○九九七年、五月一一日(一五年前) 10

文字数 1,986文字

「さ、星次帰るわよ。タケもいつまで泣いてるの。さあ立って、立って」
 武が少し落ち着いたところで、元子は“パンパン”と柏手を打って二人を急かした。
 武の慟哭にたじろいでいたノブは、それを黙って見つめていた。その場にいた者のほとんどがさくらの敗北を実感し、場の終幕を見送ろうとしていた。
 ただ一人を除いて。
 
 天井に向かって放たれた銃声に注目が集まった。
「ふざけんな!このまま生きて帰すかよ。戦争だあ?上等だ!やってやるよ」
 高崎が繰り返し銃を天井に乱射しながら叫んだ。銃声に邪魔されて所々しか聞こえなかったが、何を言いたいかはおおよそ伝わった。元子はすぐに興味を失って、高崎に背を向けた。星次は最初から気にした様子もなく、武に肩を貸して歩き始めていた。元子も武の肩に手を回した。
「待てって言ってるだろうが!!」
「もう止めなさい。負けたのよ、あたしたちは」
「うるせえ!!俺はまだ負けてねえ!ぶっ殺してやる」
 高崎は元子の背中に狙いを定めた。
「だめよ!」
 さくらの声は高崎には届いていなかった。拳銃を握る手に力が籠もる。
 銃声が響きわたった。
 さくらは目を瞑った。もうおしまいだ。『元舞会』と『星龍会』の戦争は避けられない。何人もの人間が死ぬことになるだろう。――それに父さんにどう説明すればいいの。
 この一連の出来事は会長には無断だった。会長に何と言い訳すればいいのか。さくらの脳裏に父の冷たい目が浮かんだ。
 “パサ”カーペットに何かが落ちる音がした。さくらが目を開くと肩から血を流し、銃を握っていない高崎の姿が飛び込んできた。
 反射的にさくらは振り返った。部屋の入り口には三人の男が立っていた。その三人はさくらの知っている男達だった。
「父さん……」
 男は氷のように冷たい目を娘に向けていた。それが『元舞会』会長の目だった。一歩ずつさくらに近づいてくる。その度にさくらの心臓は激しく脈打った。
 目の前にすると会長の迫力はさくらを竦ませた。何も言葉を発することができない。
 会長は平手でさくらの頬をはたいた。女相手でも容赦のない平手だった。さくらはよろめいたが何とか倒れなかった。しかし、目の前がチカチカする。
 会長はその後さくらに目も暮れず、高崎の元に歩いていった。高崎は急に萎縮して震え始めた。
「か、会長……。これには訳が……」
 会長の拳が鼻にめり込んだ。高崎はそのまま吹っ飛び、首から床に落ちて気絶した。
 入り口には銃を持つ明弘と『ドリフト』の店長が立っていた。しかし、店長は立っていると言うより立たされているという方が正しい。手を後ろで決められて身動きが取れなくなっている。
 元子は武を星次に任せて、店長の前に立った。
「よくも裏切ってくれたわね」
「す、すいません。今後は二度とこのようなことは……」
「今後はないわ」
 明弘が店長の背中を蹴飛ばした。店長は無様に顔から床へ突っ伏した。
「次あたしの前に顔を出したら殺すわよ」
 店長は激しく何度も頷いた。
「そういえば、姉さん。何か忘れてない?」
 星次の問いに元子ははっと気がついた。
「忘れるところだったわ」
 元子は口元に手をかざして大声を出した。
「兄さんはどこにいるの。連れて帰るから教えて」
 会長はそれを聞いて高崎の襟首を掴んで起こそうとした。しかし、完全に意識を失っていて起きる気配はなかった。
「ここにはいないわ」
 代わりにさくらが答えた。
「どういうこと?」
「彼はもう何を言っても答えられない状態になってたの。だからここから追い出した。あんな状態では人質としての価値はないと判断した」
「そう。解ったわ。ありがとう」
 話を切り上げようとした元子をさくらが止めた。
「待って」
「あなたには負けたわ。とてもじゃないけど、あたしには真似できそうにない」
「あたしには怖い人が背中に憑いているの。その人の言葉があたしを呪いのように縛っている。だから銃なんて怖くも何ともないわ」
「すごいわね」
 さくらは元子が何を言っているのかよく解らなかったが、さくらよりも遙か高みにいることを理解した。
 そして、さくらは躊躇いがちに言った。
「こんなこと頼める立場ではないのだけれど……」
「何?」
「理亜のことは許してあげて。あの子は何も知らなかったの。あたしがあの子を騙して情報を引き出していただけ。あの子に罪はないわ」
「知ってるわよ」
 元子はさくらの前に手を差し出した。さくらはぎこちなくそれを握った。
「じゃあね。できればもう争いごとは無しにしましょ」
 元子はそう言い残して部屋を出ていった。さくらもそれには賛成だった。
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