第101話 三度目の桜●「背番号8」

文字数 2,666文字

 「言いづらいんだが…里中には、この背番号で最後の夏を戦って欲しいのだが…」
 普段は毅然とした態度の土井監督が弱ったような表情になっていた。その手には新しい背番号が握られていたのである。
 「あ…8番ですか?センターですね。ということは1番は浜ですか?」
 「まぁ、そういうことになるな。勘違いしないでくれ!俺だけじゃなく皆、浜よりも里中の方がピッチャーとして頼りになると思っている。だがなぁ…。過去の記録を徹夜で洗いなおしたらピッチャー浜。センター里中でのオーダーの方が由良明訓のディフェンスは強固になるんだ」
 「そりゃ分かりますよ。俺の方が守備範囲広いですから…」
 「攻撃面でもなぁ。里中も先発の試合には、あまり思い切って打ててないだろう。出塁しても守りのことを考えると盗塁はさせられない。ただ外野手としての起用なら走れる。馬場もかなりの俊足だが、お前には敵わない。俺が現役の捕手でも一塁ランナーが里中だったら警戒する。それによって守備陣形が崩れ田山に繋げやすくなる。守備攻撃の両面から考えても三番センター里中は俺の理想のオーダーなんだ」
 里中繁雄の脳裏では二年前の春を思い出していた。ソフトボール部出身とバカにされた入部初日。足の速さで当時の織田監督と土井キャプテンに認められたこと。外野からの返球を見ていた田山三太郎が見抜いたピッチャーとしての資質。そして三年生のエース大川の控え投手として貰った背番号10番。予選も甲子園も、その10番を背負ったまま投げぬいた。
 三年生の部活引退により、晴れて背番号1番でエースになる。控えピッチャーで頼りになる選手のいない状態で投げぬいた選抜大会。二年生になって自分に挑む浜の存在。同一チームでのライバル関係は理想的な効果となり、夏、選抜と二人で投げぬいた。入学以来、甲子園大会四連覇を成し遂げた。
 キャプテンをやっていた三年生の頃から土井のことは知っている。このキャプテンを信用しようと決めたのは一年生の田山のキャッチャーとしての実力は自分より上と決断し、自分は一塁手に回り田山に捕手の座を譲った時だ。打順も田山を四番に据え、自分は三番打者におさまった。
「この人は自分の評価よりもチームを勝たせることを優先にする人だ」と思えた。逆に
 「この背番号1は俺のものだ。お前は一年生なんだから10番を付けておけ!」
 などと言って背番号だけエースにこだわった大川が惨めに見えた。学生運動に加担した大川が警察に逮捕されたと聞いても里中は気の毒に…とは思えなかった。チームのために尽くした土井は松映ロビンスからドラフト一位指名という評価を与えられている。
 「いいですよ」
 里中は、そう言うと腋の下にぐっしょりと汗をかいているのを感じた。内心、俺は無理をしている…とも思った。背番号1は誰にも渡さない。1番のままセンターを守る試合があってもいいじゃないですか!」という言葉が出てもおかしくない心境だった。
 「これまで通り、ピッチャーとしての練習も続けるんですよね?」
 土井は、どこかほっとした表情になり、里中の肩に手をやった。
 「ありがとう。ここだけの話だが俺はお前たちの卒業と同時に由良明訓野球部監督を辞任するつもりだ。後のことを考えると浜をエースに池田をキャッチャーにした新チームを作る土台も、この夏に作ってあげなきゃいけない。浜に1番を背負わせて自覚をさせるのも目的だ」
 「さすがに監督だ。岩城はキャプテンですが次期チームのことまで考えてませんよ」
 「いや。そうでもないぞ。浜と池田に居残りの打撃練習をさせていた。確かに田山、岩城、馬場、そしてお前がいなくなったら今までのような強い由良明訓ではなくなるだろう。だけど、みっともないチームにして俺までいなくなったら、浜達もつら過ぎる。それに里中、東京ガイヤンツに田宮さんというピッチャーがいたのを知っているか?」
 「中学の頃にテレビで観てましたよ。最近は試合に出てないみたいですが八時半の男と呼ばれたピッチャーですよね」
 「そうだ。うちの打線ならば必ずリードして試合終盤を迎える。どんなに点差が離れていても八回になったら里中が投げる。例え浜が完封していても八回からお前だ。選抜大会でも浜に先発させてお前をリリーフに出すと相手は戸惑う。速いストレートに目が慣れた頃にサイドスローの変化球投手を出す。先発をするより、リリーフに回った試合を調べたら防御率0.00と出た。つまり一点も取られていないのだ」
 甲子園大会は勝ち進むごとに試合日程が厳しくなる。準々決勝からは三日連続で投げることにある。去年の選抜大会だけは他にピッチャーがいないため一人で投げ抜いた。打線で支えられて勝つことは出来たが、内心「雨でも降らないかな」と願っていた。涼しい選抜大会でも体力は消耗する。浜の入部以降は二人で投げていたが、それでも決勝戦となるとストレートの威力は減り、得意のシンカーも変化が小さくなり、投げていてヒヤッとするボールもあった。
 この二年間、ずいぶんとトレーニングも積んだ。筋肉も増えているはずだが里中の見た目はあまり変わっていない。体重は増えにくい体質なのだろう。むしろ一年生の頃は細身だった後輩の浜は、ずいぶんと逞しくなっていた。
 もともとキャッチャーだった土井は監督になってからも里中や浜の練習相手を務めた。投げているピッチャー自身は球威はあると思っていても受けているキャチャーには投手の疲れを感じることがあるのだろう。
 「確かに2イニングを完璧に抑えるならスタミナ配分など気にせずに投げられますね。一年の夏、土井さんがキャプテンの時に決勝で試合をした新山選手が甲子園での連投で故障していてガイヤンツの二軍戦さえ投げてないというから、監督の方針でいいと思います。それに監督は気づいていると思いますが一年生に面白いピッチャーがいますね」
 「里中も気がついていたか!田山達の出た鷹陸中学出身らしいな。二本松とか言う変な名前の奴だ。お前から浜へと受け継がれた美男子エースの伝統は、あいつで終わるだろう」
 「最初は全然、期待してませんでしたよ。がに股で不恰好。投球フォームも野手の送球みたいですね。でも、ごっつい腕から力のこもったボールがビュンビュン来る。獅子舞みたいな顔で高校生には見えない。おっさん混じってるみたい。でも、あいついいですよ!」
 「里中も、見かけによらず口が悪いな!しかし、獅子舞とは上手いことを言ったもんだ。二本松には悪いが笑いが止まらないぜ!」
 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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