第96話 若者たちの敗北●「取り調べ」
文字数 2,221文字
監督の土井は慌てて馬場を探している。谷口、五十嵐、丸井ら三年生が野球部を引退し秋季大会直前の練習である。由良明訓内野守備の要である馬場がいないと他のポジションが決まらない。土井としては頭の痛いところである。
「馬場先輩なら、二人組みの男に連れられて校門から出ていくのを見ました」
浜が目撃していた。浜の証言によると馬場は浜に向かって口だけパクパクと動かした。浜の解釈では「ぬ・れ・ぎ・ぬ・だ」という唇の動きだったという。
「二人組の男?プロ野球関係者か?」
「そうは見えなかったですね。スカウトなら、もっとペコペコしながら近づいてくるし、野球部の練習前にレギュラーを連れていくような真似はしないでしょう。なんかもっとこう高圧的な態度で嫌な男だなぁって印象です」
岩城がピンと来たらしい。
「そりゃ刑事だな。濡れ衣だ…と言葉に出さなかったのは馬場の機転よ。変わり者だと思ってたけど、なんか悪いことしてたんだろうか?プロ野球みたいに賭博の片棒担いでいたとか?」
里中と浜が「そりゃないでしょう」と口を揃えた。
「もし高校野球にも賭博による八百長があったとしても買収されるなら、俺か浜。要するにピッチャーに打者が打ちやすい球を投げろ…ならば、ありうる。例えば田山や岩城に次の試合では必ずホームランを打て…と言われても、そればっかりは分からないでしょ。馬場のエラーなんか見たことないし、いくら馬場でも必ずヒットを打てる訳じゃない。逆に、打たないでくれ…だったら馬場の無安打試合があってもいいけど、あいつに限って最低でも一試合に一本のヒットは打っている」
そんな話をしている時に角刈りに地味なスーツ姿で目つきの鋭い男が野球部に近づいてきた。男は土井に近づくと
「君が監督の土井君だね。練習中、すまないが少し話を聞かせて欲しい」
と言いながら内ポケットからチラッと手帳を見せた。警察手帳である。土井は、その刑事をジッと見つめると
「よし!では岩城キャプテンに任せる。各自トレーニングはしっかりしておくように、打撃練習に切り替えても構わん。時間は無駄に過ごすな!あと安心しろ!我々に疚しいことは一つもない。では岩城!頼むぞ!」
と言い残し、刑事と一緒に部室に戻った。こんな時こそ元気と闘志の代名詞キャプテン岩城の野獣のような怒声がグラウンドに響く。しかし野球部員全員に一抹の不安が過ぎったままであった。なんでもないボールを空振りしたり、平凡なゴロをエラーしたりと、どこか締まりがない。
練習が終わる頃、土井と馬場がグラウンドに戻ってきた。馬場は学生服もまま。土井も私服のままだった。
「監督。馬場。これは一体どういう事だったんだ?」
岩城は憮然とした表情で二人に問いかけた。
「一年生は知らないだろうが二年生は覚えているだろう。俺と同期の北と大川」
「忘れようもないです。僕がピッチャーになる前は大川先輩が由良明訓のエースだった。北さんは岩城の前の三塁手でしたよね」
「そうだ。その大川と北が新宿で起きた爆破事件に関与していて警察としては出身校である由良明訓高校。及び二人の在籍していた野球部を捜査対象に取り入れたんだ」
「俺が真っ先に疑われたのは北さんの借りていたアパートからボブディランのレコードが見つかって、レコードジャケットの裏側に馬場って書いてあったんだ。あのレコードは北先輩に貸したままになってたんだよ。大川先輩と横須賀学院大学に進学したまではよかったけど、学生紛争に加わっていたっていうのが顛末らしい」
「先輩達もアホだなぁ」
岩城が腕組みをしながら呟くと土井が遮った。
「あながちそうとも言えんよ。北も大川も大学で野球部に入るつもりで進学したんだろう。しかし行ってみたら横須賀学院大学は関東大学紛争の拠点で野球部も試合どころか練習のできる状態ではなかったらしい。目標を見失った二人は野球よりも大きな目標。日本そのものを変えてしまおうという全学連の思想に共感したのだろう」
里中と岩城は顔を見合わせた。
「考えてみれば俺がピッチャーになったことで大川さんは実質上エースではなくなった。岩城がサードのポジションを取ったことで北さんも控え選手になった。レギュラーから外れた先輩達にとっては甲子園の優勝など嬉しくもなかったんだろうな」
「里中!それは違うぜ!レギュラーを奪った者は奪われた者のためにも死ぬ気で野球に打ち込まにゃいかんのだ!サードの守備だけ取れば北や前任キャプテンの谷口の方が俺よりも上手かった。だから俺は、どんな試合でも、このチームを勝たせるために全力でやった。例え三振しても、間違ってバットに当たればホームランだと思われればいい。そうやってプレーして結果を残してきたんじゃ!」
「そうか…大川先輩のためにも俺はもっといいピッチャーにならないと」
時間も遅くなってきたのを気にした土井が、その場を締めた。
「今日、俺と馬場は全共闘との関連ナシということで警察から無罪釈放されたが、刑事さん達の様子を見る限り、まだ由良明訓高校はマークされていると考えた方がいい。マスコミの連中も俺たちのちょっとした不祥事でも記事にするつもりで狙っている。その上、尾行のプロの警察まで加わった。息苦しいだろうが十分に自重して普段の生活も送ってくれ!」