誤算

文字数 3,530文字

 シオンが、カンタロウの服をつかんだ。手に力が込められる。

「どうする? 逃げるか?」

 カンタロウはシオンを引き寄せた。

 アゲハはアゴに手をやり、

「それが妥当だろうね。結界の外にでれば、追いかけてこないと思うし」

「よしっ、早くでよう」

 カンタロウは躊躇うことなく、シオンを腕に抱きかかえた。

 猫は下から、三人を見上げている。

「お兄たん……」

「大丈夫。お兄たんに任せろ」

 不安そうなシオンに、カンタロウは言う。

 この場を離れようと、鉄人とは逆の方向に歩む。

「待って、私は残って、鉄人を足止めしておくよ」

 アゲハがカンタロウを止め、提案をだしてきた。

「どうして?」

「鉄人が吸収式神脈装置を破壊したら、すぐに追いつかれるじゃん。だから私が少しだけ足止めしとく。その間に、カンタロウ君はシオンを連れて、できるだけ遠くに逃げて」

「待て、それなら、俺がその役をやる」

「カンタロウ君。飛翔魔法使えないでしょ? どうやって、あの鉄人から素早く逃げるの?」

「…………」

 アゲハに欠点を言われ、カンタロウは黙り込んだ。

 敵は巨大な力を持ったエコーズだ。

 逃げだすとなると、翼がある方が有利だと、カンタロウでもわかる。

 アゲハは拳で胸をたたき、

「私なら空を飛んで、結界の外にでることだってできるから大丈夫。安心して、シオンと逃げてくれればいいよ」

「……しかし」

 カンタロウの目線が、迷っている。

 例え翼がなくとも、危険な役は、自分が率先してやりたい。

 アゲハにあまりやらせたくない。それが態度で感じられ、アゲハは少し苦笑する。

「はいはい。決まり決まり。そうこうしてるうちに、鉄人がやってきちゃうぞ。さっさと逃げろ」

 アゲハは後ろをむくと、手でカンタロウを追い払う。

「……わかった。危険なことはするなよ。危なくなったら、必ず逃げろ」

「わかったわかった」

「じゃ、行くぞ」

「あっ、待って」

 行こうとしたカンタロウを、アゲハが急に止めた。

「なんだ?」

「月の玉。貸してよ」

「どうした? 持ってないのか?」

「うん。私、そういうの、持たないことにしてるから」

「そうなのか?」

 カンタロウはペンダントにしている月の玉を、首から外し、アゲハに渡した。

「へへぇ。ありがと。お守りにするね」

 アゲハはプレゼントをもらったように、嬉しそうに笑った。

「使い古しだけどな。それじゃ、行くからな。早く来いよ」

「はいはい」

 カンタロウはシオンを抱きかかえたまま、アゲハをおいて、通路の奥へと走っていく。

 猫も、その後ろを追いかけた。

 シオンが心配そうに、赤い瞳でアゲハを見送っていた。

「……行ったか。昔の私だったらきっと、カンタロウ君を囮にして逃げてただろうな」

 アゲハは、もらった黒色の月の玉を、大切に握り締め、


「今度は私が――あなたを守る。よしっ、行こう」


 アゲハは決意すると、カンタロウとは逆方向へと走っていった。

 通路を走っていると、煉瓦でできた階段が見えてきた。

 あそこから地下へと、下りてきたのだ。

 階段を上り、外にでると、そこは教会の中だった。

 祭壇の上では、クロワが糸の切れた人形のように、ブラブラ揺れている。

 アゲハは外にむかって、慎重に歩いていった。

 ――鉄人は私のことを知っているはず。『神脈を持つエコーズ』は有名だもんね。コウダ様の傘下に入っていないから、どんな出方をするかはわからないけど、隙は突ける。

 アゲハはそう考えていた。

 教会の出入り口は、植物がふさいでいた。

 手で植物を引っ張ると、簡単に抜け落ちる。

 どうやらシオンがいなければ、植物に意志を持つことはないようだ。

 アゲハは注意深く、外の様子を見回し、

「なっ……」

 教会の外では、ゴーストエコーズ達が皆殺しにされていた。

 土の地面に、血の水溜まりがいくつもできている。

 白い巨体は、ピクリとも動かない。

 シオンがカンタロウとアゲハを守るために、ここにすべてのゴーストエコーズを集結させたのだろう。

「ひどい……みんな、死んでるの?」

 ゴーストエコーズの牙のような歯に、黒い蠅が飛び回る。

 死の臭いが、容赦なく鼻を刺激する。

 あまりの光景に、アゲハはつい、敵であるゴーストエコーズに同情してしまった。

 肉体の形すらなくなっている者。

 頭が吹き飛んでいる者。

 四肢がバラバラに飛び散っている者。

 足下に散らばった肉塊と内蔵の破片に、つい手で口を押さえる。



「ほう――女神がでてくるかと思ったら、獣の子供がでてくるとわな」



 刹那、アゲハの頭の上で声がした。

 アゲハが振りむき、見上げると、教会の屋根に、黒い物体が座っている。

 全身を刺々しい黒色の鎧でまとった、鉄人だ。

「小娘――女神はどこだ?」

 鉄人の、重く、かすんだ声。

 口元を覆った兜の中で、何重にも響いてくる。

 黒い恐怖が、アゲハの太股に抱きついた。

 アゲハは一歩、後ろに下がったが、歯を食いしばって鉄人を見上げ、

「私の名前はアゲハ! あなたと同じエコーズだ! 王コウダ様の命令により、この大陸で、ゴーストエコーズを生みだしている者を殺しにきた! それがこの証拠!」

 アゲハは赤眼化し、コウダのお墨付きである、右手の甲に刻まれた、盲目の蛇を鉄人に見せた。

 鉄人の目が細くなる。

「私の邪魔をするということは、王の敵、いえ、エコーズ全体の敵と見なされる! ここは大人しく引いて……」

「ふははははははははははははっ!」

 突然、鉄人が笑いだした。

「なっ、何がおかしいの?」

 アゲハが困惑していると、すぐに鉄人は笑いをやめ、

「小娘。嘘なら、もう少し上手くついたらどうだ?」

 ――えっ?

 鉄人の言葉に、きょとんとなるアゲハ。

「貴様の目は碧いな? ということは、神脈を持っている。そんなエコーズなど、聞いたことないわ」

 鉄人が教会の屋根から落ちてきた。

 地面に転がっていたゴーストエコーズの肉片が踏まれ、パチンと破裂する。

 壁に赤黒い血が、ベタリと流れた。

 ――嘘……。

 アゲハはまだ現実感がわかず、ポカンとそれを眺めていた。

「あまりの恐怖に、頭がおかしくなったか? 愚行にもほどがあるぞ。――獣人の娘よ」

 鉄人の言葉に、淀みはない。本気でアゲハのことを、獣人だと思っている。

 ――そんな……私のこと、知らないの?

 アゲハは何が起こっているのか、必死で考えていた。

 汗がいつの間にか、全身に流れている。

 呼吸が苦しい。

 瞬きができない。

 頭がクラクラしてくる。

「こっ、ここに証拠が……」

 アゲハは、蚊が飛ぶような声で、右手の甲を鉄人によく見せる。その手が意志とは関係なく、震えている。

「だからどうしたというのだ? そんなもの、我は見たこともない」

「……そんな」

 鉄人の赤い目に、見えてほしい嘘がまったくない。それでようやく、アゲハは気づいた。

 ――このエコーズは……古すぎるんだ。だから、今現在のことを全く知らない。戦争の時のまま、時間が止まってるんだ。

 アゲハは壮大な勘違いをしていた。

 ハンターに負け、プライドをズタズタにされた鉄人は、同族であるエコーズの前から姿を消した。

 どこにいたかは不明だが、それが突然、人里に下りてきた。

 一年が、たった一日のような感覚で、アゲハと話しているのだ。

「さあ、お前がエコーズであるという、証拠を見せてみろ」

「それなら、神獣召還を……」

 アゲハは鉄人との話し合いを諦め、神獣を呼ぶため口を開いた。

 しかし、その口は開いたまま、何も唄うことができなかった。

 空が曇り、雨が降っているにもかかわらず、水滴がまったくここに落ちてこないことを知ってしまったからだ。

 ――しまった。結界を張ってるから、神獣召還しても、装置に吸収されて形を保てない!

 アゲハの誤算。

 結界の能力は、月の都レベル5。

 どんな雨ですら通さない。

 結界の中で神獣を召還すれば、すぐに装置に吸収され、消失する。

 今のアゲハの力では、シオンのように集積吸収型神獣を召還できない。

 鉄人はいぶかしげに腕を組み、

「どうした? 早く証拠を見せろ」

「…………」

 アゲハは、呆然と空を見上げていた。

 その顔に、絶望感がにじみでている。

 もはや、鉄人の声すら聞こえていなかった。

「できないようだな。まあ、当たり前のことだ。さて」

 鉄人は右の拳と、左の拳を力強くぶつけた。

 その鎧の反響音に、ようやくアゲハが現実に返り、小さく震える。

 赤く煮えたぎった両目が、アゲハを捕らえたまま離さない。


「我ら種族を愚弄した罪。どう償う?」


 鉄人のようしゃのない殺意。

 大丈夫だと思っていた氷が、割れて湖の底に沈む恐怖。

 アゲハの両目に、涙が浮かび、

 ――カンタロウ……君。

 無意識にカンタロウの名前を、頭の中で叫んでいた。
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