第149話 光と影●「再会」
文字数 2,765文字
運動部出身の新入社員は商品の倉庫管理や物流部に配属されるのが全丸大の通例であったが、里中のスマートな身体と端正な顔立ちを気に入った本社上層部は名古屋駅前にある丸大百貨店への配属が決まった。甲子園での活躍を知り、スポーツ用品売り場が里中を獲得したがったが、紳士服売り場もスマートな背広姿を気に入り、争奪戦となった。
里中繁雄の知る由ではないが、丸大百貨店上層部では、すったもんだの末、「あのハンサムは女性客を呼べるだろう」と判断。婦人服フロアの呉服売り場に配属された。朝八時の出社は高校時代の早朝練習に比べれば気楽で、午前中だけの業務をこなせば午後はグラウンドでチーム練習が始まる。練習後に業務に戻る選手もいる中、里中は免除という条件だった。
日向助教授の口添えによる「お情け入社」と思い込んでいた里中は予想以上の優遇に驚いた。監督の下川は野球技術よりも基本的な身体作りを大切にするタイプだった。プロ野球のスカウトからは「細すぎる」と言われた痩身を逆に下川は高く評価していた。「筋力アップなど必要ないよ。ウエイトを増やそうとせずに今のままの身体でいなさい」と言ってくれた。
「ノンプロと言っても高校野球とは雰囲気が違う」というのが里中の第一印象だった。ベンチ裏には喫煙用の灰皿があり、先輩達はタバコを一服しながら歓談している。髪型なども自由で、どこかヤクザっぽくリーゼントにしている二人組が目立っていた。こういう連中に嫌われると、その先がやりづらいと考えた里中は
「由良明訓高校出身の里中繁雄です。これから全丸大チームにお世話になります」
と礼儀正しく挨拶をした。ところが
「ぎゃはは!サトちゃん。俺たちのこと忘れちゃったの?」
「覚えてねぇのかい?甲子園のスターは冷たいな。それに俺たちも新入部員だ。敬語なんか使ってんじゃねぇよ」
そう言われて少し緊張しながら顔を挙げると、確かに雰囲気は変わったが見知ったような顔の二人がいた。
「あ!思い出した!お前らは愛徳高校の中間と加藤!なんだよ!その頭は、まるでヤクザ映画だぜ。それに未成年の癖にタバコなんか吸いがって!」
二人は大笑いしながら、里中に握手を求めた。
「これこそ。昨日の敵は今日の友ってとこだ。よろしく頼むぜ」
「もう高校生じゃねぇんだ。スポーツやりやすきゃ髪の毛なんて、どうでもいいんだよ。それにお前さんみたいな百貨店勤務じゃなくて、俺らは肉体労働の物流業務だ。早い話がトラック兄ちゃんってとこだ。会社も容姿にはうるさいこと言わねぇよ」
一応、里中は納得したが、
「お互い未成年だろ。タバコはどうなんだよ?」
と問いただした。面倒臭いなぁという顔をしながら陽気な中間は
「もちろんスポーツ選手がタバコを吸うのは良かぁないわな。ただ、ここの下川って監督は適度な喫煙で仕事と野球に切り替えが出来るんなら、別に構わないって考え方なんだよ。もちろん試合中にベンチで吸うなんてのは禁止だがな」
「まぁ一緒にタバコ吸おうぜ…と誘いやしねぇが、サトちゃんもビールぐらいは飲めるようになっとけよ。今日から俺たちも社会人だ。お付き合いってのは大事にしねぇとな」
練習が始まると加藤と中間も、けっこう真剣になる。短距離を走る瞬発力も長距離ランニングのスタミナも、なかなかなものだと里中は感心した。名古屋では「愛徳みたら110番」と言われる悪名高き不良高校だが、伊達に愛知県代表として甲子園に出場したチームで三番と四番を打つ主力選手ではなかった。
二時間ほど経過して里中にもピッチングの機会が与えられた。初めて組むキャッチャーだったが里中の鋭いカーブやシンカーを的確に捕球する。「俺が思っていたより、ノンプロ野球ってのもレベルが高いな」と実感した。
夕方五時に練習が終わった。高校時代も厳しい練習をしてきていたので余力を残して終わる感覚だった。
「中間、加藤。もし時間があったら夕飯でも食べにいかないか?」
対戦した時には下品でガラが悪くて嫌な選手だと思っていたが、彼らの練習ぶりを見て里中も二人の実力を認めたのだ。だが加藤が険しい顔で
「里中よぉ。お前は会社も期待している選手だから、夜の業務も免除されてるかもしれねぇが、俺たちは、そうもいかねぇんだ。入社前に車の免許も取らされたし、これから一箇所でもいいから配送しないきゃなんねぇ。給料分は働かないとな」
中間も同じで夜の配送があるようだった。「じゃな」と言いながら里中に手を振り、駐車場へ向かいながら、ふいに振り向いた。
「そういやぁよぉ。百貨店の方には元のレコがいただろ?」
と言いながら小指を立ててみせた。
「レコ?なんのことだ?」
「レコも知らねぇのか?田舎の真面目ちゃんは話が遠いのぉ。レコってのはコレの逆。早い話が、前の里中の女がいただろうって意味だ」
「俺の女?」
「朱美だよ。朱美。あのズベ公も前は俺らと同じ名古屋の不良仲間だったけどよ。一大決心して真面目に働きだしたんだ。今じゃ丸大デパート化粧品売り場で凄い売り上げ上げてるようだぜ!」
加藤が、いつになく真面目な顔で里中に言った。
「俺に言われる筋合いじゃねぇかもしれないし。お前と朱美との間に何があったか?は知らねぇよ。だが元由良明訓の里中が全丸大に入社したってことを、あの朱美が知らないってこたぁねぇと思うぜ。中卒の不良娘と周りから馬鹿にされながらも一年頑張って売り場の班長にまで出世した女だ」
「いや…俺は全然、知らなかった」
中間も普段のおどけた態度ではなく
「まぁ入社して日が浅いからな。でも、こうやって同じ職場になったのも何かの縁だ。女の朱美の方からお前に会いに行くのは周りの目もある。朝でも何でもいいから、お前の方から化粧品売り場に行って挨拶ぐらいするのが筋ってもんじゃねぇかな?その後のことは二人の問題だから俺は何も言わねぇよ」
そう言い残すと加藤と中間は急いでトラックに乗り込んで行った。里中は全丸大に入ることで高校三年間がなかったことのように新天地が広がると思っていた。加藤と中間は、ともかく。あの朱美が同じデパートにいると知り、ただただ驚くだけであった。