第131話 狂気の延長戦●「スカウトの瞳」

文字数 2,897文字

 甲子園球場の関係者席で試合を見つめるフリースカウトの八木の周りには各球団のスカウトが集まってきていた。早くから江口敏や田山三太郎に接触している八木は同業者から、たびたび質問される。最も、江口、田山の二人に関してはドラフト会議で競合になるのは目に見えている。あえて岩城、馬場、里中。青雲大付属であれば矢吹を単独で獲得したいと考える球団が多かった。
 名門、東京ガイヤンツのスカウト部長の岩田が、いつも間にか八木の隣に来ていた。試合は十一回の裏、由良明訓の攻撃が始まろうとしていた。四番の田山からの打順である。八木はスカウトという立場を忘れて試合展開に熱中していた。
 「もういい!田山。一発で、ホームランで決めてくれ!この馬鹿げた試合を終わらせてくれ!」
 思わず声を出した八木に岩田が話しかけた。
 「同感ですな。江口君が甲子園優勝投手になられては、ますます競合が激しくなりますからな。特に客入りの悪いパリーグの各球団は江口獲得に奔走するでしょう」
 「岩田さん。私は、そんな次元で言ってない。これ以上、江口君に連投させることに反対なのだ。ガイヤンツは、それが一番分かっている球団じゃないですか?ホームラン王の司馬もスイッチヒッターの柴山も甲子園優勝投手です。しかし、この過密なスケジュールで投手としては壊れていた。司馬も柴山も打者として大成したからいい。しかしプロ入りした時には、すでに肩や肘に故障を抱えて人知れずプロ球団から捨てられる選手も大勢いるんです」
 「まぁまぁ八木さん。そう興奮しないでも、我々も同感ですよ。ただ我々、プロ側から高野連に意見をしても高野連は聞き入れません。アマチュア野球側は頑なにプロ野球側に反発しておりますからな」
 八木は少し落ち着いた。岩田は冷静に試合を見ながら
 「他の球団が、そこまで出来るか?は分かりませんが、ガイヤンツの企業力を使えば多少の故障を持った若手選手を治療させることも出来る。八木さんも覚えているでしょう?二年前に準優勝した静岡工業の新山投手。彼も甲子園の連戦で肘を痛めてました。入団以降、あまり話題に上らないのは新山君が治療とリハビリに専念しているからです。来シーズン辺りには彼はガイヤンツの主力ピッチャーとして復活します。司馬君は入団前から打者としての素質を見抜いていた。柴山も同じです。メジャーリーガーに匹敵するような俊足、強肩、スイッチの一番打者構想に彼はピッタリだった。それだけの素質をウチは見抜いていましたよ」
 「思い出しましたよ。新山君の韓国籍を逆手にとってガイヤンツは外国人選手として強引に獲得しましたね。あの一件もプロに対してアマチュア側が反発した一因だと思いますが?」
 「そこは認めますが、ではアマチュア野球側が新山君を幸福にできたでしょうか?よく考えてみてください。八木さん!」
 「新山君を幸せに…?」
 「そうですよ。八木さんも聞いてるでしょうが、新山君は静岡工業の定時制に通っておりました。彼は努力家でね。全日制への転入試験に合格して野球部員になった。しかし、ここで二度目の一年生をやり甲子園い出場した訳です。そりゃ世間がガイヤンツを批判するように、もう一年高校野球をやれる可能性はあった。彼が三年生になった時には公式戦に出場できない野球部員にってしまうからですね」
 「ふうむ」
 「静岡工業の教師の中にも在日韓国人である新山君を全日制に転入させることを反対した者もいると聞いてます。そんな新山君が、そのまま高校に通い続けても差別の目で見られるだけだったでしょう」
 「そういえば昨年の柔道インターハイ、73キロ級で優勝した山口県の吉田選手も韓国籍だと聞いています。彼も韓国籍では講道館に入門できず専大のレスリング部にスカウトされたと聞いてます。専大ではオリンピック代表候補として強化選手に入ったと聞いてますが…」
 「そうそう!その吉田選手にしても新山君にしても国籍が韓国なだけで二人とも韓国語の会話もできなければ読み書きもできない。吉田に至っては羽田空港からミュンヘンに向かう韓国代表のオリンピック選手になってしまうんです」
 岩田の話に八木は少したじろいだ。
 「確かに日本の高校に通う新山君を外国人枠で獲得したウチは批難されるかもしれない。しかし新山君の才能を金に変え彼の家を貧困から救い。高額な治療でスター選手として育てる。ガイヤンツは新山君を救いました。ガイヤンツは日本で居場所のない外国人を何人スターにしたことでしょう。司馬だって台湾籍です。四百勝投手の金山さんだって韓国籍です」
 岩田が、そう力説した直後、バッターの田山が江口の速球を捉えたが、大きなライトフライとなりワンナウトになった。
 「今のは江口君の球威が勝った。この試合は簡単には終わりそうにないですな」
 岩田は腕組みをしながら、試合を見つめている。
 「ガイヤンツは田山より江口が本命ですか?」
 「河村監督は田山君をさほど高く評価してないですな。キャッチャーは名捕手林が健在。林も鈍足ですが田山君に比べれば、まだましです。外野を守れる選手ではない。もし打者で指名するとしたら岩城の方が有望と見ています」
 「まぁ田山君には接触してますが、彼の方もガイヤンツ、兵庫タイタン、近畿リンクス以外を希望してますよ」
 「ほう?どういう理由で?」
 「田山君も頭のいい選手ですからね。岩田さんも言う通り、ガイヤンツには林がいます。タイタンには六大学のホームラン王、山淵が入団しました。リンクスには監督兼任四番捕手の村野がいる。ガイヤンツとリンクスは向こう五年。タイタンに至っては向こう十年はスタメンになれないと計算したようです」
 「はっは!こりゃ傑作だ。夢よりも現実を冷静に見つめる若者か!時代は変わったものだ」
 由良明訓の攻撃も五番二本松。六番池田が凡退し、十二回の表に試合は進む。マウンドに上がった里中を見て岩田は
 「あくまでも私個人の意見なのだがね。私はピッチャーならば、この里中君の方が江口君よりもプロで大成するような気がするよ」
 「それは驚いた。他のチームのスカウト部長とは意見が違いますね。実は私も、この里中君は密かに注目しています」
 八木は岩田に対して初めて笑顔を見せた。
 「いや…あくまで個人の意見だよ。ガイヤンツの首脳陣としては里中選手を高く評価していない。まぁ結果だけ見れば下級生のピッチャーにポジションを奪われているように見えるからね。しかし私には土井君という若い監督が、試合終盤の一点リードを守りきるために真打のピッチャーを温存しているように見える。珍しいサイドスロー。しかもこの完成度。勝負への執念。プロ入り後の伸びしろを考えても里中君は逸材だと思っている」
 岩田は腕組みをしながら里中のピッチングに注目していた。八木は岩田の顔を見つめ直した。すでに初老の域に達している岩田だが、その眼光は鋭い。
 「これが王者ガイヤンツのスカウト部長か…さすがに他の球団のスカウトとは見る目が違う。六連覇こそ偉大な記録だが、まだまだ黄金時代は続くだろう」と内心感じていた。
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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