第29話 甲子園編●「キャプテンとして何をすべきか?」
文字数 2,045文字
「三番ファースト土井君」
場内アナウンスを聞きながら土井は打席に向かう。ようやく巡って着たチャンスに土井は何をすべきか?自問自答していく。田山の入部によりキャッチャーから一塁手、四番打者かた三番打者に追いやられた。それまでプロも注目する高校ナンバーワンのキャッチャーの座から転落した。新聞記事を読んでも土井に対する評価は少々辛辣であった。
「別に悔いはない。俺は田山が好きだ。キャプテンとしてチームをより強い形にすることは当然なのだ。そのためには田山が四番キャッチャーになるべきなのだ」
相手投手の江口は冷静を装っているが確実に同様している。度胸満点なはずのキャッチャー矢吹も顔面蒼白だ。野球のキャリアは短いが柔道の一流選手だけあって由良明訓が江口の弱点を見抜いたことに気がついている。四回表に田山が右打席で三振した時に織田以下、土井、馬場ら主力選手は確信したのだ。
「完全試合が多い割りにノーヒットノーランが一度もない。要するに死球、四球が一度もない。江口敏はコントロールも素晴らしいのだ。左投手が使う右打者の内角へのボール。大リーグで言うクロス・ファイアーも印象にない。ところが田山が左打席に入った時は右打者への内角にボールは行ってる。田山を警戒しての外角攻めかと思ったら、田山が右打席に入ると、やはり外角攻めだ。これは、どういうことか判るか?」
五回表の攻撃前に監督の織田がナインに問いかけた。誰もが勘付いていたが、馬場が答えた。
「剛球投手と言っても俺らと同じ高校一年。江口はよぉコントロールミスして相手選手にぶつけるのが怖いんだ。もう一つはキャーの矢吹だ。運動能力は抜群っていっても四ヶ月で仕上げた急造捕手。内角で空振りされたらパスボールの可能性もある」
そこで里中が口を挟んだ。
「ひょっとすると今の江口君には外角しか投げられないのかもしれません。俺も経験あるんですがウチで紅白戦をやると、やっぱ味方の選手にブツけちゃいけないと意識して自然に内角を攻められなくなるんです。江口君みたいなスピードはないから俺なんか内角も使って散らさないと勝負にならないんですけど、どういう訳かボールは外に行っちゃうんです」
「なるほど…。投げないのではなく投げられない。これは投手心理として正解かもしれないなぁ。五回と六回は、それを確かめる。各自、打席に入ったらベース寄りに立ったり、逆に離れたり。バントしなくても構えだけで陽動しろ。剛球左腕といってもストライク・ゾーンを半分しか使えないのならば的は絞れる。江口投手は天才扱いされているが実は欠陥投手だ!自信を持っていけ!デッドボールは絶対にない!」
織田が激を飛ばした。あまり何も言わない監督だが、この一言でナインから恐怖心が消えた。さすがに、あの剛速球が頭にでも当たったら即死もありうる。これまでの江口の対戦相手には、その恐怖心が張り付いていた。由良明訓ナインは、その恐怖心を払拭したのだ。
この作戦が成功するか?どうか?は全て土井の打席にかかっている。打席からベンチを見ると織田は何も指示をしない。「お前がキャプテンなんだから自分で考えろ」と言わんばかりの表情である。
「監督らしいや。一死、一点差。普通の高校野球ならば送りバントだろう。だが一塁が空けば田山は敬遠される。五番の石山では江口の速球をバットに当てるのが精一杯。同点は難しい。一番悪いのはゲッツー。田山と勝負させるには、ともかく俺が出塁して最低でも一二塁。二三塁の形はいらない。一三塁の形がベストだ。この形を作るには馬場が盗塁すれば作りやすい。江口は左投手だが実践で牽制の経験はない。矢吹にしても盗塁阻止の練習はしていても実践経験はない。1点リードしたことで内野は硬くなっている。俊足の馬場を盗塁させるのは簡単だ!」
一球目、土井は長打狙いのように大きく構え、江口の手からボールを離れる瞬間にバントの構えに切り替えた。江口は慌ててホームへダッシュする。バント処理を自分でやるつもりだ。土井は待ってましたとばかりに再びバットを引き、振り遅れ気味に派手な空振り、その勢いで尻餅をついた。一見、無様な光景だが全て計算し尽くした馬場のパフォーマンスである。
スライディングもせずに馬場は二塁ベースに達している。
「見せてやるぜ。これがベースボールだ。俺が打ち上げない限り、凡退しても馬場は三塁を取る。二死でもランナーが三塁にいれば同点になる可能性は広がる。ヒット、ホームランは当たり前。キャッチャーのパスボール。ボーク。牽制悪送球。振り逃げ三振で一塁セーフ」
土井の思惑通り、初めてスコアリング・ポジションにランナーを背負った江口の表情に苦悩が見えた。