オレのつぶやき1

文字数 1,332文字

 オレは三〇年以上にわたって『タバコ屋』の一角からこの街を眺めてきた。時代と共にオレの性能も向上し、見える範囲も広がってきた。それに比例して町も様変わりしていったが、変わらないものもある。町の名物三つは一切変わることがない。そこだけ時が止まったように思える。特に梅婆さんは三〇年たっても何も変わらない。まるで妖怪だ。
 逆にころころ変わるものもある。その代表としては、『タバコ屋』の南だ。元々は駄菓子屋だった。その後酒屋になり、コンビニになり。そして現在は高級(らしい)クラブ『ドリフト』に落ち着いている。オープンして一六年程になるが、経営は順調のようだ。その理由の一つとして、バックには『星龍会』が付いている。オーナーもその筋の者らしい。“みたい”とか“らしい”ばかりになってしまうが、直接聞くことができないのだからしょうがない。
 名物三つと『ドリフト』はすべて田の字のように隣り合っている。左上の『タバコ屋』から時計回りに、右上が『星龍会』邸宅、右下が『丸武公園』、左下が『ドリフト』という配置になっている。かつては『丸武公園』の半分も見渡せなかったが、今の性能ならその全域を見渡せる。
 ただ見ていることしかできないオレだが、心に残る出来事がいくつもある。それは人々の悲喜交々。今回はその中からいくつかを当時の記録を基に語ってみようと思う。先程も言った通り、直接彼らに聞いた訳ではなく、オレが見聞きしたことなので、一部オレの想像が入ってしまうが、それはご容赦願いたい。
 
 では始めよう。それは三〇年前、オレが生まれたというのか、作られたというのか、とにかく命を吹き込まれた時のことだった。ある意味ではそれが始まりと言ってよいかもしれない。
 その日が七夕と呼ばれていることを後で知った。オレは周りを見渡した。初めて見る世界は狭く、窮屈な印象だった。それはそうだろう。当時のオレは精々半径一五m程見渡せる程度の能力しかなかったのだから。
 最初は何の知識もなかった。空をチョロチョロ飛び回る小さい奴や地面を歩き回る二本足の奴、あるいは四本足の奴。それが何かも解らなかった。だから今思い出してみると、これがオレの始まりらしいとしか言えない。もっと早くからそこに居たのかもしれないが、これ以前にはオレの意識はなかった。だから彼らの物語はここからしか語れないのだ。
 ことの発端はもっと別の場所にあったのかもしれないが、その時オレはそこに居なかったから知りようもない。当時のオレは蝶や人間、犬さえも解らなかった。それくらい無知だった。
 しばらくはきょろきょろしていたが、すぐに厭きた。そんな時声が聞こえてきた。
 それが武と親父を初めて見た時の出来事だ。当時のオレには彼らが何をしているのか全く分からなかったが、これから彼らを見ていこうと心に決めた日でもあった。
 人間は難しい。同じ言葉同じ行為であっても、意味が異なること甚だしい。
 涙にもいくつも意味がある。武の涙は感謝の涙だ。
 そして頭を下げる行為にもいくつも意味がある。最初は謝罪で二回目は感謝の叩頭だ。オレがこれを理解するには数年の時を要した。まだオレは新し過ぎた。
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