第48話 俺たちの闘争編●「吐露」
文字数 1,786文字
「東京の三億円の事件。まだ犯人は捕まってないよね」
矢吹はニヤッと笑う。この男はいつもそうだ。心の底から笑った顔など見せやしない。他人のことは言えたもんじゃないが、十六歳にしちゃずいぶんとひねくれている。一番気に食わないのが矢吹の笑顔は、どこか他人を見下した笑顔なことだ。
「三億円ね。白バイ警官に扮するなんてのは上手いこと考えたもんだな」
「ホントは三億円なんて、どうでもいいんだけど…矢吹ってさぁ。これからも野球を続けていくつもりなの?」
「ん?…今は、とりあえず続けるな。変な話だが江口敏というバカに付き合いたいんだ。あいつが朱美に心底惚れてしまったのは俺の計算違いだけどな。すまねぇな。迷惑かけちまって」
「別に迷惑じゃないんだけど驚いたわ」
「こっちも驚いたよ。いつの間にか由良明訓高校側に朱美がいるんだからな。しかも里中繁雄の恋人になってたとは…想像もできなかったよ」
「焦ってたのよ。仲間だと思ってた矢吹が雑誌や新聞に載ってる。あんたが連れてきた江口って子はテレビにまで出ている。なのに、あたしはこんな裏通りでスケベ親父相手に稼いでいるだけ。最初は、あんたに対する復讐したかっただけ」
「復讐ねぇ…。なるほど。朱美も勘がいい。俺は、どんな相手と当たっても経験しといた奴は童貞に勝つ!それなら敵のピッチャーも童貞卒業させとけば少なくとも精神的には江口と里中は対等の戦いになる…勝負はピッチャーとしての力勝負だけってとこか?」
「相変わらず憎たらしいほどの洞察でございますこと!顔見てピンと来たわ。女の子の人気は集めているけど里中は絶対に童貞だってね。こんな生活してるから分かるんだろうけど」
「田山三太郎が、あまりに凄いんで格下扱いされているけど、俺にはあいつが凄い選手だって気付いてた。別に野球でなくたってボクシングやっても世界チャンピオン候補だろうし、陸上やったらオリンピックに行けるような奴さ。それにしても、どうやって連中に近づけたんだ?」
「夏美って子と知り合えたのよ。岩城の女だったの。ソフトボール部じゃ飛び抜けた選手らしくて甲子園では野球部の手伝いで宿にも出入りできた。それで里中に近づけたの。応援席に、あたしの席を用意してくれたのも夏美なの」
不思議と話しているうちに矢吹とは打ち解けられる。矢吹と知り合ったのは中学二年の頃だ。何か、ありきたりな自分に自己嫌悪が生まれた頃、矢吹は表では柔道の有望選手、裏では不良やチンピラに慕われるアウトローだった。こんな奴に近付けば自分を変えることができると朱実は直感した。
「ふうん。夏美ちゃんねぇ。岩城正ってのは、相当いかれた野郎なんだが、あいつがまともにやっているのは、あの女のお陰か…面白いもんだな。ガキの頃の柔道大会で対戦した岩城と野球で再会して、しかも奴の女のお陰で夏は負けた」
「選抜でも青雲と明訓は当たるわね。矢吹にとっては復讐のチャンスかしら?」
「当たるだろうな。でも、まだ復讐できそうにねぇや。そっちには里中、馬場、田山、岩城とやばい奴が四人もいやがる。こっちは俺と江口の二人だけだ。春になって新入生に凄いのがいれば互角に戦えるが、選抜は、どこまで善戦できるか?だろう。だけど江口の横恋慕の心配はしなくていいぜ。なんか最近はヨーコとよろしくやってるそうだ」
「ヨーコと?あの子、あたしには何も言ってなかったけど江口の女なの?」
「ああ!朱美を探して、ここいらに一人で来た時にヨーコが相手したらしい。その時は可愛らしいインポちゃんだったそうだが、何度はしてるうちにいい仲になってるらしいぜ。江口もヨーコもお人好しだからな。似た者同士ウマが合うんだろう」
「矢吹!あんたさぁ。前からだけど、あたしを抱こうとは思わないの?」
「嫌いじゃないけど、辞めておくよ。男と女に生れ落ちたものの朱実と俺は似すぎている。お人好し同士は良いかもしれねぇけど、俺たち腹黒い似た者同士は近付き過ぎない方がお互いに身のためだと思うぜ」
相変わらず勝手な男だ。朱美は子供っぽくアカンベーをしてみせた。