第21話 甲子園編●「天才はどちらだ?」
文字数 1,407文字
「記者としちゃ後二年、彼らが活躍し続けてくれれば高校野球記事で紙面が盛り上がるんで、ありがたいっちゃありがたいんだが」
「プロのスカウトは、そうもいかんだろうな。二年後のドラフトは江口と田山で一位は埋めつくされるか…静工の新原が加わるか?岩城、馬場も候補に上がるか?見所は多いな」
「知らんのか?新原は定時制から編入してるから田山たちより一つ年上なんだよな。三年の大会は年齢制限で出場できないから、ややこしい」
「気の毒なのは由良の土井だな。田山という天才さえ入って来なければ、この秋のドラフトの目玉だったのに。四番キャッチャーと三番ファーストじゃ、だいぶスカウトの印象も違うぜ」
地方予選の取材と違って東京の新聞社から出張してきた記者たちは、やはり垢抜けたインテリ臭さを持っている。そして明らかにプロのスカウトを思われる人物も甲子園のスタンドから注目の対決を見つめていた。
左打席に由良明訓高校四番打者田山が入る。肥満気味の身体に丸顔とユーモラスな外見だが隙のない打撃フォームに満場は一瞬静まり返った。一方の江口敏も右足を高く掲げる独特のフォームから一球目が投じられた。田山の鋭いスイングが辛うじてバットの先端で剛速球を捕らえボールは三塁側にファールとなった。
「やっぱり、こいつか!当てやがった!」
キャッチャーの矢吹は内心、江口が打たれるとしたら田山と予想していた。田山、矢吹、主審の三人には何か少し焦げ臭い匂いが漂ったのを感じ取った。矢吹が江口の表情に注目すると声には出してないが「あっ!」と言っていた。ちょっとしたミスの時に「いけねぇ」とか「しまった」と反応する感覚だ。
二球目に入る前に江口が三塁側由良明訓側ベンチをチラッと見た。左投手の江口が三塁側を見るためには首を大きく右側へ振る。自軍ベンチからの指示を仰ぐのならば、そのまま視界に入るはずだ。ましてや天野先生がサインを出すとは考えにくい。
「江口の野郎!朱美のことばかり気にしてやがるな。しょうがねぇ純情少年だ。どうやら、あの一回で惚れちまったらしい。切り替えさせねぇと相手が悪すぎる」
二球目は矢吹の指示で外角に大きく外したボール球を投げさせた。予選から江口を追いかけていた記者は「ほう…」と感嘆した。江口が意識的にボール球を投げて打者を警戒するシーンは、これまでになかった。
矢吹にしても、そんなリードをするのは初めてだ。打者の打ち気を逸らすためにボール球を使うというセオリーがあることは知っていたが使ったのは初めてだった。それまでは外す必要性も感じなかったからだ。
続く三球目はストライク。今度は田山はバットを出さずにキャッチャーの方を見ている。捕球した瞬間の矢吹のミットを凝視していた。
「見ている連中は、これで江口が田山を追い込んで俺らの有利と思うんだろうが、背中に刃物でも突きつけられたような気分だぜ…。野球ってのも怖いスポーツだ」
と真夏にも関わらず背中に冷や汗をかいているのを矢吹は自覚した。
「江口!集中しろ!こんな勝負、滅多にできるもんじゃない!」
ハッとした表情で江口が投球モーションに入る。大歓声、注目の視線、声援、そして江口にとって意味不明だが相手校の応援団席にいる朱美の存在…等。全ての雑音を遮断するような瞬間が、ようやく江口に訪れたようだった。