へと伸ばす。

 アゲハとカンタロウは同時に手をだし、その手をしっかりと握った。



「とってもいい子にしてたんだよ? マリアお姉ちゃんにも、迷惑かけなかったよ? だからね、お願い――ずっと、一緒にいてほしいの」



 シオンは姉である、マリアのことも思い出していた。


「……ああ、ずっといるぞ」


 カンタロウの目から、自然と涙が流れる。微笑むのが、精一杯だった。


「シオンはいい子だから。お母さん、ずっとそばにいるよ」


 アゲハもカンタロウと同じく、苦しそうに微笑んだ。

 二人は必死で、父と母の演技をしていた。

 シオンの小さな手を握りしめ、指を絡め、お互いの体温を感じながら、笑顔でいた。


 二人の熱い涙が、シオンの頬に落ち、一筋の粒となって流れていく。



「嬉しいな。嬉しいな。シオンね。ずっとこうしていたいな。何もいらないから……だから……ずっと……お父さんと……お母さんと……マリアお姉ちゃんと…………」



 シオンの腕の力が抜けた。


 アゲハとカンタロウの手から、こぼれ落ちていく。

 固い床に横たわった。


「シオン!」

「シオン!」


 シオンは満たされたように、微笑んだ。




「――大好き……だよ」




 その言葉を最後に、シオンの口は永遠に閉ざされた。


「ミイ、ミイ」


 ビネビネが悲し気に何度も鳴き続け、シオンの頬を舐める。


「シオン? ……シオン。……くっ、ううっ」


 カンタロウは泣き続けた。透明な水滴が、白いワンピースに落ちる。

 アゲハはシオンの亡骸を、呆然と眺め、



「……どうして?」



 力の入らない手で、アゲハはカンタロウの肩をつかみ、




「どうして? どうして? どうしてっっっ!!!!」




 アゲハはカンタロウの胸を、拳で何度も叩いた。

 涙が再び、頬を伝う。

 声がつまり気味になっている。

 カンタロウの耳には、すべての言葉が入ってきていた。



「どうしてよっ! どうしてこんな酷いことができるの? どうしてこんな残酷なことができるのっ! ただこの子は、家族に会いたかっただけじゃない! 女神になんて、なりたかったわけじゃなかったのにっっっ!!!!」



 カンタロウは、アゲハの顔を見ることができなかった。

 アゲハの悲鳴のような叫びが、耳をつんざく。

 なすがままに、アゲハの拳を受け止める。



「私達だって……私達だって、人を利用することはあるよ? だけど、自分のためじゃない! 種族のために、自分を殺すの! だけど……だけど人間のやってることは何なの? 信者を集めるため? 自分を救うため? そんなの、自己満足だよ! どうしてそんなことで、そんな小さなことで、こんな女の子を生け贄としてだすの? 平然とした顔でだせるのよぉ! わからないよ! 教えてよ! ねえ! 教えてよぉぉぉぉ!!!!」



「…………」

 カンタロウは、アゲハの疑問の答えを持たない。

 アゲハの拳が、何度も、何度も、胸を叩く。

 そのたびに、体を揺らすことしかできない。




「人間って、何なのよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」




 アゲハはカンタロウの胸の中に顔を埋め、泣き叫んだ。


 カンタロウは何もできず、一筋の涙が頬を伝った。
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