○九九七年、五月一〇日(一五年前) 2

文字数 1,000文字

 プルプルと電話が鳴った。理亜の胸は高鳴った。恐らく星壱からの報告だろう。うまく言ったのだろうか。星壱が会長に就任することは不可能に近い。そんなことはどうでもいい。武が子供を認知するかどうかが問題だ。認知さえしてくれれば武と会う口実ができる。武の妻もそれぐらいは認めざるを得ないだろう。理亜はそれで十分だった。――時々でいい。時々でいいから武の傍にいたい。
 利用する形になった星壱だが、運が良ければ『星龍会』に戻ることができるかもしれない。武は妊娠させた負い目がある。星壱がうまく振る舞えば復帰もありえるだろう。それは星壱の腕次第だ。
 深呼吸をしてから受話器を取った。
「もしもし」
『……』
「もしもし星壱さん?」
『俺だ』
「え?」
 聞き間違えるわけがなかった。理亜が誰よりも愛した男の声を。
「武さん?」
『ああ』
 理亜の胸が熱くなった。目からは涙が溢れてくる。
『理亜、すまなかった』
「そんな……、武さん」
『屋敷を出てきた』
「え?」
『離婚届けを妻に渡してきた』
「武さん。それは……」
『君には迷惑をかけた。これからそれを償おうと思う』
「武さん……」
『これからそちらに行く』
 そう言って唐突に電話は切れた。
「そんな……」
 理亜は受話器を落としてしまった。そして膝から崩れ落ちた。
――離婚?屋敷を出た?
 理亜はまだ見ぬ武の妻を想像した。彼女を不幸にしてしまった。武の会長職への思いを知っていた理亜は、武は何があっても辞職だけはしないと思っていた。ベッドの上で熱く語っていた武の姿が思い出される。
――なぜこんなことに。誰も不幸になんかしたくないのに……。
 また理亜の罪が増えていく。もはや溢れだしているのではないだろうか。やはり自分はわずかな幸せすら願ってはいけない女なのだ。理亜は愕然とした。涙が止まらなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 急にさくらに会いたくなった。あの人はなんと言ってくれるだろうか。仕方がないと慰めてくれるだろうか。それとも最低だと罵るだろうか。どちらでもいい。たださくらに会いたかった。
“がちゃがちゃ”
 鍵を開ける音がする。武が来たようだ。理亜は慌てて涙を拭って立ち上がった。
 扉を開けて入ってきた男はギラギラとした狂気の目を携えていた。
 
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