第116話 激闘!甲子園●「神に祈る」

文字数 2,184文字

 青雲大附属にとって三塁側ベンチから見える対戦チームの応援団は異様な光景であった。CL学園の在校生によって「勝利」「努力」「栄光」といった人文字が作られる。内野席に陣取った応援団は各自、絵の具によってカラフルに塗られたボードを持っており、計算されたマスゲームによって文字が決まるのである。
 さらに通常時は全員が左手に数珠を持ち、お経のような文句を大合唱する。試合開始前から、この応援は始まっている。織田監督は溜息をつきながら
 「たまらんねぇ。こいつら全員CL教団の信者なの?勝っても負けても神様の仰せとは気楽っちゃ気楽でいいかもしれねぇなぁ。向こうが神やら信仰やら訳の判らんものに頼るんなら、こっちは現実的に科学と技術で対抗してやろうじゃねぇか!何せ、このチームにゃ数学の大先生がおられる」
 と隣にいた天野部長を指差した。天野は真っ赤な顔をして照れながら
 「やめてください!織田さん。私は…そんな。しかし皆、私の聞いている話ではCL学園はスポーツ学級と勉強学級に分かれていて、最近ではプロ野球球団並の猛練習をしていると聞く。ちなみに勉強クラスの偏差値は全国でもトップレベルの学校だ。創立したばかりの野球部だが、常勝チームを育てるために指導者も全国から集めているという。一つのミスが命取りになると思って試合に臨むべきだ」
 「そうだ!青雲は文武両道をモットーにやってきたチームだ。ろくに授業も受けてない奴らに負けるんじゃねぇぞ!ってことですよね。天野先生?」
 「織田さん。何だか訳の分からない話になっちゃったじゃないですか?」
 織田と天野のやり取りにベンチは大爆笑になった。織田は頭を掻いてごまかしているが、何だかまとまらなくて困っていた。それを見兼ねたキャプテンの矢吹は
 「CLの連中は神に頼っている。それはそれで連中の勝手だ。では俺達は、どうするか?自分に頼ろうじゃないか!俺達だって、ここまで来るのに努力してきたんだ。神なんかに頼らなくても勝利はある!」
 「さすがキャプテン。いいこと言うな」
 織田が矢吹を冷やかした。しかし織田も天野も矢吹も、このCL学園野球部の試合前練習で見せた動きの良さに一抹の不安を感じた。さらに矢吹には一つの不安があった。それは江口敏のコントロールの良さである。それをごまかすためにダミーサインで首を振らせてきた。由良明訓はもとより、ここまで鍛えられた野球部には、そんなことは見透かされているような気がしたのだ。
 「江口よぉ。今日の相手は手強い。だからサインを今までよりも複雑にしたいんだ。球数ごとに変えていこう。一球目は一番目のサイン。二球目は二番目のサインと言ったぐあいに本当のサインをズラしていくんだ」
 「いいねぇ。じゃあ三球目は三番目のサイン。それで四球目には一番目のサインに戻ればいいんだよね?」
 「お前は勉強は出来る癖に、単純な野郎だな。こういう学校は部員の人数も多いし野球部の設備もプロ並だ。そんな単純なサインパターンじゃ、スタンドのあちこちに潜んでいる補欠部員に見破られるぞ!四球目には二番目のサインに戻るんだ。ちなみに打者が変わってもリセットしない。イニングによって一、二、三番の順番を変えていくから、しっかり覚えろよ」
 「えらく難しいなぁ。サイン違いしなきゃいいんだけど…」
 矢吹は少し考えた。ずば抜けた野球技術だけを身につけた江口は野球の中に含まれる騙し合いとか、駆け引きが苦手なのではないか?真っ向勝負することだけしか頭にないのではないか?という江口の本性に今更ながら気が付いたのだ。
 「と言っても江口の場合は球種は三つだ。ストレートにカーブとスクリューボール。俺だって、ここまでキャッチャーとして頑張ってきたんだ。変化球は間違っても捕球できる。怖いのは変化球のサインでストレートが来てしまった時だ。そこだけ絶対に勘違いしないでくれ」
 「矢吹君。判った。テレビで見たけどCL学園の野球部にはプロ野球で使うようなピッチングマシンが装備している。僕の速球に合わせてくる練習は積んでいると思った方がいいね」
 これまでの矢吹と江口の相談を見ながら天野がアドバイスを与えた。
 「さすがに矢吹君。よく相手を研究しているね。ならばストレートだけはバッターの背番号で決めたるといい。打順だと見破られることがある。背番号が奇数ならグー。偶数ならパー。三の倍数…つまり三番、六番、九番。そして十二番。彼らにはチョキ。この法則に気付く頃には試合は終わっているさ」
 「さすがは天野先生だな。打順ではなく背番号でサインを変えるのは良いアイデアだ。プロ野球みたいに二十八番とか三十四番の選手はいねぇから、そう簡単にサイン違いは起きねぇよ。おい!皆!俺は宗教って奴が大嫌いだ!初詣で賽銭やったって奇跡なんぞは起きやしねぇ。CLの連中に神などいないってことを思い知らせてやれ!神頼みの野球部に負けたんじゃ打倒由良明訓が泡みたいに消えちまう。それだけをこの試合で考えろ!」
 織田の号令で強気になったナインはグラウンドに出た。すでに名東大附属相模原を下した由良明訓は決勝進出を決めている。良きライバルであり、同時に不思議な友情も芽生えている。田山、岩城、馬場、里中…あいつらと、もう一度、甲子園で戦うんだ…という決心と目標を身体に刻み付けたのであった。
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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