○九九〇年、四月三〇日(二二年前)

文字数 914文字

 『星龍会』邸宅は怒声に包まれていた。声の主は星壱である。
「またかよ!いい加減にしろよ!」
 武は黙って星壱を見つめていた。
「何とか言えよ」
「何のことだ」
 星壱は大袈裟に溜息を吐いた。演技がかったように両手を広げて見せる。
「解らないなら教えてやる。あんたが昨日沈めた男のことだよ」
「知っていたのか」
「当り前だろう。俺を誰だと思ってる」
「見直したよ」
 武は薄く微笑んだ。本当に言葉通り感心したのだ。
「あんたが昨日連れてきたガキと関係あるのか?」
「……」
「あれは間違いなく虐待だ。しかもそれだけじゃない。まだ一〇歳らしいじゃねえか。初潮も来てるか解らないようなガキを……」
「やめろ!」
 星壱は武の剣幕に驚いたように、肩をビクッとさせた。武はめったに怒鳴ることはなく、星壱はその怒声を初めて聞いた。
「あの子は近日中に孤児院に引き取らせる。男の件はすまなかった。軽率だったと反省している」
 武は星壱に頭を下げた。それで自尊心を刺激されたのだろうか、星壱は満足そうに頷いた。
「解ればいいんだよ。ところであのガキの母親はいないのか?」
「……」
「何だよ」
「……五年前まではいたそうだ」
「そうか……。他に身内は?」
「祖母がいるが……。訪ねたら、“私には息子も孫はいない”とさ。息子共々いなかったことにしたそうだ。あの男は母親の反対を押し切って結婚した。その時に勘当したらしい」
「糞が!」
 星壱は絨毯の表面を蹴飛ばして、何も言わずに部屋を出て行った。
 星壱と入れ替わるように男が入ってきた。まだ二〇代前半だろうか。星壱によく似た、いや顔は似ているが全体的な雰囲気は星壱のそれよりも柔らかい印象を受ける。よく言えば優しそう、悪く言えば頼りない。
「星次か」
「武兄何かあったのか?壱兄が怒りながら出て行ったけど」
「いや、何でもない。あいつは俺の心配をしてくれたんだよ」
「素直じゃねえな、壱兄も」
「そうだな」
 そう言って武は星次の頭を撫でた。先程までの厳しい表情とは打って変わって優しい顔だった。星次も嬉しそうに微笑んだ。
 
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