第58話 選抜大会編●「勝ち越し」

文字数 1,758文字

 岐阜青雲大学付属高校の攻撃は三番の青木が、あえなく凡打に倒れ三者凡退。一回裏森沢高校の攻撃が始まった。マウンド上は当然、江口敏である。東京ガイヤンツ河村監督も森沢高校の太田黒よりも江口に注目していたようだ。
 「まず林に聞こう。同じ岐阜出身であるし林は捕手としてチームを束ねる立場だ。この江口投手に関しては、どう見ているかね?」
 「一応、野球部はあるよ…ぐらいのチームが夏の大会に出るんですから大したピッチャーですよ。スピードとコントロールはプロ級です。夏は直球一本槍でしたが緩い変化球も覚えましたからピッチャーとして巧さも身に着けましたね。短期間に、ここまで変えられたのには父親以外にも優れたコーチがいると睨んでます」
 「さすがに林だ。では藤原君。ピッチングコーチとして太田黒君と江口君がいたら、どのように指導する?」
 「そうですね。私の個人的な見解ですが太田黒選手は接触する必要はないと思います。ウチの右エース候補にはなりえない。金山さんも引退を決意されていてウチの左は高岡一人しか計算できない。右ならば由良明訓の里中選手の方がいいピッチャーです。今、こうして見ていてもボールカウントを先攻させバッターをはぐらかせてストライクを取りに行く。少し投球フォームにばらつきがあるので、そこの指導をしますね」
 打撃コーチの荒井も藤原に同意した。
 「私も太田黒君より江口君を高く評価します。ちょうど江口君の打席ですが私は打者としても注目しております。ここにいる司馬も元投手ですがセンターの柴山、そして監督も投手として入団した後に打者として大成しております。右の変化球投手が球界の全盛の今こそ、左の強打者は貴重な存在です」
 荒井コーチが江口への打者転向説を熱っぽく語っている時。太田黒のストライクを取りに行ったボールを江口のバットが捉えた。右中間のフェンス直撃し打った江口も二塁に達した。
 「確かに荒井君の言う通り。江口君のバッティングも素質はある。しかしながらだ。我がガイヤンツとしては、ここにいる堀本、高岡以外に勝ち星を計算できるピッチャーがいない。幸い韓国籍の新山投手を外国人枠で獲得できたからいいものの、彼は高校時代の酷使で肘の故障を抱えていた。まずは治療から始まるため一軍登録には一年以上の時間がかかる。江口君を獲得できた場合でも、まずは左投手として育成する方針だ。しかし新山を獲得した以上、左の江口が必要か?というと右の太田黒も捨てがたい。そのために君達に集まってもらったのだ」
 河村監督が議題を戻す。青雲の攻撃は送りバントとスクイズで江口がホームイン。またヒット1本で1点を入れる地味な野球で勝ち越した。これまで沈黙していた長岡が口を開いた。
 「僕と司馬ちゃんの立場からいたしますと。まぁバッターとしてですね。江口君と太田黒君のどちらがバッターとして嫌か?という点でいいと思うんですよ。ねぇ!司馬ちゃん!」
 長岡と司馬は入団では一年だけ長岡が早い。長岡は元六大学野球のヒーローで大卒。司馬は甲子園の優勝投手で高卒。年齢では六歳の差があった。長岡がアベレージヒッター。司馬がホームランバッターという違いがあるが長岡が打点王や本塁打王を取るシーズンもあり、逆に司馬が首位打者のタイトルを取るシーズンもある。この二人がセリーグの打撃タイトルを独占し続けガイヤンツの最強黄金期を作っているといっても過言ではない。
 「そうですね。長岡さん。僕が左バッター。長岡さんが右バッター。常識で考えれば僕は左の江口を苦手に思うし、長岡さんは右の太田黒を苦手に思うでしょう。しかし僕も長岡さんも今日の試合を見る限りは江口の方が嫌なんじゃないかな?」
 「うーん。司馬ちゃんの言う通りだね。江口君は緩い球で外して早い球でカウントを取りに来る。太田黒君は速球が外れると緩い球でストラクを稼ごうとする。逆にバッターとしては緩い球を待っていればいい訳ですね。これがプロだったらカキーンですよ!」
 カン高い声で可笑しな言い回しをする長岡の話しっぷりに一同から笑いが漏れた。厳格な河村監督の元で猛練習を積む常勝軍団の中で明るく愉快な長岡の性格は日本中から愛された。真面目で礼儀正しい司馬との好対照な名コンビは日本プロ野球の生んだ宝でもあった。
 
 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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