第124話 死闘!決勝戦●「無死走者三塁」

文字数 2,132文字

 四回の裏。由良明訓の攻撃が始まる。これまで両チーム共に一人の走者も塁に出ていない。息詰まる投手戦に満員の場内も息苦しいムードが流れ始めた。江口、矢吹のバッテリー。そして青雲大付属ベンチにとって最も攻略しにくいバッター岩城が先頭打者である。相変わらず三振の数は滅法多いが高校通産本塁打は田山と並ぶ八十本を打っている。
 一年生の頃のように、岩城と矢吹が、いがみ合うようなことはなくなっていた。お互い両チームの主将となり、どこか友情めいた気持ちさえ芽生えていたのだ。岩城は軽く「よう!」と矢吹に声をかけて打席に入った。矢吹も
 「お前らはいいなぁ。ピッチャーが三人いてよぉ」
 と返した。岩城は「あぁ…いざとなりゃ俺も投げるぜ」等と冗談とも本気ともつかない口を利いた。一球目、ボール気味のコースから大きく曲がるカーブ。岩城は全力で空振りした。やはり、この男だけは狙い球もへったくれもないのだと江口も矢吹も確信した。矢吹はパワーのある岩城にストレートは危険だと考え、右打者の岩城にとって外角のボールゾーンに消えていくスクリューボールのサインを出した。
 「あっ!馬鹿。江口!なんでカーブなんだよ」
 サイン違いである。矢吹は慌てて構え直す。その仕草を見逃さない岩城は強引にバットを出した。振り遅れだがバットはカーブを確実に捉え、一塁線に低空飛行しながらライト側に飛んだ。
 「ファールか?」
 「いやフェアだ!」
 あまりにも際どい打球に青雲外野陣はファールと見てボールを追うのが一瞬遅れた。巨体に似合わぬ俊足で岩城は一塁ベースを回り、二塁ベースに滑り込んだ。ボールはようやくセカンドに返ったところである。
 「ノーヒットの均衡が破れました!両チーム通じての初ヒットは常勝軍団由良明訓高校キャプテン岩城君のツーベースヒット。前人未到の甲子園大会五連覇に向けて大きく前進いたしました!」
 実況のアナウンサーは興奮して声が嗄れてきている。緊張感溢れる無安打試合から解放され大観衆の歓声も戻った。
 続くバッターは曲者の馬場である。送りバントでも一死ランナー三塁、エンドランが成功すれば先制点のチャンスである。青雲大付属の織田監督はマウンド上に伝令を送った。馬場を敬遠し、一、二塁で里中で勝負。運がよければゲッツー。悪くても進塁させて田山を敬遠で満塁策という計算である。
 ここで織田が一言付け加えたことで後の混乱を招いた。「あからさまに馬場を敬遠すると満塁策を読まれる。馬場に対しては際どいところを狙いすぎて四球になってしまったという感じ」という一言である。
 真面目な江口は一球目を外角に外す。しかし、このボールをまたしても主審は「ストライク」とコールしたのである。馬場の敬遠四球を予測していた明訓土井監督は青雲大付属の作戦が長打力に欠ける馬場と里中には勝負に来たと解釈した。若く強気の土井は、ここで馬場と二塁走者の岩城にエンドランのサインを出した。失敗しても一死二塁で里中、田山、二本松のクリーンナップに回るのだから優位な戦法だ。
 この時の江口の心理は違っていた。一球目は自分では意識して早いボール球を投げたつもりだが主審はストライクとコールした。誤審とも受け取れるボールだったが江口自身は監督命令を無視したような結果に萎縮してしまったのだ。
 「ひょっとしたら僕の速球だと主審がコースを見間違えるのかもしれない。やはり変化球をコントロールミスしたように外すのがいいかもしれない」
 等と考えた。ベンチの織田が今のストライクで「馬場への敬遠はないと明訓ベンチが勘違いすれば好都合」と考えているとは江口は分かっていない。いい意味で素直。悪い意味で機転が利かない男なのである。
 江口は二球目にスクリューボールを投げた。外角のボールゾーンに逃げていけば明らかにボール球になるはずである。ところが打席の馬場は、このスクリューをカーブと勘違いしたのである。外角高めぎりぎりから真ん中寄りに落ちてくるカーブは江口の得意なボールである。
 「フライさえ上げなきゃ問題ない」と考えていた馬場は、このボールをダウンスイング気味に強振。しかしボールは内角ではなく外角に変化したのである。
 「あっ!カーブじゃない!シンカーだ」
 三振は、ほとんどない。空振りさえも滅多にしない馬場が豪快に空振りした。なまじ対戦経験があるために江口、矢吹以下の青雲ナインも焦った。さらに二塁ランナーの岩城が全力疾走で三塁に向かったのである。
 「あっ!岩城!戻れ!馬場だって空振りするんだ」
 土井以下のナインが絶叫する。しかし、もっと慌てたのはキャッチャーの矢吹だった。岩城が巨体に似合わぬ俊足なのは知っていたが里中じゃあるまいし、盗塁はないと思っている。しかも三塁盗塁は予想もしていなかった。慌ててサードに入っている滝に送球したもののファウルグラウンドに逸れた。その間に豪快なスライディングを決めて岩城は三塁に到達した。
 ちょっとしたボタンの掛け違いで試合は山場を迎えた。由良明訓にしてみれば予想外のノーアウトでランナー三塁。打者馬場がツーナッシングなのは不利だが例え三振しても一死で三番里中、四番田山を迎える青雲大付属は大ピンチである。
 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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