第114話 激闘!甲子園●「眼飛ばし」
文字数 2,055文字
ダッグアウトに向かう矢吹が由良明訓に惨敗した加藤と中間に声をかけた。お互い中学時代の不良仲間に再会したという感じだ。ひょうきんに振舞う中間に比べ加藤はいらついている。
「間違って進学校に行っちまった勘違い野郎か!まさか矢吹が野球に転向してるとは思わなかったぜ」
「全くだぜ。矢吹に名キャッチャーの才能があるなんて思ってなかった。判ってたら拉致しても愛徳の野球部に連れ込んでたぜ。そうすりゃ大番狂わせも夢じゃなかったのによ」
「矢吹は柔道で天下取った。俺と加藤は野球で天下取ってよぉ。不良は根性がねぇなんて俺達を馬鹿にした連中を見返してやりたかったんだがな」
口では悪態をついているが中間も加藤も負けて爽やかな顔をしている。矢吹は今更ながら、この二人も自分と同類だったことに気が付いた。
「控え室のテレビで観てたけど中間も加藤も、いいプレーだったぜ。由良明訓を十分に苦しめた一回戦だ」
「ありがとうよ。でも世の中には上には上がいるってことを思い知らされたよ。攻撃、守備、スピード…全てがケタ違いのチームだった。お前らは一回戦がニコタマだっけか?」
「ニコタマ?なんだそりゃ?」
「二子多摩川高校のことを関東じゃニコタマって呼ぶんだ。西東京代表だが神奈川との境にある高校らしいな。矢吹こそ東京のヘナチョコ不良に負けるんじゃねぇぜ」
加藤が矢吹に激を飛ばした。中間は矢吹の後ろで黙っている江口を見つけた。
「よぉ!君が噂の剛球左腕の江口さんか!安心しなよ。お前さんの相棒とは中学の頃から腐れ縁でな。江口さんみたいなピッチャーに矢吹みたいなキャッチャー。それにサードに俺でファーストに加藤がいりゃ一度ぐらいは由良明訓に勝てたかもしれないな。俺と加藤がもうちょっと頭が良ければな」
「もうちょっとじゃ済まねぇだろ。自分の名前の漢字まで間違えるボンクラが、どう間違って
も合格するような高校じゃねよ。まぁ…それはさておきだ。江口君の剛速球と対決してみたかったぜ!負けるなよ。ニコタマなんかに!だけど連中も俺らと一緒だ。悪さはしても野球だけは真剣にやっている連中だ。油断するなよ」
江口は馬鹿正直に「ありがとうございます」と中間と加藤に頭を下げた。
グラウンドに出ると確かに二子多摩川高校は妙にガラは悪い。試合前の練習は、どこかやる気なくダラダラとしてみえるが投球、捕球の動作はしっかりしている。
「不良っぽい高校との対戦になると、みんな矢吹君の方を睨んでいるね」
「馬鹿!俺なんかオマケだよ。注目は江口。お前だ」
矢吹の心中には一昨日の由良明訓との合同練習以来の不安があった。果たして、その不安材料に相手チームが気付くと、どれほど威力のある江口のボールでも甲子園に出てくるぐらいの学校ならば打てる打者がいるということだ。
「江口よぉ。今日はちょっと頼みがあるんだ。俺がグーとかチョキでサインを出す。本当は、最初に出したサインで投げてくれればいいんだが、二回か三回は首を振ってくれ。今日勝てたら、次の試合でも同じことをしたい」
「あぁ…ダミーサインか!メジャーリーグみたいだね。やれるよ」
「うん。頼むぞ」
岐阜青雲大学附属高校と二子多摩川高校の一回戦は始まった。矢吹のサインに二度三度と首を振る江口の仕草に相手は「今日はバッテリーの意思疎通が出来てないな」と誤解する。テレビ中継の解説者も
「ピッチャーの江口君とャッチャーの矢吹君の息があっていませんね。これまで、こんなことはなかったですよ」
矢吹も必死に演技をした。江口にボールを返球する時に、わざと舌打ちをしたり、首を傾げたりする。「どうもボールが違うんだよな」等と独り言を言う。これまで見せたことのない仕草に二子多摩川高校の打者は打ち急いで凡打になったり、慌ててバットを振って三振した。
六回に三番矢吹のツーベース。四番江口のタイムリーヒットで先取点を取ると、あえて失投させてヒットを打たせ、次のバッターで併殺を取る等の作戦も成功した。矢吹のアイデアは功を奏した訳だ。してやったりというところだが矢吹の不安は大きくなっていく。
「ニコタマの連中は俺達とは初対決だ。だから簡単に動揺してくれたが、この試合をテレビで観ている由良明訓の連中は、こんなもんは芝居だと見抜いているかもしれない。田山はもちろん。里中、馬場、岩城。それに二年生の池田っていう野球博士。大会を勝ち抜きながら連中を騙すような芸当が俺にできるだろうか?それにこの江口の大根役者ぶり。サインに首振るなら、もうちょっと嫌そうな表情はできんのか?言われた通りにやってますじゃニコタマは騙せても由良明訓は騙せねぇぜ」
矢吹はあえて江口には忠告しなかった。根っからお人よしの江口に相手チームとは言え他人を騙す演技など出来っこないと諦めていた。ベンチに戻るとチラリと監督の織田の顔を見た。たぶん織田も矢吹と同じ不安を抱えているのだろう。