第41話 思春期激闘編●「倦怠感」

文字数 1,584文字

 里中繁雄は岡山で朱美と密会していた。江口敏が由良明訓野球部を覗きに来た日を境に朱美は練習の見学には行かなくなった。朱美を巡っての里中と江口の三角関係も田山、岩城、矢吹らが一同に会し、馬場の両親が経営する居酒屋で揃って会食することになる。
 会食中、江口は田山と野球技術の話題に終始した。朱美は、その場で江口との関係について決着をつける気だったが肩透かしを食う結果となった。江口も野球に取り付かれた男なのだ。朱美に対する片想いを告白するために、わざわざ岐阜から鳥取まで出てきたにも関わらず、ライバル田山との野球談義を選ぶ男なのだ。
 「野球ってさぁ…アメリカ人が考えたスポーツなんでしょ?」
 「そうなんだろうなぁ。あんまり考えたことないけどね。どうしてそんなこと訊くんだ?」
 「どうしてって…理由はないけど。繁雄君は思わない?なんかセックスをシンボルにした競技だなぁって、いかにもスケベなアメリカ人が考えたって気がする」
 「そんな意味があるのかなぁ?バットが男のアレみたいだとか?」
 「そう…バットとボールは男のシンボル。グローブやミットは女のシンボルに見える時がある」
 「野球見ていると、いやらしい気分になったりするの?」
 「それはないなぁ。ただ、この間。みんなで夕飯食べた時に、あたしと夏美ちゃんは放っておかれて江口も矢吹も、あんたたちも野球のことしか話さなくなってた。それが羨ましかっただけ。男はセックスが好きだから、野球も好きなのかな?って思った」
 「朱美ちゃんは難しいこと考えてるんだな。俺には、そんな余裕もないよ。もともとは矢吹と友達なんだっけ?」
 「友達っていうか仲間ね。嫌な男よ。まるで高校生の中に一人だけ大人…それも闇にどっぷり浸かった悪人が混ざっているような…変な感じ」
 「江口君一人じゃ大して怖くはないよ。ただ早いボールを投げるだけのピッチャーさ。ただ矢吹君ってのは怖いね。底知れない不気味さを持っている。俺たちが優勝できたのは矢吹君の野球経験が短かっただけだという気がする。短期間であんな選手になれるのは不気味な人だよ」
 事が終わった直後の全身が倦怠感に襲われる時間である。繁雄も毎日のトレーニングや投球練習、打撃練習の疲れが、この時とばかりに全身を襲うのを感じていた。朱美も同様だった。仕事としてのセックスは作業という感覚しか肉体に残らない。里中繁雄に対してだけは何か強烈な吸引力を感じてしまう。そのせいかグタッとした倦怠感が全身を支配する。
 「どうせ矢吹は、どっかに行ってしまう男なの。柔道も、わたし達との遊びも飽きてしまっただけ、そこに江口敏という新しいオモチャを見つけて夢中なのよ。本当にバカで救いようのない男だわ」
 「ふうん。本当に朱美ちゃんが一番好きなのは矢吹太なんだろう?別に俺は、それはそれでいいんだ。どういう訳か、そんな朱美ちゃんに江口が惚れて、どういう訳か、俺とこんな付き合いになっちゃった。高校生になっていろんなことがあり過ぎたよ」
 「妬いてるの?別にいいわよ。あれだけファンがいるんだから片っ端から、やっちゃえば?」
 「バカなこと言わないでくれよ。野球辞めるって決めたら、片っ端からやりまくるかもしれないけど、まだ野球を辞めたくなってないんでね」
 「そう。繁雄君は野球を辞められないわ。必ずプロになる。江口敏と田山三太郎、それに岩城正もプロ入りするでしょうね」
 「へぇ?面白い予見だね。矢吹や馬場はプロ入りしないの?」
 「矢吹は高校野球までよ。必ず飽きて違う道に逸れる奴よ。馬場君も高校野球までとしているように見えるわ。彼は、もっと計算している。何かのために元甲子園球児という肩書きを欲しいんだと思う…」
 「馬場って奴は芸術家だよ。ジミー・ヘンドリックスやらクリームやら…あいつの好きな音楽なんて俺にはさっぱり分からないよ」
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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