第154話 覚醒と崩壊●「背番号のプレッシャー」
文字数 2,613文字
エース堀本と左のエース高岡一三が、それぞれ十五勝は期待できる。しかし、それではトータルで三十勝である。優勝ラインは七十勝と考えると残り四十勝を他のピッチャーで賄わねばならない。河村監督から長尾二軍監督に毎日かかる電話は「新山、江口、大西は、どうだ?」という内容である。長尾は二軍のガイヤンツでは何をすべきか?を熟知した男である。毎日のように河村にレポートを提出している。
「●新山について●肩、肘の故障については再発の危険性はありません。二年間、走り込みばかりしていたため、下半身は安定し、コントロールにも向上が見られます。フォーメンションプレーを覚えれば一軍での戦力として期待できます。
●江口について●体力は申し分ない。スピード、コントロールは新山以上。変化球のコントロールも良いので新山以上の投手と言えます。ただし精神面では大きな問題あり。先輩達に萎縮している様子が見えます。フォーメーションプレーに関しては素人。アマチュア時代にランナーを出した際の駆け引きなど、してこなかった弊害が見受けられます。
●大西について●投手守備、牽制球などは経験豊富です。ただし投手能力として考えますと新山、江口と比較してスピード、コントロール、変化球全ての面で劣ります。右投手であれば三年目の関谷、二年目の神田の成長が見られ、一軍でも通用できると思われます。大西君の将来も考え内野手への転向を提言いたします。外野手に関しては三位指名の淡谷に期待できます。大西は内野が向いているでしょう」
試合前に長尾からのレポートに目を通すのが河村の日課である。渋い顔でレポートを見ている河村にヘッドコーチの牧場が声をかける。常勝ガイヤンツの指揮官としてマスコミでは「石橋を叩いても渡らない河村野球」などと評されているが、実際の作戦面は牧場が指揮している。河村が劉備とすれば牧場は諸葛亮のような存在であった。
「やはり問題は投手陣ですか?新山の治療が成功したのは何よりです。長尾二軍監督の提言は、さすがですな。大西は早い段階で内野手にすべきでしょう。江口投手は、どうでしょうね。思っていたよりも気が弱いのかもしれません。やはり新人には大きな背番号から始めさせないと、いきなり19番では彼には荷が重いかもしれませんな」
河村監督は相変わらず難しい顔をしている。牧場の意見に賛同しながらも、納得はしてない。
「たかだか背番号ごときが負担になるような選手なら、そこで終わりだよ。長岡の背番号3だがね。君も知っているだろうが、私の前の三番を打った猛牛、大葉の本来ならば永久欠番にしなくてはならない背番号だ。江口君ほどの実績があれば金山君の永久欠番34番をあげても可笑しくはない。しかし、それではプレッシャーが大き過ぎる。だから19番にした」
「仰る通りですな。大葉さんも素晴らしい選手でしたが長岡君はミスタープロ野球と呼ばれるスターになりました。長打力は司馬君が上ですが、それだけに司馬は敬遠が多い。司馬が敬遠されると長岡は俺の見せ場だとばかりにタイムリーを打つ。チームを勝たせているのは、やはり長岡のバットです」
「うむ。普通ならば足の速い中距離ヒッターを三番に置き、足は遅いが長打力のあるバッターを四番に据える。司馬への敬遠を計算して三番と四番を逆に据えた君の作戦には脱帽しておるよ。しかし…問題は…」
河村監督はいても立ってもいられないという様子でベンチから二軍の長尾宛てに電話を入れた。「わしだ。河村だ。長尾君を頼む。あぁ…長尾君か…。レポートは拝見した。今日にも大西選手には内野手への転向を伝えてくれ…あぁ…早い方がいい。それから新山選手だがイースタンで投げさせろ。打たれても決して七回までは替えるな。勝ち負けの問題ではなく内容がよければ一軍に上げる。江口選手に関してだが慎重に育てろ。イースタンでは、まず敗戦処理だ。うんうん。それでいい」とだけ告げて電話を切った。牧場は、その会話を聞きながら
「江口よりも新山ですが?培養された美しい花よりも雑草の強さを評価しましたな」
「うむ…。長尾君は問題にしておらんが、二軍のコーチ陣より提言があってな。新山と江口の不仲で投手陣が閉口しているようだ。最も後輩の江口は何を言われても言い返せないようだがね。新山は韓国籍のせいか自分が馬鹿にされている。とか自分が軽く扱われている。と思いやすいようだ。そろそろ一軍を経験させてやってもいい。敗戦処理に失敗するようならば自分の力を思い知るだろう。一度、江口と新山は切り離す」
「それでは監督も長い目で見れば新山よりも江口だと!」
「うむ…。投手としての能力も必要だがね。ガイヤンツの選手は野球の成績がいいだけではない。常にテレビ、新聞。マンガにさえなる。長岡は明るい笑顔でプレーし、司馬が空にホームランの虹をかける。例えばタイタンズの湯夏投手は、わしも現役最高のサウスポーだと評価しておる。だが、ガイヤンツには向かんよ。大阪下町の出身で、どこかヤクザっぽい雰囲気が顔に出ている。それに比べると江口君の顔は子供用の絵本に描かれた金太郎さんのように天真爛漫な笑顔だ。わしがドラフト会議の時に江口一位を譲らなかったのは彼の笑顔を評価したからだ」
牧場は、それ以上の意見をしなかった。現役時代は中京ドアーズの内野手だった牧場には河村のような選手育成を知らなかった。ドアーズでは単純に上手い者、力を持った者が一軍に上がり、スタメンに選ばれるチームであった。「ガイヤンツでは、もう一つレベルの高さが求められるというところか…背番号19番。まさに来季のスター候補と呼ばれる江口君だが…長尾二軍監督のレポートにある”精神面では大きな問題あり”の一言が、私には気になる。河村監督と長尾さんが大きな期待をかければ、かけるほど江口君が苦しむような気がしてならない」と感じていた。