第86話 二度目の夏編●「目の前で」
文字数 2,963文字
土井監督は意表をついて一年生の浜を先発ピッチャーで起用。七回まで一失点で好投。岩城のホームランも飛び出して四点差になり、センターの里中をマウンドに上げた。本来の姿に戻った由良明訓の強さに湧き上がる甲子園球場だったが、続く第三試合に高知第一高校を迎え撃つ岐阜青雲大学付属高校ナインは目の前で明訓の強さを見せ付けられる形になった。
試合を終えた由良明訓ナインも、そのまま球場に居残り、青雲の試合に注目した。投球練習を始めた江口を見て里中は改めて江口の凄さを認めた。午後一時。晴天の甲子園球場は最も夏の暑い時間帯に突入する。センターを守っていた時には気付かなかったが、マウンドに上がって、この日の異常な猛暑に気がついたのである。
今までスタミナ不足とマスコミに書かれるたびに腹が立っていたが、自分ではストレートのスピードも落ちていないように感じるだけで実際は球威は落ちていたのだろう。一試合を一年生の浜と分けるように投げる戦法には内心、反発していたが、こうして勝ち進んでいくと確かに楽である。
田山、岩城と自軍には高校生離れしたタフな男がいる。江口も、この二人と同格なタフな体力を持っているのだろう。青雲にも滝という有望な一年生ピッチャーが入部しているが、予選からライトを守っており、投げるところを見たことはない。やはり江口とは格が違うのだろう。予選の三岐大会から甲子園での二戦。一人で投げ抜きながら江口の速球は一球ごとに威力を増していくように見える。
選抜大会ではチェンジアップとスローカーブでカウントを整え、ここ一番で剛速球を決めてくる配球が、この夏では再び速球を中心に打者を威圧するようなピッチングに戻っている。
「こうして江口さんを球場で見ると、自分が速球派投手だなんて自信持ってたのが恥ずかしくなりますね。四月には生意気言ってすみませんでした」
いつの間にか里中の真横に浜が来ていた。入部してきた時には生意気な一年生だと思っていたが、試合を重ねていくうちに本当の兄弟のように仲良くなっていた。マウンド上の江口は高知第一のトップバッターを遊び球なしで三球三振に討ち取った。三球とも速球である。
「そういう浜だって俺に負けない速球が投げられるじゃないか」
「里中先輩は典型的な技巧派ピッチャーですよ。誰にも投げられないシンカーを持っているじゃないですか!それは、それで凄いんです。俺は江口さんを目標にしなくちゃいけない…」
浜は少し黙った。それから意を決したように告白を始めた。
「ここの野球部では話してませんが、俺も江口さんと似たような育てられ方をしたんです。江口さんのお父さんがノンプロの名選手だったことは有名ですが俺の親父もノンプロのピッチャーだったんです」
「それは知らなかった。でも納得したよ。浜は入ってきた時から何でも上手いもんな。やっぱり親父さんには子供の頃から鍛えられたのか?」
「そりゃもう小学生の頃なんか何度も家出しようと思いましたよ。毎日毎日、ランニング、
素振り、投球練習、ノックですよ!アトムも鉄人も観たことないんです。そりゃ子供にとっては地獄ですよ」
「俺も親父とは毎日キャッチボールを欠かさないようにしてたけど浜や江口の練習とはレベルが違うんだろうな」
「う~ん。うちの親父も自分の選手時代の話はあまりしないんだけど、俺は江口さんのお父さんと、うちの親父は知り合いなんじゃないか?って疑っているんですよ。江口さんは中学までは無名で高校になって彗星のように現れた。お父さんの意思によって中学野球やボーイズリーグで野球をさせなかった。話によると大人のチームに混じって練習してたそうですね?」
「あぁ!前に馬場の家で江口や矢吹と飯食った時に、そんな話を聞いたよ。あいつは、あいつで同世代と野球をやりたくて寂しかったそうだ」
「うちの親父の場合は逆なんです。大阪に引っ越してレベルの高いボーイズリーグに俺を入れて、中学生になると中学の野球部とシニアリーグの両方やらせた。学校で軟式野球。日曜日は硬式野球ですよ。それで去年の夏の甲子園を観て、由良明訓高校へ入れ!田山というキャッチャーに受けてもらえ!と言い出した。だから俺は越境入学なんです。親父の知り合いの家に預けられて明訓に通ってるんです」
「お前、一つ隠してるだろう!親父さんは、あの里中ってピッチャーからエースの座を奪えって言ったんじゃないか?」
「はは…。そんなとこです。こう考えると、うちの親父は江口さんのお父さんを意識して逆に息子を育てているように見えるんです。岐阜青雲大学付属高校なんてのは江口さんだけ入学しても、あの速球を捕れるキャッチャーがいなかった。ここまでは高校まで江口さんを無名のままでいさせたかったんじゃないか?って思います。たまたま矢吹さんっていう運動能力の高い生徒がいてキャッチャーがやれたから有名になってしまった」
「そういうことらしいね。矢吹の存在までは江口のお父さんも計算外だったろう。弱小野球部でキャッチャーに遠慮しながら投げてたら例え江口敏でも予選の準決勝ぐらいで敗退してただろうし、全力投球できないから目立たなかったと思う」
「どういう意図があるのか?判らないけど目立たないところに江口さんを置こうとする。俺は目立つところにばかり置かれてきた。なにかこう意図があるような気がするんです」
里中は初めて聞く浜の話を面白い話だなと思って聞いていた。目の前では黒沢、青木、矢吹、江口が連続ヒットで早くも青雲は二点をリードしている。明日の準決勝も由良明訓対青雲大付属で決まるだろう。織田監督は、どんな作戦で来るか?と考えた瞬間!
「そういえば!浜。お前の親父さんは去年のうちの監督。織田さんが夏が終わった途端に辞表を提出したことを知らなかったんじゃないのか?」
「あっ!それが判ったのが春の選抜の時だったんですよ。その時は入試試験は終わってて由良明訓に入ることが決まってたんです。確かに親父は土井って若いのが監督ぅ?織田は青雲大付属の監督だと!って驚いていたのを覚えてます」
「おい。織田さんだけが独身だが浜と江口の親父さんとは同世代のはずだ。この三人はもともと知り合いだったんじゃないか?浜のお父さんは、お前を織田さんに預けるために、ここに受験させたんじゃないか?そう考えると、しっくり来るな」
「確かに!さすがに里中先輩も鋭いですね。ただね…前は親父が俺をどうしたいのか?俺は親父の操り人形なのか?みたいなこと考えたんですけど、今はどうでもいいです。こんな凄いチームに入れて、一年生なのにマウンドにも上がれている。親父には感謝してますよ」
ライバル校の二人のピッチャーの視線を感じていたのか?マウンド上の江口敏は三回を終わって打者一巡九者連続三振に討ち取った。選抜大会の時には未完成のスクリューボールも要所要所で見事に決まり、高知第一の打者のバットは空を切っていた。