第1話 序章・前書き●「急変する文化の波の中で」
文字数 4,959文字
ベトナム戦争の泥沼化は長引き深刻な状況へと展開し、アメリカとソ連の競い合うように宇宙へロケットを飛ばし合った。それは両国の科学力と軍事力を競い合うデモストレーションであったことは誰の目にも明らかだった。
不安な社会情勢は若者たちの意識を活発に覚醒させる。アメリカ、イギリスはもちろん日本に於いても学生運動は盛んになっていった。英国のアイドル、ザ・ビートルズさえもデビュー当初のラブソング一辺倒のメッセージから「レボリューション」=「革命」というテーマから新曲をリリースし、そのザ・ビートルズと双璧をなすローリング・ストーンズも「ストリート・ファイティングマン」という明らかに政治的なメッセージを含む新曲はリリース。これらの曲はヒットしポップス音楽も若者たちへの思想に影響を与えるカルチャーへと変貌していった。
ベトナム戦争を始めとするアメリカとソ連による冷戦構造は不幸な時代と語ることが多いが、反面では幸福な時代であったと語ることができる。不安や怒り、憂鬱など一見するとネガティヴな感情や情緒は時として人に先進的な発想や発見を与えることがある。平穏な時代では眠っていた才能が次代の引き起こす不幸によって覚醒させるのだろう。
ザ・ビートルズを筆頭とするポピュラー音楽市場に於いてはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバスという3つのグループが登場し、新しい刺激的なナニか?を求める若者たちに熱狂的な支持を得た。いずれも、それまでのポップスに求められた楽しさや可愛らしさ、明るさとは無縁の異質なポピュラー音楽であった。
戦後民主主義とは欧米諸国…とりわけアメリカの自由主義、民主主義等の思想をGHQによる押し付けの思想であるとも呼べる。ある者は反発し、ある者は戦前戦中の強いられたストイックな精神からの解放に歓喜した。ジャズやロックンロールのようなポピュラー音楽も、もちろんその押し付けられた民主主義の象徴である。音楽に限らず文学、演劇、映画、絵画等の文化全般は1945年8月15日=太平洋戦争の終焉 以前と以降で大きく赴きを変貌させたはずである。
それはカルチャー面だけでは収まらない。日本人の生活様式そのものが欧米化していった。明治維新のそれとは大きく趣は違っていたのではないか?と思われる。近年、筆者が在日米軍横田基地目前の商店街で商店会長を永年に渡って勤めたH老人から聞いた話。
「まだ終戦の日じゃなかった。一日か二日前だったんじゃねぇかな。ここ(横田基地)は陸軍多摩飛行場だったから子供だった俺たちにも、この戦争が敗戦濃厚だってのは薄々判ったよ。ここら(東京福生市)や入間(埼玉県入間市)はよ。日本軍の飛行場をアメリカは無傷で手に入れたいから空襲なんかしなかったんだ。だから、けっこう呑気な気持ちで俺たちは畑仕事なんかしてたんだよ。そうしたらよお。進駐軍のやつらが歩き回ってるんだ。まだ戦争中だろ!さすがにビビるぜ。銃でも撃ってくるんじゃないかって逃げようとしたら、連中何か言ってるんだ。言葉なんか判らないけど、威嚇するような感じじゃない。ニコニコと笑ってジェスチャーで、これでも持ってけよって感じで荷物を投げてくるんだよ。俺たちに向かって”がんばれよ”とか言いながら立ち去っていった。連中の置いていった荷物を見たらチョコレートの缶詰やら、ハムやソーセージ、チーズがごっそり入ってた。今だったら、そう旨いとも思わねぇかもしれないけど、当時はいつも腹ペコだったからな。旨かったねぇ。俺たちは15日より前に懐柔されてたんだな。アメリカってのは悪くねぇな。早く戦争に負けちまえばいいって思うようになった」
もちろん終戦直前直後にアメリカ軍に暴行を受けた者もいる。敗戦国民の屈辱を感じた者もいただろう。むしろ当時の被害者意識をアピールする情報だけが語り継がれ、H老人のように終戦直前にアメリカの食生活に懐柔されたケースも無視はできない。
椅子とテーブル、大きな冷蔵庫を置いた部屋。そこに並ぶピザやハンバーガー。ラジオやステレオのスピーカーからマイルス・デイヴィスのトランペット、エルヴィス・プレスリーの歌声、チャック・ベリーのギターが流れる。時間がかかったかもしれないが、こんな光景は日本に溢れようとは戦前戦中には考えられなかったであろう。
食生活、生活様式、文化だけではない。スポーツの分野に於いても民主主義というアメリカ化は始まった。日本人初のボクシング世界王者に輝いた白井義男もそうであろうし、未知の格闘技プロレスで日本中を熱狂させた力道山もそうだろう。しかし四角いジャングルに颯爽と登場した2人の英雄は戦後復興の流れの中から生まれている。白井義男は1952年。力道山は1953年。終戦から7~8年経過して登場した英雄なのである。
ならば敗戦に打ちひしがれた日本人に復興へのエネルギーを与えた原動力の一つが野球。それもプロ野球ではなかったか?と筆者は考える。先にも記したが終戦の日8月15日から僅か3ヵ月後の11月23日から3日間、明治神宮球場で職業野球東西対抗戦が行われている。焼け跡だらけの東京の街に新時代の到来を予見させたのは現在のオールスター戦の前身と呼ばれるこの東西対抗戦だったのではないだろうか?
翌1946年1月。戦後日本を描く映画、ドキュメント番組等でテーマ曲のように使われる並木路子の歌う「リンゴの歌」のシングル盤がリリースされる。サトウハチローの詩を引用させていただけば「赤いリンゴに唇寄せて黙って見ている青い空」の一節。これを象徴するように巨人軍の川上哲治は赤バットをトレードマークとし、川上のライバルと呼べるセネタース(※現在の北海道日本ハム・ファイターズ)の大下弘が青バットをトレードマークとした。
リンゴの唄、赤バットの川上、青バットの大下…と並べると、いかにも戦後の日本の光景という印象が強いが、赤いリンゴ、青い空、赤と青のバット…これらから筆者にはアメリカ国旗=星条旗が連想される。すでに相撲の興行も再開していたのだが、日本という閉鎖的な島国を占領したアメリカ軍にとって、どこか陰湿な匂いを持つ日本人、そして複雑な文法と多すぎる文字を駆使する理解不能な日本語を使う日本人との共通言語のようなものがあるとすれば、それは野球だったのではないか?と筆者は思う。
戦前、戦中のプロ野球=職業野球は、どこか軽く見られていた。野球自体は人気スポーツになってはいたが、その最高峰は六大学野球であったという。その力関係と社会的評価が逆転するきっかけを作ったのが1945年の職業野球東西対抗戦であり、翌年1946年より再開した8球団で再開した日本野球連盟総当たり戦=リーグ戦からだろう。
前述の赤バットの川上、青バットの大下、物干し竿バットの藤村富美男、ジャジャ馬・青田昇、選手兼任監督として戦後初のリーグ戦を制した親分・鶴岡一人等々。太平洋戦争による規制や敗戦直後の絶望感を吹き飛ばすようにホームランをかっ飛ばし、剛速球を投げ込み、目の覚めるようなファインプレーを見せ、餓えや貧困に苦しむ国民に夢を与えた。
5年後の1950年にはプロ野球球団も8球団から14球団に増え、現在のようにセントラル・リーグとパシフィック・リーグの2リーグによるリーグ戦制へと発展した。朝鮮戦争による軍需景気などもあり、プロ野球球団経営に乗り出そうとする企業は多く、セ・リーグこそ現在と同じ6球団に落ち着いたがパ・リーグは7~8球団が在籍していたのである。
盟主・巨人軍と西鉄ライオンズによる熱狂的な日本シリーズ。弱小・国鉄スワローズに現れた大投手・金田正一。南海ホークス、涙の御堂筋パレード等のエピソードは詳しく書かれた文献を参考にしていただきたい。筆者としては本編に入る前に戦後のプロ野球の足跡を書き記そうというほど酔狂ではない。ただ1965年に始まる巨人軍栄光のV9時代を舞台にしたストーリーを構想していた。
そして舞台を1968年に設定したのは、ある実在した2人の投手が高校へ進学したからである。この2人が現実に一体誰であったか?は、ここでは明かしたくないし、最後まで明かさないつもりである。輝けるV9時代の巨人軍には鬱勃とした暗部や闇も存在した。その闇を象徴する2人だからだ。無論、球史に関する資料にこだわる方や巨人軍のスキャンダル等を掘り下げる方にとっては安易に想像のつく2人の投手であるかもしれない。
もう一つ、筆者のこだわりとしては、この年の3月30日に梶原一騎原作、川崎のぼる作画により週刊少年マガジンで人気を博していた「巨人の星」のアニメ放送が始まっている。また作中の主人公・星飛雄馬は67年オフにテスト生から巨人軍に入団し、68年のシーズンからプロ野球を舞台に活躍(※作中は挫折しているエピソードが長いが)することとがある。
「巨人の星」以前にも「スポーツマン金太郎」「ちかいの魔球」「黒い秘密兵器」等。主人公が巨人軍に入団し、王貞治や長嶋茂雄と共に活躍をするマンガはあった。「ちかいの魔球」などは、ちばてつやの作画も素晴らしくアニメ化を検討されたというエピソードが残されているが、当時の技術では複雑な野球の動きをアニメにするのは困難だったため頓挫したという話である。
野球マンガ、そして野球アニメが土曜日の19時からテレビ放送され半世紀を超えた今も名作として称えられている。もちろん放送当時には高視聴率を記録したことはマンガ、アニメ文化の歴史の中でも革命的なことである。野球=ベースボールの生みの親であるアメリカでも、このようなサブカルチャーは生まれていない。ミッキーマウスやスヌーピーが野球をやっている描写はあるが敗北や挫折、血の滲むような猛練習…といった梶原一騎的な世界とは無縁なコミカルな世界であった。
「巨人の星」の人気は高く後年に「新・巨人の星」という続編も作られた。もちろん旧作ほどの評価は残していないが傑作作品の続編というシビアなポジションながら成功している。こうした例は「新・巨人の星」と「帰ってきたウルトラマン」ぐらいだろう。
「巨人の星」と「新・巨人の星」の隙間に梶原一騎は井上コウという若手漫画家と週刊少年ジャンプで「侍ジャイアンツ」という同じく番場蛮という主人公が巨人軍に入団し、活躍する作品である。「巨人の星」の星飛雄馬が真面目な模範青年であったのに対し「侍ジャイアンツ」の番場蛮は不良少年で陽気な豪傑であった。
「侍ジャイアンツ」もジャンプ誌上での人気を博して「巨人の星」のようにアニメ化された。アニメの方は、なかなか感動的なエンディングを見せてくれるのだが、誌面上の都合があったのか?真相は謎のままだが、ある種の破綻した最終回を迎え多くの読者を絶望させた。この破綻が筆者の心に、このストーリーのアイデアとなった共通点を見出し、この物語を執筆させるエネルギーへと転換していったのである。
筆者の幼稚な頭脳では登場する球団名、選手名等は偽名を使わせていただく。もはや故人となってしまった重要登場人物の2人については残された記事等を参考に彼らの当時の心情を察することしかできない。どうせノンフィクションなど書けやしないのだからフィクションに徹してみようという試みである。あくまでもオマージュという意識で書き進めたいと思っている。
オマージュという部分に於いては前記の「巨人の星」「侍ジャイアンツ」はもちろん、敬愛する水島新司作品「男どアホウ甲子園」「ドカベン」「あぶさん」等のオマージュも構想にある。決してバカにしたパロディではなく、筆者の野球マンガ愛を感じさせるオマージュであると言い切りたい。
筆者の悪癖で数行の前書きが、かなりの長文になってしまった。今から本編が、どのような長さになるか?筆者自身も不安なところだ。広げすぎた風呂敷が畳めなくなる心配もあるが、その時はその時と腹を括ることにした。このような酔狂な乱文でも微かな読者がいてくれれば、それだけで幸せである。