第59話 選抜大会編●「宣戦布告」

文字数 1,936文字

 岐阜青雲大学付属高校は、またしても僅差で森沢高校を下し、春の選抜大会準々決勝まで駒を進めた。相手は尼崎工業の危険なラフプレーを三塁手の岩城を一塁手に当てる奇策でかわしてきた由良明訓高校である。昨年、夏の甲子園一回戦の再現と大いに盛り上がっている。
 由良明訓の土井監督は岩城を定位置の一番サードに戻し、ピッチャーの里中の打順も三番に戻すと取材陣に答えた。まさにチームの理想形である。しかし青雲側は取材陣に対して天野監督から予想もしない発言が飛び出したのだ。
 「もともと数学教師である私には、この甲子園での監督業は荷が重いものでありました。先の森沢高校さんとの試合を持ちまして私は、このチームの監督を辞任いたします。予定されております準々決勝では顧問教師としてベンチ入りはいたします。それでは新しい監督を紹介させていただきます」
 天野の紹介で現れた新監督に報道陣はどよめいた。まだ記憶に新しい昨年の夏の甲子園大会。初出場の由良明訓高校を率いて全国制覇を成し遂げた織田監督だったのである。
 「織田さん。あなたは由良明訓の監督を辞任しておいて青雲の監督になっていた。しかも次の試合が元の教え子由良明訓とは…一体どういうつもりですか?」
 「どういうつもりだって?打倒!由良明訓を目標に青雲野球部をしごいてきたのよ。次の試合は必ず勝つ!と言い切れないが、この大会も含めて後三回、甲子園のチャンスはある。江口、矢吹の最後の夏までには必ず由良明訓に勝つ!そのつもりだ」
 「我々、報道陣は青雲大学付属の試合ぶりや江口投手の投球内容が大きく変わったことに疑問を持っていました。これらは織田さんの指導ですか?」
 「ノーコメント。ただ報道陣の皆さんに言っておきたいのは、ここにいる天野先生を見くびってもらっちゃ困る。確かに野球技術は野球部の監督としてはお世辞にも高いとは言えない。試合前のノックなど見てもらっても上手くはない。しかしだな。甲子園に出るような高校野球の監督に学力テストをさせたら、この天野先生に勝てる者などいない!しかも数学に関しては大学教授並みの実力だ。ストライク、ボールのカウント。アウトカウント。野球は数字に塗れたスポーツであることは報道陣の皆さんも知っておられるでしょう?実際、大リーグのドジャースなどは数学者を雇って確率計算重視の戦法を取っている。ドジャースは大リーグでも強豪チームだ。そのドジャースをお手本にした東京ガイヤンツは日本のプロ野球の最強チームだ。チーム打率二割の青雲が甲子園に出ているのは全て天野先生の功績なのですぞ!」
 横で織田の調子に乗った受け答えを聞いていた天野は真っ赤になって止めに入った。
 「織田監督!そんな…私は…別に…そんな…」
 「皆さん。見てください。自分の手柄を自慢せず。こう謙遜ばかりしている。天野先生は素晴らしい教師です。だから、こんな優秀な生徒が育っている。青雲野球部は学業成績も素晴らしい部員で構成されています。これぞ高校野球ではないか!と私は思います。私が指導できるのは野球だけだ。今、監督をやっている由良明訓の土井は私の作品です。彼だって立派なもんですよ。この選抜大会出場校の監督としては最年少ですぞ」
 「織田さん。その土井監督ですがドラフト二位で松映ロビンスに指名されたものの母校の監督を選びました、この件については?」
 「それは土井君の人生だ。私がどうこうしろということじゃない」
 「では織田さん御自身への質問ですが、これだけ強い由良明訓野球部を作って連覇ということは考えなかったのですか?」
 「これだけは本音を言いましょう。皆さんも知っての通り、田山、岩城、馬場。そして里中が入部してから由良明訓は手が付けられないぐらいに強くなりました。私は田山や馬場に指導をしたことがありません。せいぜい指導したのは里中ぐらいでしょう。夏の予選も甲子園も采配らしいことをしたのは岐阜青雲大学付属高校戦だけです。後の試合は全て部員に任せていた。サイン等出していたように見えてたかもしれませんが全て、勝手にしろ!自分で考えろ!のサインです。あいつらは大人が指導しなくても全国制覇した。私自身、最も手ごたえのあったチームが、この青雲なんです!私の野球技術と天野先生の頭脳。この体制で打倒由良明訓を目標にします」
 この織田の演説めいた報道陣への対応はテレビ局も面白がり、夜のスポーツニュースでも繰り返し放送された。もちろん宿舎で待機していた土井以下の明訓ナインも目の当たりにした。
 「心のどこかで待ち望んでいたかもしれない…それに青雲の変わり様にも誰かが噛んでいると思っていた。織田さんの派手な宣戦布告。受けてたちますよ!」
 と土井は呟いた。
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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