○九九七年、一一月一五日(一五年前)

文字数 3,191文字

 武は星次をガラス越しに眺めていた。
 刑が確定し、拘置所から刑務所に移ってから一週間後、星次が面会に来た。もう二度と会うことはないと思っていたので、武は驚いた。
「久しぶり」
 星次は今までと変わらない無邪気な笑顔だった。
「ああ」
 武はぶっきらぼうに答えた。正直どんな顔をして会えばいいか解らなかった。
「何だよ。暗いなあ。体調悪いの?」
「いや、体調は悪くない」
「まあ、いいや。警察から聞いたかもしれないけど」
「……」
「壱兄と美雪さんはだめだった。救急車が来た段階ですでに手遅れだった」
 解っていたことだが、星次の口から聞くと、それが紛れもない真実だと実感してしまう。
「そうか……」
「姉さんは来れないって言ってた」
「ああ、それでいい。俺のことなんて忘れた方がいいんだ」
「うーん。ちょっと違うんだけどね」
「何が違う」
「それは俺の口からは言えないよ。出所したら自分で聞いてよね」
 会えるわけがない。武は元子に会わせる顔を持っていなかった。
「まあ、それは置いといて」
 武は気がつくと俯いてしまっていた。顔を上げて星次を見る。
「武兄も色々疑問に思ってることもあるんじゃないかと思ってさ。俺に答えられることがあったら答えるよ」
 確かに疑問に思うことはいくつもあった。でも今はもうどうでもいいと思えた。知ったところで何が変わるわけでもない。しかし、――そういえば……。
「『元舞会』とはどうなった」
「大丈夫だよ。『元舞会』もやっと後継者が決まってね。それが話の解る人なんだ」
「高崎がか?」
「ああ、あの婿養子ね。今は離婚して平の組員に降格したよ。だから名字も高崎に戻った」
「じゃあ、誰が」
「さくらさんだよ。彼女が次期会長だ。そして彼女と不戦の誓いを結んだ」
「そうか……良かった」
「そういえば、姉さんすごいことしたんだぜ」
「すごいこと?」
「組員全員集めて、叫んだんだ。“これからは暴力行為禁止!”ってね」
「はは、元子らしいな」
「お!やっと笑顔になったな」
 武は緩んだ頬を元に戻した。
「何だよ。笑えよ」
「俺に笑う資格はない」
「何だよ、資格って。そんなもんに資格がいるのか?」
「……」
「武兄、何背負ってるんだ?」
「え?」
「あんたは今何を背負ってるんだ?」
「俺は……」
 何も背負ってなんていなかった。『星龍会』の会長でもなく元子の夫でもない。武は自分が背負うものはもう何もないと思った。
「そうだった。俺にはもう何もなかった」
「違うだろ!」
 星次が声を荒げた。星次は何が言いたいのだろう。
「武兄は親父の思い、美雪さんの思い、それに壱兄の思いを背負ってるんじゃないのか?」
「そんなもの背負ってねえよ」
「じゃあ三人は何の為に死んだんだ」
「俺が馬鹿野郎だからだよ。俺がいなきゃ三人は死ななかった」
「そうかもしれない」
「かもじゃねえよ」
「それでもだ!三人は全員、武兄、あんたのために死んだんだ」
「え?」
「親父は武兄の復讐を果たさせるために、美雪さんは武兄を庇って、壱兄は武兄の望みを果たすために……、死んだ」
「星次、お前……」
「壱兄が親父の死を調べさせていたことが不思議だったんだ。なぜ、壱兄は親父の死に疑問を持ったのか?」
「……」
「壱兄は勘がいい方じゃない。だから自分で気がついたとは思えない。では誰が壱兄の思考を誘導したのか?そこで考えてみた。当時、親父の死の真相を知っていたのは何人いたか。姉さん、梅婆さん、そして俺。
 姉さんが教えたとは思えない。そんなことしたら武兄と壱兄の関係がこじれるだけだし。梅婆さんは姉さんにしか情報は話さない。俺が聞いても絶対答えてくれない。梅婆さんはプロの情報屋だから、信頼できる。壱兄さんに話すようなことはしない。もちろん俺も話していない。
じゃあ壱兄は誰から聞いたのか?」
「……」
 武は自分が苦笑いしていることに気がついた。自分の罪状を読み上げられている気分だった。
「俺の推理はそこで行き詰まった。でもよくよく考えると、真相を知る者がもう一人いることに気づいた」
「俺のことか?」
「そう!武兄だよ。武兄が自分で壱兄に教えたんだ。と言っても直接伝えた訳じゃない。壱兄に近づかせていた部下にそれとなく伝えさせたんだ。多分“親父の死は本当に病死なんですかね。殺人じゃないですか?武さんが怪しいですよ”ってな感じでね」
「何のために?」
「自分を殺させるためだよ」
「死にたいなら自殺すればいいと思うが?」
「それでは意味がない。親父の息子に自分を裁かせたかったんだ。武兄、あんたは親父を殺した後、のうのうと生きる気はなかったんじゃないか?会長職に執着もしていなかった」
「……」
「どうなんだ?武兄」
「矛盾があるぞ、星次」
「何がだよ」
「星壱に殺されることを望んでいたのなら、なぜ明弘を星壱に近づけさせて暗殺を阻止したんだ?」
「明弘は元々武兄の部下じゃない。壱兄の部下だ。明弘が突然壱兄を裏切ったんだ。
恐らくだけど、明弘が壱兄の暗殺計画を武兄に話した時にはとっくに知ってたんじゃないか?壱兄の傍には武兄の部下がいるんだからね。明弘が手に入れられる情報はその部下も掴んでいる。
 知った上で殺されるつもりだったんだ。だから明弘の裏切りは予想外だった。もし武兄が明弘の言を信じなかったら、明弘は他の幹部に話してしまうかもしれない。もしかしたら姉さんにも伝わってしまうかも。だから、仕方なく明弘を受け入れたんだ。
 その証拠にすべての対応を明弘に任せている。武兄の性格からして重要なことを人任せにするとは思えない。皮肉なことに明弘が思ったより優秀だったので、暗殺は失敗に終わってしまった。
 しかし、あの場では武兄は流れに任せるしかなかった。あの状況で壱兄を許したら、幹部は黙っていなかったろう」
「……」
「だから姉さんが壱兄の命乞いをした時は、最終的には認めるつもりだったんじゃないのか?」
「ふ、見事だな、星次。その通りだよ」
「やったぜ!」
 星次は指をパチンと鳴らした。
「あの時は許すつもりだった。でも元子が離婚届けを出汁に使うとは思わなかった。それに浮気がばれているとは思っていなかった」
「言ったろ。姉さんの勘はすごいんだって」
「本当だよ。ははは」
 武は気がつくと、昔のように星次と話していた。まるで兄と弟のように。
「だから暗闇から星壱がナイフを持って走ってきた時、俺は正直ほっとした。これで終われるって思った……」
「でも美雪さんが代わりに死んだ」
「俺なんかのために……、あいつは馬鹿だよ」
「おかげで武兄は死ねなくなった」
「え?」
「だろ?死ねば美雪さんの行為が無駄になる。だからどんな形でも武兄は生きなくちゃいけないんだ」
「ああ」
「美雪さんは武兄にそれを気づかせるために死んだんだ」
「そんなことのために死んじまうなんて……。あいつの人生は何だったんだろうな」
「美雪さんの死に際の言葉覚えてるか?」
「ああ」
「あの日、あたしは命をもらった。あなたを護って死ねるならそれでいい。ありがとう」
「……」
「美雪さんは幸せだったんだと思う」
「だといいけどな……」
 刑務官が面会時間の終了を告げた。武は立ち上がった。
「星次」
「うん?」
「お前は俺が会長職に執着していなかったって言ったけどな。俺はものすごく執着していたぜ」
「え?」
「親父に追いつくにはそれしかないって思っていたからな」
 
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