○九九七年、五月一〇日(一五年前) 4

文字数 841文字

 終わった。何もかも終わってしまった。でもこれでいいのだろう。武は漠然とそう考えた。
 元子を幸せにすることはできなかった。しかし身から出た錆、これが報いなのだろう。理亜は武を受け入れてくれるだろうか。突然理亜を捨てた武を。理亜を傷つけた武を。
 あれほど執着していた地位も、どうでもよくなった。武がしてしまった愚かな行い、その動機でもあり唯一の正統性を証明するものでもあった事実が崩れ去った。罪を一生背負っていく覚悟をもって行動したのに、すべてをひっくり返された気分だった。
 急に理亜の顔が浮かんできた。理亜と別れて思ったことがある。――俺と理亜は似ているのではないか。どちらも幸せが掌から零れ落ちていく。
 武は理亜を愛してはいなかった。でも今、武は理亜を幸せにしようと思っている。それ以外に自分の存在意義はないように思えた。
 星壱に感謝しなくてはなるまい。ある意味奴が背中を押してくれた。武は自嘲の笑みを漏らした。
 星壱と理亜は知り合いだったのだろうか。それとも理亜の存在を知った星壱が利用しただけだろうか。武はもうどちらでも構わなかった。今後星壱が理亜に関わろうとするならば、全力でそれを阻止する。それだけを心に誓っていた。
 武には父親になる自信などなかったが、荒みきっていた心がその知らせでわずかに癒された気分だった。
 理亜のマンションに着いた。エレベーターを降りて部屋の前に立った。少し緊張しながらインターホンを押した。
「ん?」
 返事がない。先程、電話した時には居たはずなのに。もう一度押してみたが反応はなかった。
理亜は武に会いたくないと思ったのだろうか。それも当然だと思った。仕方がない。『ドリフト』に行ってみようか。理亜の行動範囲といったら家か店しか考えられなかった。――俺は理亜のこと何も知らなかったんだな。
 改めてそう思った。店に行っても見つからなかったら、もう一度電話してみようと思った。武はエレベーターに乗った。
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