第149話 光と影●「再会」

文字数 2,765文字

 大阪体育大学の推薦入試の取りやめによってノンプロ全丸大に入社した里中繁雄だったが、その好条件に驚いていた。まず名古屋駅周辺にある独身寮では一人部屋が与えられた。服飾も手がける丸大グループから背広、ワイシャツ、ネクタイ、革靴も予備を含めて数着の支給があった。もちろん野球部に所属するのは前提条件なのでユニフォーム、スパイク、グローブ、バット等も新調されて支給された。高校野球の地味なユニフォームと違い。目が覚めるような青にオレンジの文字があしらわれた派手なユニフォームには里中も驚いた。
 運動部出身の新入社員は商品の倉庫管理や物流部に配属されるのが全丸大の通例であったが、里中のスマートな身体と端正な顔立ちを気に入った本社上層部は名古屋駅前にある丸大百貨店への配属が決まった。甲子園での活躍を知り、スポーツ用品売り場が里中を獲得したがったが、紳士服売り場もスマートな背広姿を気に入り、争奪戦となった。
 里中繁雄の知る由ではないが、丸大百貨店上層部では、すったもんだの末、「あのハンサムは女性客を呼べるだろう」と判断。婦人服フロアの呉服売り場に配属された。朝八時の出社は高校時代の早朝練習に比べれば気楽で、午前中だけの業務をこなせば午後はグラウンドでチーム練習が始まる。練習後に業務に戻る選手もいる中、里中は免除という条件だった。
 日向助教授の口添えによる「お情け入社」と思い込んでいた里中は予想以上の優遇に驚いた。監督の下川は野球技術よりも基本的な身体作りを大切にするタイプだった。プロ野球のスカウトからは「細すぎる」と言われた痩身を逆に下川は高く評価していた。「筋力アップなど必要ないよ。ウエイトを増やそうとせずに今のままの身体でいなさい」と言ってくれた。
 「ノンプロと言っても高校野球とは雰囲気が違う」というのが里中の第一印象だった。ベンチ裏には喫煙用の灰皿があり、先輩達はタバコを一服しながら歓談している。髪型なども自由で、どこかヤクザっぽくリーゼントにしている二人組が目立っていた。こういう連中に嫌われると、その先がやりづらいと考えた里中は
 「由良明訓高校出身の里中繁雄です。これから全丸大チームにお世話になります」
 と礼儀正しく挨拶をした。ところが
 「ぎゃはは!サトちゃん。俺たちのこと忘れちゃったの?」
 「覚えてねぇのかい?甲子園のスターは冷たいな。それに俺たちも新入部員だ。敬語なんか使ってんじゃねぇよ」
 そう言われて少し緊張しながら顔を挙げると、確かに雰囲気は変わったが見知ったような顔の二人がいた。
 「あ!思い出した!お前らは愛徳高校の中間と加藤!なんだよ!その頭は、まるでヤクザ映画だぜ。それに未成年の癖にタバコなんか吸いがって!」
 二人は大笑いしながら、里中に握手を求めた。
 「これこそ。昨日の敵は今日の友ってとこだ。よろしく頼むぜ」
 「もう高校生じゃねぇんだ。スポーツやりやすきゃ髪の毛なんて、どうでもいいんだよ。それにお前さんみたいな百貨店勤務じゃなくて、俺らは肉体労働の物流業務だ。早い話がトラック兄ちゃんってとこだ。会社も容姿にはうるさいこと言わねぇよ」
 一応、里中は納得したが、
 「お互い未成年だろ。タバコはどうなんだよ?」
 と問いただした。面倒臭いなぁという顔をしながら陽気な中間は
 「もちろんスポーツ選手がタバコを吸うのは良かぁないわな。ただ、ここの下川って監督は適度な喫煙で仕事と野球に切り替えが出来るんなら、別に構わないって考え方なんだよ。もちろん試合中にベンチで吸うなんてのは禁止だがな」
 「まぁ一緒にタバコ吸おうぜ…と誘いやしねぇが、サトちゃんもビールぐらいは飲めるようになっとけよ。今日から俺たちも社会人だ。お付き合いってのは大事にしねぇとな」
 練習が始まると加藤と中間も、けっこう真剣になる。短距離を走る瞬発力も長距離ランニングのスタミナも、なかなかなものだと里中は感心した。名古屋では「愛徳みたら110番」と言われる悪名高き不良高校だが、伊達に愛知県代表として甲子園に出場したチームで三番と四番を打つ主力選手ではなかった。
 二時間ほど経過して里中にもピッチングの機会が与えられた。初めて組むキャッチャーだったが里中の鋭いカーブやシンカーを的確に捕球する。「俺が思っていたより、ノンプロ野球ってのもレベルが高いな」と実感した。
 夕方五時に練習が終わった。高校時代も厳しい練習をしてきていたので余力を残して終わる感覚だった。
 「中間、加藤。もし時間があったら夕飯でも食べにいかないか?」
 対戦した時には下品でガラが悪くて嫌な選手だと思っていたが、彼らの練習ぶりを見て里中も二人の実力を認めたのだ。だが加藤が険しい顔で
 「里中よぉ。お前は会社も期待している選手だから、夜の業務も免除されてるかもしれねぇが、俺たちは、そうもいかねぇんだ。入社前に車の免許も取らされたし、これから一箇所でもいいから配送しないきゃなんねぇ。給料分は働かないとな」
 中間も同じで夜の配送があるようだった。「じゃな」と言いながら里中に手を振り、駐車場へ向かいながら、ふいに振り向いた。
 「そういやぁよぉ。百貨店の方には元のレコがいただろ?」
 と言いながら小指を立ててみせた。
 「レコ?なんのことだ?」
 「レコも知らねぇのか?田舎の真面目ちゃんは話が遠いのぉ。レコってのはコレの逆。早い話が、前の里中の女がいただろうって意味だ」
 「俺の女?」
 「朱美だよ。朱美。あのズベ公も前は俺らと同じ名古屋の不良仲間だったけどよ。一大決心して真面目に働きだしたんだ。今じゃ丸大デパート化粧品売り場で凄い売り上げ上げてるようだぜ!」
 加藤が、いつになく真面目な顔で里中に言った。
 「俺に言われる筋合いじゃねぇかもしれないし。お前と朱美との間に何があったか?は知らねぇよ。だが元由良明訓の里中が全丸大に入社したってことを、あの朱美が知らないってこたぁねぇと思うぜ。中卒の不良娘と周りから馬鹿にされながらも一年頑張って売り場の班長にまで出世した女だ」
 「いや…俺は全然、知らなかった」
 中間も普段のおどけた態度ではなく
 「まぁ入社して日が浅いからな。でも、こうやって同じ職場になったのも何かの縁だ。女の朱美の方からお前に会いに行くのは周りの目もある。朝でも何でもいいから、お前の方から化粧品売り場に行って挨拶ぐらいするのが筋ってもんじゃねぇかな?その後のことは二人の問題だから俺は何も言わねぇよ」
 そう言い残すと加藤と中間は急いでトラックに乗り込んで行った。里中は全丸大に入ることで高校三年間がなかったことのように新天地が広がると思っていた。加藤と中間は、ともかく。あの朱美が同じデパートにいると知り、ただただ驚くだけであった。
 
 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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