第51話 選抜大会編●「三百六十五歩のロックンロール」
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この状況は高校球児にとっても影響がなかった訳ではない。それまで甲子園出場校の選手といえど進学希望者が過半数を超えていた。しかし大学に進学しても野球が続けられるとは限らない。プロ野球から誘われたら迷わず入団。大学よりも社会人野球で鍛えていきたいと願う風潮が強くなっていたのは、この時期の高校球児の風潮となったのだ。
前年秋のドラフト会議では法政大学の三羽烏を筆頭にプロ野球空前の豊作と呼ばれる年となった。下位指名の高校生も迷わず入団した。大学という選択肢が消えた今、安月給でもプロ野球に行ってやろうという気概だった。その風潮の中で由良明訓高校出身の土井だけが関西パールズの二位指名を拒否。母校職員に就職し野球部監督に就任したという事件はスポーツ新聞の片隅を賑わせた。68年のドラフトで入団拒否した選手は土井一人であった。
3月27日。第41回選抜高校野球大会開会式にて土井以下、由良明訓野球部員に向けられた他校の選手の目は嫉妬に満ちたものだった。
「田山やら岩城なんてのは、もうプロのスカウトが接触してるらしいぜ」
「頭に来るなぁ!暴投したふりして顔面を狙ってやろうか!」
「監督の土井ってのもバカだよな。パリーグのお荷物チームのパールズだったら高卒一年目でもスタメンのチャンスがあるだろうに…俺だったら迷わずプロ入りするぜ」
春の甲子園は夏と違って入場曲は「栄冠は君に輝く」に決まってはいない。前年のヒット曲が入場曲として使用される。水前寺清子の歌う「三百六五歩のマーチ」は割と似合っていたと言える選曲だっただろう。数年前には「こんにちは赤ちゃん」が選ばれ高校生に、この曲はないだろうと非難されたこともある。
一日一歩、三日で三歩、三歩歩いて二歩下がる…軽快な歌声とは裏腹に他校の選手は田山、岩城、馬場、里中に対して眼光鋭く睨んでくる。真面目人間のキャプテン谷口は少々、辟易としていたが馬場と田山は相変わらずマイペースを貫き、里中は帽子を深く被って周囲の視線を黙殺した。岩城だけが大きな目玉をギョロッと見開き睨み返していた。それにいち早く気付いた田山が岩城を嗜めた。
「岩城。揉め事は起こすなよ。それより気がついたか?俺らが出てきた一塁側ダックアウトの方だが織田さんによく似た人がいた。帽子を被っていたが、あの人は間違いなく織田さんだったと思う」
「ん?織田?前の俺らの監督の織田か?未練がましく、また監督やりに来たのか?」
里中も、どうやら織田の視線に気がついていた。
「俺も変だと思ったんだ。もう一回、確かめようと思ったんだが行進しているうちに、いなくなっていたんだよ」
土井の話によると
「辞任する時に織田さんは面白いチームだから俺に監督をやるように言ってきたんだ。俺も田山達が卒業するまでは一緒に野球をやってみたかったから喜んで受けた。ただ織田さんは高校野球は俺の柄じゃない。下関のノンプロチームでコーチを頼まれたから、そっちへ行くって言ってたんだ。それも詳しく聞いた訳じゃない。何にせよ。この選抜大会、織田さんは何かで関係していると考えた方がいいだろう」