○九九六年、一二月一日(一六年前)

文字数 1,041文字

 タバコ屋の南にクラブ『ドリフト』がオープンした。コンビニが潰れて更地になっていた土地を『星龍会』が買い取った。つまり『ドリフト』は『星龍会』直営の店ということになる。しかし、間に二つのダミー会社を挟んでいるので、一般的にはその事実はほとんど知られていない。
 代表は武が務めることになった。この年、武は三九歳。貫録も増して『星龍会』の顔になっていた。代表は武だが、店の名義人は武ではない。『星龍会』とは一切関係がない一般人から名義を借りている。もちろん無断で、である。
「店長、どうだ。いい子は揃ったか?」
「はい。この面子なら客を呼べるでしょう」
「引き抜きの際にトラブルはなかったか?」
「うちのキャストに手を出すなと文句言ってきた野郎もいましたがね。後ろをチラつかしたらどいつもこいつも黙っちまいましたよ」
 店長は舌なめずりをしながら答えた。『星龍会』の名前を出した時の相手の顔を思い出しているのだろう。強気に出ていた者が途端に卑屈な態度に変わる様を見るのは快感だ。この店長が、そう考えるタイプの人間だということを武はよく知っていた。
「言葉遣いに気をつけろ。お前は高級クラブの店長であってヤクザではないということを忘れるな」
「は、はい。すいません」
 武が一睨みすると店長は蛇に睨まれた蛙の様に小さくなった。
 店長に促され、武はホステス達がずらりと並ぶホールに顔を出した。煌びやかなドレスに身を包んだ二○名程の女達の視線が武に集中する。
「オーナーの山口さんだ。失礼のないようにしろよ」
 店長に紹介され、武は軽く会釈した。
 触れ回っているわけではないので、武が何者なのかを知る者は店長以外にはいない。しかし武の発する空気が堅気の者ではないことを如実に語っていた。誰もが失礼のない程度に目線を逸らしていく。そんな反応には慣れているので武は気にもしなかったが、一人だけ武から目線を外さない女がいた。外さないどころか凝視している。整った顔立ちで美しかったが、表情がまるでない。京人形のような女だった。
「あの女は?」
 武が小声で店長に確認した。店長は素早くファイルを開いて見せた。
「理亜……」
「リアなんて外人のような源氏名でしょう。本名は工藤愛といいます。あの女がお気に召しましたか?」
「いや……」
 否定はしたが図星だった。その日から武は理亜の顔が忘れられなくなった。なぜそれ程気になるのか、武自身にも解らなかった。
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