第165話 閑話休題11●「イップスについて」
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高橋選手の話によると投球動作が思うようにいかなくなるイップスは野手独特の疾患ではなく、ピッチャーにも時折いるらしい。例えば送球ミスで味方チームの選手に怪我をさせたとかが原因でイップスになるのか?と想像していたが、実際は、そういうものではないらしい。自身のイップスについて詳しく語っていたのは前述の高橋選手であるが「俺の場合は先輩が怖かったから」と話している。
若手時代に逸早く頭角を現した高橋慶彦選手は遊撃手であったが二塁手の大下剛さんを恐れていたようである。大下さんは広島初優勝時の一番打者でもあるが、東映フライヤーズからの移籍組である。張本勲、大杉勝男、白仁天といった東映上位打線は一見、スジ者という雰囲気の選手が多く、大下選手などは俊足好守のスマートなプレーを魅力としながら、顔だけで相手投手をビビらせる雰囲気のある人物であった。後年、高橋選手も人は好いが強面という選手になったが、こういう強いメンタルの持ち主でもイップスを持っていたとは驚きである。
またイップス持ちはプロ野球選手として致命的か?というと、そうでもない。高橋選手の現役時代も俊足で遊撃手としての守備も一流と呼ばれた選手である。同時期に大洋の山下大輔選手がいたため、ゴールデングラブ賞に縁がなかったが、80年代の強い広島カープの三番打者として何度も優勝に貢献している。
同じく近鉄から横浜に移籍した中根選手も移籍した途端に98年、横浜ベイスターズ優勝に貢献したマシンガン打線の一員である。当時の権藤監督から「対左投手対策に中根が欲しい」と直接、声を掛けられたエピソードを本人も話している。「イップス持ちの俺を欲しいと言ってもらって凄く嬉しかった」というエピソードで中根選手がイップスに悩んでいたことが明らかになったが、現役時代の中根のイメージというと外野手にしても肩が弱い程度の認識だった。
明らかに投球に難があるイップス持ちであっても、騙し騙しプレーするテクニックがあると、けっこうな名選手として名を残している。イップスを患ったら即引退という認識ではないようである。
ちなみにイップスを用語として初めて使ったのは1930年代に活躍したトミー・アーマーさんというプロゴルファーである。アーマーさんによるとゴルフの場合はショートパット恐怖症という感じで直訳すれば「ひゃあ」とか「うわっ」など、あまり意味のない単語になる。
もちろんゴルフ、野球だけではなくテニス、卓球、ボウリングなどでも多くの発症例がある。相手選手の怪我などが引き金になる場合もあるが、むしろスポーツで同じ動作を過剰に繰り返したことが原因。神経性の病気として局所性ジストニアと同じような症状だと分類されている。
例えばピアニストの指が突如動かなくなってしまうような症状もある。EL&Pのキース・エマーソンなども局所性ジストニアを患ったらしい。文科系の著名人では薬物治療、外科的治療併せて克服例がある。ただし、的確な治療方法はまだ見つかっていないというのが現実のようだ。
ちなみにスポーツでも何でも初めて初心者のイップス及び局所性ジストニアはあり得ないそうだ。単純に、それは下手とかミスというもので神経症ではないのである。
現役時代の江川卓投手はランナーが出ても、あまり牽制球を投げないピッチャーとして知られている。江川投手は「ランナーが出て盗塁をしても、そのランナーがホームインしなければ得点しないだけで、後続の打者を三振に打ち取れば問題ないと考えていました。盗塁成功したランナーは給料の査定がよくなればお互いにハッピーじゃないですか?」というコメントが面白い。
ただ当時、一塁手だった中畑選手は口うるさく江川に牽制球を投げろと要求するので、少々頭にきた江川投手は一塁手の中畑に150キロの牽制球を投げたことがあるという。両者ともにイップスにならなかったのは幸せだったが、案外、こういう精神状態とイップスは無関係なのかもしれない。
ちなみに前述のトミー・アーマーさんは1967年に「ABCゴルフ」という本を出版されており、その文中にイップスのことが触れてある。現在、このプロットは1971年が舞台であるので、巨人軍首脳陣がスポーツ選手に起こりうるイップス症状は理解していたのではないか?というのが筆者の推測である。