第153話 覚醒と崩壊●「豪快投手」
文字数 2,272文字
激戦区の兵庫県で県立高校が勝ち上がってくることも珍しいが、予選ではノーヒットノーランを何度も達成している豪腕投手として高山の名前は鳴り響いていた。スポーツ新聞には「どちらが最速か?左の江口敏(岐阜青雲大学付属高校)右の高山志郎(県立神戸東高校)名門進学高校から現れた剛速球投手!」という比較記事が掲載されていた。
しかし江口が並外れたスピードに加えてコントロールも抜群だったのと好対照に高山は俗に言うノーコンピッチャーだった。力任せに三振を山を築く時は凄いが暴投、四球もやたら多い。本人には全く悪意はないが危険球退場処分も一度受けている。最後の夏に賭ける意気込みは盛んだったが、序盤からフォアボールを連発。ストライクを取りに行ったボールを狙い打たれ二回戦で姿を消した。
ふてぶてしい無表情から大砲の弾のような重く早いボールを投げる姿からノンプロ野球界でも恐れられる存在だったが、マウンドを降りると優しく気の弱い好人物であった。
「俺はねぇ。君たちと青雲大付属の試合を見てねぇ。勝った方と戦いたいって思ってたんだよ。江口選手との速球合戦もやりたかったけど、由良明訓高校の強力打線と試合してみたかったな。一番が岩城君。二番が馬場君で…三番は誰だっけ?」
「当時のキャプテンの土井さんが三番でした」
「そうだ!そうだ!それで四番が田山君か!同じ学年だったから土井選手は意識したね。ロビンスに入ったんだっけ?あのメンバーのうち三人がプロのドラフト一位というのは、やはり凄い。こうして里中君と同じチームになれるなんて嬉しいよ」
まるで野球少年のように談笑する高山を見て「いい先輩だな」と思う反面、たった二歳しか違わないのに大人の男という高山の雰囲気に驚いた。土井と同学年と言われたが、土井が高校に残り監督として自分達と関わってきた二年間を、社会人野球の世界で踏ん張ってきた高山は大人の中で野球をしてきたからだろうと思った。
「僕らは、ともかく高山先輩はプロからの誘いもあったんじゃないですか?」
「うん。俺のことを買ってくれている監督もいるようだがね。俺には自信がない。まずはノーコン。やっぱりフォアボール病は俺の欠点だよ。それから怪我が多いんだ。ある程度、身体に厚みがあるから大きな男だと思われているが、ほら!里中君の方が背は高い。この低い身長で背の高いピッチャーに負けない球速を出すためには全身を使ったフォームになる。なのでピッチャーゴロさえ対応できないんだ。それに利き手の突き指も多い」
「利き手の突き指?グローブじゃなくて右手で打球を掴んでしまうんですか?」
「そうじゃない」と言いながら高山は立ち上がってピッチングフォームを里中に見せた。豪快なワインドアップから右腕を大きく振る。物凄い勢いで振った右手は軸足になる左足の膝や脛に当たることで辛うじて止まる。
「ほら…。ここで突き指をしてしまうんだよ」
言いながら、高山は笑いながら右手の指先を里中に見せた。第一関節がやたら太く、肌色も変色している。小柄な体格でも全身で投げ続け、大柄な江口と同等の剛速球を投げ込むことに執念を燃やした男の指だった。
「俺もね。里中君みたいにシンカーやカーブが投げられればピッチングも変わるんだろうけど、なかなかねぇ…変化球の練習は課題にしているんだけど曲がらないんだよ。カーブは、それでも三球に一球は曲がるようになってきたよ」
「いや…五球に一球じゃないかな?」里中と高山が振り向くと、いつの間にか監督の下川が笑いながら二人の話を聞いていた。
「僕も高山選手の投球フォームは故障の心配はあると思っているんだが、彼には鍛え上げた下半身があって初めて投げられる剛速球なんだ。里中選手の変化球も同じだよ。子供の頃から走りこんだ鳥取の砂丘から生まれた強靭な下半身があっての切れ味だ。今年は加藤、中間が入って打線に軸が出来た。高山だけではなく里中が入って投手陣も頼もしい。愛知県のノンプロはレベルが高いが、僕は都市対抗出場を狙っていくよ!」
その数日後、ノンプロの強豪チーム明治石油との練習試合が決定した。先発を命じられたのはエース高山ではなく里中だった。下川の構想は「コントロールが良く球種の豊富な里中が序盤から中盤を抑える。七回以降に高山がリリーフすれば相手バッターは、その落差で翻弄されるだろう」という分業制だ。全丸大のチーム内では「技の里中、力の高山」がキャッチフレーズのように広まった。
また練習試合ということもあり、三番ファースト加藤、四番サード中間もスタメンで起用される。高校野球のようなポジション争いという意識はあまりない。ベテラン勢は「どれどれ血気盛んな若造の実力を見てやろう」という雰囲気である。
由良明訓高校時代は常に緊張感を持って野球をやった。常勝軍団、連勝記録の更新。そのプレッシャーは、やはり凄まじく野球を楽しむ感覚はなかった。強敵相手の連投も拒まない里中だったが下川監督の言う「休息も練習のうち」という考え方も理解できてきた。高校野球と違い一敗したら終わりではないのだ。
「このチームに入って良かった」里中は初めて野球が楽しいと思えた。