第86話 二度目の夏編●「目の前で」

文字数 2,963文字

 八月十六日は第51回甲子園大会の準々決勝であった。第二試合で由良明訓高校が登場。主砲の田山三太郎は四番キャッチャーのポジションに戻った。打席も本来の左打席に戻り、二打席目にはツーランホームランを放った。二度目の夏の大会では初めてのホームランである。
 土井監督は意表をついて一年生の浜を先発ピッチャーで起用。七回まで一失点で好投。岩城のホームランも飛び出して四点差になり、センターの里中をマウンドに上げた。本来の姿に戻った由良明訓の強さに湧き上がる甲子園球場だったが、続く第三試合に高知第一高校を迎え撃つ岐阜青雲大学付属高校ナインは目の前で明訓の強さを見せ付けられる形になった。
 試合を終えた由良明訓ナインも、そのまま球場に居残り、青雲の試合に注目した。投球練習を始めた江口を見て里中は改めて江口の凄さを認めた。午後一時。晴天の甲子園球場は最も夏の暑い時間帯に突入する。センターを守っていた時には気付かなかったが、マウンドに上がって、この日の異常な猛暑に気がついたのである。
 今までスタミナ不足とマスコミに書かれるたびに腹が立っていたが、自分ではストレートのスピードも落ちていないように感じるだけで実際は球威は落ちていたのだろう。一試合を一年生の浜と分けるように投げる戦法には内心、反発していたが、こうして勝ち進んでいくと確かに楽である。
 田山、岩城と自軍には高校生離れしたタフな男がいる。江口も、この二人と同格なタフな体力を持っているのだろう。青雲にも滝という有望な一年生ピッチャーが入部しているが、予選からライトを守っており、投げるところを見たことはない。やはり江口とは格が違うのだろう。予選の三岐大会から甲子園での二戦。一人で投げ抜きながら江口の速球は一球ごとに威力を増していくように見える。
 選抜大会ではチェンジアップとスローカーブでカウントを整え、ここ一番で剛速球を決めてくる配球が、この夏では再び速球を中心に打者を威圧するようなピッチングに戻っている。
 「こうして江口さんを球場で見ると、自分が速球派投手だなんて自信持ってたのが恥ずかしくなりますね。四月には生意気言ってすみませんでした」
 いつの間にか里中の真横に浜が来ていた。入部してきた時には生意気な一年生だと思っていたが、試合を重ねていくうちに本当の兄弟のように仲良くなっていた。マウンド上の江口は高知第一のトップバッターを遊び球なしで三球三振に討ち取った。三球とも速球である。
 「そういう浜だって俺に負けない速球が投げられるじゃないか」
 「里中先輩は典型的な技巧派ピッチャーですよ。誰にも投げられないシンカーを持っているじゃないですか!それは、それで凄いんです。俺は江口さんを目標にしなくちゃいけない…」
 浜は少し黙った。それから意を決したように告白を始めた。
 「ここの野球部では話してませんが、俺も江口さんと似たような育てられ方をしたんです。江口さんのお父さんがノンプロの名選手だったことは有名ですが俺の親父もノンプロのピッチャーだったんです」
 「それは知らなかった。でも納得したよ。浜は入ってきた時から何でも上手いもんな。やっぱり親父さんには子供の頃から鍛えられたのか?」
 「そりゃもう小学生の頃なんか何度も家出しようと思いましたよ。毎日毎日、ランニング、
素振り、投球練習、ノックですよ!アトムも鉄人も観たことないんです。そりゃ子供にとっては地獄ですよ」
 「俺も親父とは毎日キャッチボールを欠かさないようにしてたけど浜や江口の練習とはレベルが違うんだろうな」
 「う~ん。うちの親父も自分の選手時代の話はあまりしないんだけど、俺は江口さんのお父さんと、うちの親父は知り合いなんじゃないか?って疑っているんですよ。江口さんは中学までは無名で高校になって彗星のように現れた。お父さんの意思によって中学野球やボーイズリーグで野球をさせなかった。話によると大人のチームに混じって練習してたそうですね?」
 「あぁ!前に馬場の家で江口や矢吹と飯食った時に、そんな話を聞いたよ。あいつは、あいつで同世代と野球をやりたくて寂しかったそうだ」
 「うちの親父の場合は逆なんです。大阪に引っ越してレベルの高いボーイズリーグに俺を入れて、中学生になると中学の野球部とシニアリーグの両方やらせた。学校で軟式野球。日曜日は硬式野球ですよ。それで去年の夏の甲子園を観て、由良明訓高校へ入れ!田山というキャッチャーに受けてもらえ!と言い出した。だから俺は越境入学なんです。親父の知り合いの家に預けられて明訓に通ってるんです」
 「お前、一つ隠してるだろう!親父さんは、あの里中ってピッチャーからエースの座を奪えって言ったんじゃないか?」
 「はは…。そんなとこです。こう考えると、うちの親父は江口さんのお父さんを意識して逆に息子を育てているように見えるんです。岐阜青雲大学付属高校なんてのは江口さんだけ入学しても、あの速球を捕れるキャッチャーがいなかった。ここまでは高校まで江口さんを無名のままでいさせたかったんじゃないか?って思います。たまたま矢吹さんっていう運動能力の高い生徒がいてキャッチャーがやれたから有名になってしまった」
 「そういうことらしいね。矢吹の存在までは江口のお父さんも計算外だったろう。弱小野球部でキャッチャーに遠慮しながら投げてたら例え江口敏でも予選の準決勝ぐらいで敗退してただろうし、全力投球できないから目立たなかったと思う」
 「どういう意図があるのか?判らないけど目立たないところに江口さんを置こうとする。俺は目立つところにばかり置かれてきた。なにかこう意図があるような気がするんです」
 里中は初めて聞く浜の話を面白い話だなと思って聞いていた。目の前では黒沢、青木、矢吹、江口が連続ヒットで早くも青雲は二点をリードしている。明日の準決勝も由良明訓対青雲大付属で決まるだろう。織田監督は、どんな作戦で来るか?と考えた瞬間!
 「そういえば!浜。お前の親父さんは去年のうちの監督。織田さんが夏が終わった途端に辞表を提出したことを知らなかったんじゃないのか?」
 「あっ!それが判ったのが春の選抜の時だったんですよ。その時は入試試験は終わってて由良明訓に入ることが決まってたんです。確かに親父は土井って若いのが監督ぅ?織田は青雲大付属の監督だと!って驚いていたのを覚えてます」
 「おい。織田さんだけが独身だが浜と江口の親父さんとは同世代のはずだ。この三人はもともと知り合いだったんじゃないか?浜のお父さんは、お前を織田さんに預けるために、ここに受験させたんじゃないか?そう考えると、しっくり来るな」
 「確かに!さすがに里中先輩も鋭いですね。ただね…前は親父が俺をどうしたいのか?俺は親父の操り人形なのか?みたいなこと考えたんですけど、今はどうでもいいです。こんな凄いチームに入れて、一年生なのにマウンドにも上がれている。親父には感謝してますよ」
 ライバル校の二人のピッチャーの視線を感じていたのか?マウンド上の江口敏は三回を終わって打者一巡九者連続三振に討ち取った。選抜大会の時には未完成のスクリューボールも要所要所で見事に決まり、高知第一の打者のバットは空を切っていた。
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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