第62話 選抜大会編●「変な失敗」
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一、二番打者は上位打線とはいえ夏の大会では控え選手だ。対戦経験があるのは江口、矢吹のバッテリーと三番に入っているキャプテンの青木だけだ。この一回表の青雲の攻撃は三者凡退で終わらせるのがピッチャーの役目である。夏の試合では八番を打っていた青木ならば俺のピッチングで抑えられると里中は確信していた。
二番打者はワンストライク取られてからバントの構えに変わった。田山の指示も当てにくいカーブとシンカーでバント失敗を狙うサインだ。やはり田山も俺と同じことを考えていると思うと里中も安心した。二、三球目のボールをファウルで弾き。二者連続でスリーバント失敗。
三番打者の青木がバッターボックスに入る。この大会に出場しているということは夏の大会では唯一の二年生レギュラーだったのだろう。この後が四番矢吹、五番江口に回ると思うと少し怖い。里中が投手専念して以来、被本塁打を記録しているのは江口だけであった。矢吹に関しては、この男の運動神経や勝負勘の良さ、度胸の良さを考えると夏の大会と同レベルのバッターと考えるのは禁物だ。確実に成長していると考えるべきだろう。
バッターボックスの青木は、すでにバントの構えをしている。二死でバントとはセオリー無死の作戦だが、青雲ベンチの織田監督と数学教師天野のコンビが不気味だ。
「ともかくバットにボールが当たりさえすれば出塁できる確率は上がるという計算かな?数学苦手な俺でも空振りよりはバントの方が出塁率が上がるのは判る」
そう考えながらも二死で打者は三番という場面でバントを指示するベンチは不気味だと里中は思った。田山も警戒してサインはストレートで内角のボール球を要求した。間違ってバント出来てもバットのグリップ側に当たれば変なところにボールが飛ぶ可能性はないという計算だ。
それでも青木は窮屈そうにバントした。ボールは力なくファウルになった。変化球でストライクを入れ、一球大きく外した後に青木はスリーバントに出た。三度スリーバント失敗となり三者凡退であった。
ネクストバッターサークルにいた矢吹が里中に声をかけた。
「色男!お見事な三者三振」
里中はムッとした顔で矢吹を睨み返した。スリーバント失敗は記録上は三振である。しかし空振りや見逃しで取った三振ではない。全てのアウトがスリーバントという結果だ。ピッチャーなら感じる三振を奪った瞬間の爽快感は一切ない。
また投球後にバント処理のためにホーム側でダッシュするのは脚には自信のある里中とはいえ疲れるプレイである。
「ハッキリ分かる。織田監督の狙いはバントにこだわってピッチャーの俺のスタミナを奪う作戦だ。大川さんが卒業した今、明訓野球部には俺以外に使える投手経験者がいないことを織田さんは知っている。この試合で矢吹と江口以外の七人が全員バントしてくろと思うと嫌になるぜ。こうなるとスリーバントってバカな戦法も立派なもんだ」