○九九七年、三月一〇日(一五年前)

文字数 4,540文字

 『星龍会』邸宅の二階大広間、つまり武と元子の結婚式を行われた場所には今、『星龍会』傘下の組長を含む幹部が全員集まっていた。総勢五○人近く居る。
ここで武の『星龍会』会長就任の報告が行われる予定だ。四十九日法要も終わったのでそろそろいいだろうと武は幹部と話し合って今日に決めた。
 星壱も幹部の一員、そして前会長の息子として武の会長就任を祝うために参加している。
というのは表向きの表現になる。実際は腸が煮えくり返る思いだったに違いない。しかしその表情はどこか楽しげで余裕に満ちあふれていた。これが演技だとするならば星壱には役者の才能があるに違いない。しかし、それは演技ではない。星壱はこれから起こる惨劇を想像して楽しくなっているのだろう。
 全員が注目する中、武が紋付き袴姿で黒い留袖姿の元子を伴って広間に入ってきた。武は簡易的に作られたステージの上に立って、視線を一手に集め、口を開いた。
「皆、今日は俺のために集まってくれて感謝している」
 広間のあちこちから歓声が上がる。そして“堅いぞ”と野次が飛ぶ。
「今日くらい格好つけさせてくれよ」
 笑い声が広間を覆う。元子もそれに笑顔で応じる。
 前会長が一組長からいくつかの組を纏めて『星龍会』を興して会長に就任した時は、その場に緊張の糸が張り巡らされていた。会長の鋭い視線が一同の緊張をさらに高めた。今の空気はそれとは正反対。その理由は恐らく、幹部の多くは武のことを学生の頃から知っている古株だからだろう。自分の息子が巣立つ気分になっている者も少なくないのではないだろうか。
「改めて……。本日只今をもって、私、山口武は『星龍会』の会長に、幹部各位の承認を得て、就任する」
 再び歓声が上がった。これで武は『星龍会』の会長に正式に就任した。
その時“パン”という音とともに武の右胸から血が飛び散った。武は仰向けに倒れた。“打たれた!”誰かが叫んだ。元子がすぐに武の身体に覆い被さった。銃撃だと判断した元子は武を守るために自分が盾になろうとしたのだろう。すぐに側近たちが駆け寄り、銃撃から守る為に武と元子を囲った。ステージの下からは完全に二人が見えなくなった。側近達は注意深く周りを見回したが、誰が打ったかまるで解らなかった。
「ははは……」
 場違いな声が響いた。
「ははは!わはははははは!死んだ。死んだぞ!」
 一同の視線が星壱に集中した。
「死にやがった。これで俺が会長様だ」
「どういうことだ。坊ちゃん」
 近くにいた古株の幹部が星壱に詰め寄った。
「あいつが悪いんだ!俺の地位を盗みやがるから」
「坊ちゃんが撃ったのか?」
 しかし星壱は銃を持っていなかった。
「殺し屋を雇ったのさ。お前らも逆らいやがったらぶち殺すぞ!あいつは窓の外から今も狙ってるんだからよ。ビルの上から丸見えだぜ」
 幹部達は一斉に窓の外を見た。カーテンが付いてはいるが半分しか閉まっていない。その空いたスペースからはタバコ屋の隣のビルの屋上がよく見える。ということは向こうからもこちらは丸見えだということだ。
 一瞬のうちに緊張の糸が張りめぐらされた。窓の近くに居た幹部達はその場から離れようとした。それを見て、恍惚の表情を浮かべたままの星壱が怒鳴った。
「動くんじゃねえ!」
 幹部たちは従うしかなかった。
「馬鹿な真似は止めるんだ」
 先程の古株幹部が星壱に近づいた。星壱はその幹部を殴り飛ばした。
「黙れ!黙れ!黙れ!俺に指図するんじゃねえ!」
 星壱の目には狂気が宿っていた。もはや説得は無意味だった。
「さあお前たち、どうするんだ。俺に従うか、死ぬかだ。俺に従う奴はこっちへ来い」
 辺りは不自然なほど静まり返った。星壱は数分待ったが誰も動こうとはしなかった。星壱のイライラは募っていった。星壱は全員が簡単に従うと思っていたのだ。
 ここにいる幹部たちは前会長こと親父が育てた男達だ。修羅場は嫌というほど潜ってきた。命を惜しむ者は誰もいなかった。
「解った。解ったぞー!お前ら死にてえんだな!」
「坊ちゃん」
 先程殴られた古株幹部が再び星壱に近づいた。
「坊ちゃん、俺達はあんたが親父の息子だから今まで我慢してきた。だがな、親父が死んで、さらに親父が決めた跡継ぎを殺しやがった。そんな奴に従ったら、親父に顔向けができねえんだよ」
 星壱はその古株幹部の迫力に気圧されていた。先程まで自分に酔って恍惚の表情を浮かべていた星壱だが、その表情から余裕が一切消えていた。額には汗をかき、視線はゆとりなく周りを彷徨っていた。
「殺してやる!殺してやる!殺してやるぞー!」
 幹部たちは覚悟を決めた。――ここで死んでもあの世の親父に胸を張って会いに行ける。
星壱はなぜか焦っていた。圧倒的に有利なはずなのに。小刻みに震えだしていた。おかしい。星壱の態度は明らかにおかしかった。
 星壱の焦りは募っていた。――なぜ二発目を打たない。
 ゴーストには従わない奴は全員殺せと命じてある。しかし武を撃ち殺した後は一向に撃ってこない。――なぜだ?
 彷徨っていた星壱の視線が頻繁に窓の方を向くようになった。そして星壱はおかしな点に気が付いた。――窓が割れていない。
 ゴーストは隣のビルから発砲したはず。ならば窓が割れているはずだ。
「なぜだ……」
「星壱、どうかしたのか?」
 一同の視線が声の主に集中した。
 ステージの上には撃たれたはずの武が立っていた。
「武、生きていたのか」
 幹部たちは驚きの声を上げた。元子も隣で驚いている。胸を打たれたはずの武が突然起き上がったからだ。
「星壱、窓がどうかしたのか」
 武は幹部の質問には答えずに星壱にもう一度尋ねた。
「お、お前。何で……」
「俺は何もかも知っていたんだよ。これは火薬と血糊だ。映画なんかで使われる小道具だよ」
「な!」
 武は焦げて破れた穴に袴の内側から指を突っ込んでクルクル動かした。本当に打たれたみたいだろと言いたいのだろう。そして袴に滲んだ血糊を人差し指で拭って星壱に見せた。少し粘り気のある赤い液体。作り物にはとても見えなかった。
「お前が雇った殺し屋はもうこの世にはいない」
 星壱は愕然とした。武は何を言っているんだ。
「タケ、どういうことなの」
 元子は武の袖を引っ張った。元子には何が何だか全く解らなかった。いきなり夫が打たれ、兄が狂ったように笑い出し、幹部たちを殺すと言う。すると夫がいきなり起き上がった。理解の限界を超えていた。
「見ての通り星壱は殺し屋を雇って俺を殺そうとしていた。しかし俺はそれを知っていた。星壱なぜだと思う?」
 星壱は武の言っていることがまるで理解できなかった。あまりにもショックが大き過ぎた。質問されていることにも気づかなかった。
「お前の側に俺の手の者を接近させていたんだ」
 武は広間の入り口を顎でしゃくった。そこにはいつも星壱の側に付いていた大柄の男が立っていた。二〇代後半くらいだろうか。顔立ちはパーツ一つ一つが大きくはっきりしているので武骨な印象を与える。さらに表情に乏しく、体格も大きいのでかなりの威圧感があった。
 その大男は真っ直ぐ武を見ていた。星壱の方を見てもいなかった。
「あ、明弘……。これは一体……」
 混乱していた頭がようやく整理されてきた。――明弘が裏切った。あいつが武に情報を流していたのだ。
「明弘!てめえ!」
 星壱は明弘に向かって突進した。懐からナイフを取り出した。明弘はすんなりとナイフを避け、右手でそれを叩き落とした。そして左肘で星壱の首筋を殴った。星壱はその一撃で膝から崩れた。それはまるで明弘に土下座しているような格好になった。
 幹部たちは何が何だか解らないといった風にただざわめくだけだった。
 
 実際どこから撃たれるかは解らなかった。
逃走のことも考えると屋敷の外から狙撃するであろうことは予想できた。しかしその場所までは特定できなかった。
 プロならば二、三〇〇m離れていても問題はないと解っていたからだ。二、三〇〇m圏内には高層ビルがいくつも立ち並んでいる。
 どこから狙うかを予想するのは不可能だった。
そこで明弘は範囲を絞り込ませることにした。カーテンを半分だけ閉めさせた。すると高層ビルからは武が立つステージが見えなくなる。確実に狙えるポイントはタバコ屋の隣のビルの屋上しかない。
 プロならば必ずここを選ぶ。
 後は星壱がカーテンを開けないように常にカーテンの前に人を立たせておけばいい。ゴーストは明弘の狙い通りにビルの屋上に現れた。
 
 
「兄さんをどうするの?」
 星壱は武の部下に連れていかれた。武が前後の事情を幹部に説明して理解を得た。星壱の処分は武に一任された。
 その後、元子は武を寝室まで連れていった。誰にも聞かれたくなかったからだ。
 元子は寝室のカーテンが開いているのを見て反射的に閉めた。演技だったとはいえ、自分の目の前で夫が撃たれる光景には肝が冷やされた。もう殺し屋はいない、それでも開いているカーテンは狙撃の恐怖を駆り立てられた。
「お前には悪いが生かしておくことはできない」
「タケお願い。命だけは助けてあげて」
「だめだ」
 武は元子から目線を逸らした。もう話を聞く気はないという意思表示だ。長年の付き合いから元子にはそれが解った。
「どうしてもだめなの?」
「だめだ」
「解った……」
 元子はベッドの横にある棚に手を伸ばし、中から紙を取りだした。武はその紙を見て目を見開いた。
「なんだこれは」
「見ての通り、離婚届けよ」
「そんなことは見れば解る。なぜだと聞いてるんだ」
「解らないの?」
「解るものか。兄貴を助けないなら離婚するとでも言うつもりか」
「いいえ。離婚の理由は別にあるわ。心当たりあるでしょ?」
「え?」
 武は驚いているようだ。まさか元子が知っているとは思わなかったのだろう。親父も浮気の事実を知っていたようだが、元子はその前から知っていた。
「なん、の、ことだ」
「あたしの口から言わせるつもり?」
「い、いや……」
 元子は武に背を向けた。
「兄さんの命を助けてくれるなら、一度だけ許してもいいわ」
「解った。星壱は殺さない」
 武の決断は早かった。元々ウジウジ悩むタイプではない。この結果は元子の予想通りだった。元子は武に振り返り、にこりと微笑んだ。
 完全に元子の勝利だった。武は頷く以外選択肢はなかったはずだ。これまでの武の行動や言動から、彼が会長職に執着していると元子は確信していた。それが目当てで自分と結婚したのかと疑ったこともあるくらいだ。
 もし離婚することになれば、前会長との繋がりは完全になくなる。幹部の中には武の会長就任を反対する者も出てくるだろう。それだけはできなかった。
 
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