第64話 閑話休題5●「V9巨人軍主力野手選手について」
文字数 1,781文字
ON以前であれば巨人では川上と千葉。川上と青田等。阪神では藤村と別当。田淵と掛布。掛布と岡田。西鉄も含めライオンズで括れば中西と豊田。秋山と清原。※豊田は二番打者であったが三原監督の流線型打線では二番から四番までがクリーンナップトリオと解釈された。広島の衣笠と山本浩二等が挙がる。横浜の村田と内川なども入れるべきだという意見もあるが、チームがダントツの最下位の中で打撃タイトルを独占してもONのような評価は得られないものである。
こういう二枚看板が成立する共通事項として面白いのが大卒と高卒のスターが並び立つケースが多いことである。阪神に至っては二枚看板時代は全て、このケースに当てはまる。衣笠と山本も同様。例外としてはライオンズでは高卒選手のスターが並び立つことだ。球団経営が変わっても何かチームカラーというものが出来るのかもしれない。
長嶋茂雄は立教大学出身で六大学野球の通産本塁打数を更新して巨人入り。王貞治は早稲田実業高校出身で甲子園の優勝投手である。二人とも入団時から鳴り物入りで巨人入りをしている点は重要である。V9時代の主力選手はアマチュア時代に相当の実績を上げている。ここでV9時代のオーダーの一例を挙げてみる。
一番センター柴田が甲子園優勝投手。二番レフト高田が東京六大学明治大学の主力。三番ファースト王と四番サード長嶋は説明不要。五番ライト末次が甲子園出場と東都大学野球の強打者。六番キャッチャー森が甲子園では強打の捕手。七番セカンド土井は長嶋の立教大学の後輩。選抜ながら甲子園出場経験あり。という感じでアマチュアで既にスター選手だった豪華メンバーなのであります。
一回の巨人の攻撃だけでスイッチヒッターに転向した俊足の外野手と一本足のホームラン王になった主砲が元甲子園優勝投手というのだけでもファンを喜ばせる要素であります。そんなスター選手に囲まれてノンプロで苦労してきた黒江がショートのレギュラーを掴むというサイドストーリーも盛り込まれている。
黒江の前任の巨人のショートと言えば早稲田大学出身。後にヤクルト、西武で優勝監督になる広岡達郎氏である。広岡はV9戦士に数えられることも多いが実質V9一年目の65年だけ関わっている。大学出のエリート広岡の後釜をノンプロ球団を転々としつつ巨人への入団に漕ぎ着けた黒江の活躍は高度成長期の猛烈サラリーマンの気質。とりわけ大卒のエリートに対する中卒、高卒のド根性に通じる人気があったのではないか?と思う。
黒江とショートのポジション争いをした千田選手は甲子園組で、巨人としては黒江よりも千田をスター扱いしていたとの話もある。巨人のレギャラー選手としては背も低くガニマタで、顔はお世辞にも美男子とは言い難い。そんな黒江が、なりふり構わないプレーでレギュラーにしがみつく姿への共感はスマートなエリート集団の中で泥臭く輝いたのである。
打順に関しては上記の一番柴田から始まるオーダーのイメージが強いが、柴田、高田、土井、黒江に関しては流動的であった。また金田や堀内等、バッティングの良いピッチャーが先発する試合では八番に投手を入れ、柴田、高田、土井などが九番に入る打順が多かったのはV9巨人の特徴である。一時期の一番から三番まで俊足のスイッチヒッターを並べた広島打線や横浜大洋のスーパーカートリオの構想はV9巨人の九番、一番、二番に俊足の打者を並べるオーダーを飛躍させたものではないか?と筆者は考える。
ON砲の三番、四番も川上監督はよく入れ替えた。王、長嶋のどちらかが不調になると不調な方を三番に据える。一種の奮起財になるようで川上氏のインタビューによると「三番にされた方が、よく打つんですわ」とある。ただし年長者の長嶋を四番。三番に王という打順は理にかなっている。一見、俊足でアベレージヒッターの長嶋が三番。鈍足でホームランバッターの王が四番の方がセオリーに沿っているように見えるが、王が敬遠された後に燃える男長嶋が痛快に長打を放つシーンはプロ野球の華だった。