第148話 光と影●「分裂の予感」
文字数 2,621文字
整然としたチームプレーで都会的でスマートな野球を見せるガイヤンツに対して、俺が!俺が!の個性派集団。チームワークもへったくれもない九州の田舎チームが東京のチームを叩きのめすシーンに溜飲を下したファンも多かった。
しかし日本のエネルギーが石炭から石油へと移るにつれてクリッパーズは徐々に弱体化してきた。63年の優勝を最後に年々、順位を下げる。止めは69年に発覚した野球賭博による八百長問題で主力選手が永久追放処分を受けた。その弱体化した戦力で戦った70年には球団史上初のパシフィックリーグ最下位に終わった。
監督に就任したのは黄金期のエースピッチャー稲川である。クリッパーズのファンには「神様、仏様、稲川様」と呼ばれる不動のエース。ピッチャーながら打撃も素晴らしく58年の日本シリーズでは自らのバットでサヨナラ本塁打を放っており、クリッパーズがガイヤンツ相手に挙げた四勝の全ては稲川のピッチングによる功績だった。
ドラフト会議で稲川はイチかバチか?で江口敏か里中繁雄を指名したかった。投手出身の稲川として最下位脱出には、まず相手に点をやらない試合展開に持ち込むべきだとの持論がある。また自身の経験から江口か里中ならば十勝以上の勝ち星を挙げる投手に育て上げる自信もあった。しかし球団フロント陣は「ピッチャーは毎試合に起用できない。打者であれば毎試合起用できる。まずは激減した観客動員を取り戻さないことにはチームの補強はできない」と強硬な姿勢で田山三太郎、岩城正の指名を命じた。とりわけ球団社長は田山三太郎に執心していた。「四番を外国人が打っているチームに客が来るか!」が社長の口癖であった。
稲川とて田山の打撃、捕手としての実力は高く評価していた。だが年齢差が二、三歳程度の学生野球と十八歳から三十代半ばまでが同一チームにいるプロ野球とでは事情が違う。いくら甲子園を沸かせた天才キャッチャーとは言え高卒の若者である。ベテランの投手が田山とのバッテリーに抵抗はあるだろう。さらには田山の入団でレギュラーのキャッチャーはスタメンから外される。これによってベテラン組と若手組でチーム内が分裂する危険性を孕んでいる。
秋季練習に参加した田山は、そのバッティングには目を見張った。球団社長は「これでスタメンにる外国人二人のうち一人はアメリカに追い返せる」と高笑いをしている。コーチ陣からも「まさに怪童。かつての主砲。西田太さんを思い出しますなぁ」と喝采を受けた。長距離打者ながら、三割以上の打率を期待できる上手いバッティングは稲川も納得した。
かつての盟友西田太と田山三太郎は身体に厚みもあり、一見似ている。だが決定的に違うのは西田は、そのがっしりとした体格に似合わず俊足であった。三割三十本本塁打に三十盗塁を記録したこともある。一方の田山三太郎のランニングを見ていると運動不足の肥満児が無理やり走らされているような遅さである。パリーグ最下位のクリッパーズとは言えプロ野球選手としては致命的な鈍足なのである。
球団社長は「なぁに、リンクスの村野。ガイヤンツの林。ドアーズの真木。キャッチャーなんて、みんな鈍足じゃないか?新人にキャッチャーさせるのが不安なら一塁を守らせればいい。ガイヤンツの司馬。タイタンズの近井。こいつらだって足は遅いじゃろ。それよりサイちゃん※稲川監督は目が細く、笑うと動物のサイのようなので現役時代からサイちゃんと呼ばれている※田山君を下手に減量などさせるなよ。せっかくの長打力が失われては元も子もないからの」と満悦な様子である。
温厚な稲川は「そうですね。彼は甲子園で一塁手の経験もありますし、来シーズンは捕手兼任一塁手で開幕から使っていきますよ」と答えた。だが内心は、そうでもない。「社長はチームの勝敗など、どうでもいいと考えている。村野さんや司馬が鈍足と言っても、この田山よりは早い。事実、甲子園でも敬遠四球で塁に出て一塁ベースに釘付けになっているシーンを何度も経験しているはずだ。もしチームがリーグ上位に入れば田山は敬遠される。今年のように低迷すれば相手のピッチャーも勝負してくるだろう。三年目には三割以上、三十本以上のホームランが期待できるが…その時には僕は解任。下手すればクリッパーズは身売りしている」と考えていた。
そして「球団社長の腹は見え透いている。球団経営などに情熱は持っていない。この田山三太郎をスターにして球団の身売りの時に目玉商品にして譲渡金を要求する。もしくは三年目ぐらいに打撃タイトルでも取れば金銭トレードで他のチームに売ることしか考えていない。来シーズンには開幕から田山を使えば、当初は客も呼べる。平和台球場での試合ならば親会社の福岡鉄道の売り上げも上がるという勘定だろう」と睨んでいた。
唯一、稲川の救いは田山の礼儀正しい態度や野球に対する真摯な姿勢が主力選手に評判がいいことである。若手の有望株である西尾投手は「これが高校生か?と思うほどキャッチングは上手いですよ。盗塁阻止の強肩も頼もしい。一塁手で慣らしていくって方針も聞いてますが、俺はキャッチャーでガンガン使ってやるべきだと思います」と稲川に進言した。
この西尾投手の進言はチーム内に知れ渡ることになる。ベテランの捕手たちは面白い訳がない。ふて腐れたような態度で練習に来るようになり、酒、麻雀の依存も以前に増して激しくなっていった。あるベテラン捕手が田山に声をかけた。
「よぉ。田山ちゃんは麻雀やれんの?」
「いえ…ルールも知りません」
「おめぇも、いっぱしのプロ野球選手になるんじゃったら麻雀ぐらいできんようにならんとな!給料袋持って、わしんとこ来いや!夜の特訓しちゃるけのぉ」
真面目人間の田山が賭け麻雀の誘いに乗る訳もなく
「いえ…僕は親代わりに高校に行かせてくれた祖父や妹に仕送りしなくちゃいけないんで賭け事は…ちょっと」
と断ると「話にならんわ」と言って立ち去った。稲川の懸念した通り、クリッパーズの選手達の分裂は、すでに始まっていたのである。