第80話 春風編●「番狂わせは、させない!」
文字数 2,254文字
同様に岐阜青雲大学付属高校も昨年の岐阜大会ではなく三岐大会。すなわち岐阜と三重の二県による代表を争うこととなる。マスコミは二大会連続で熱戦を繰り広げた二校の対戦を「宿命の対決」として報道した。予選を前に前評判の高い二校に対して他校は闘志を燃やしていた。
明訓は田山三太郎への敬遠攻めが続いた。岩城へも敬遠四球が投げられたが、この男だけはボール球でも強引に手を出し、それが長打になることもある。土井監督は予選では浜を先発投手に起用した。里中は三番センターで先発し六回ぐらいからマウンドに上がる。投手としての出場は、やりがいはあったが里中自身はセンターを守るのも好きだった。バッティングも巧くなり出塁も増えた。二番の馬場との俊足コンビで出塁すると相手の守備は浮き足立つ。ダブルスチールで試合を決めてしまうこともあった。
青雲は相変わらず江口敏のワンマンチームという本質は変わらなかった。打撃面でも油断ならない江口には敬遠四球が増えた。ただ成長したキャプテンの青木。新入生の滝と黒沢が攻守に活躍。四番の矢吹に繋ぐ打線を作った。四番の重責に悩んでいた矢吹だが織田監督の
「お前は岩城と柔道でライバル関係だったというが、俺が岩城に与えたことと同じアドバイスを与える。三打席三三振でいい。四打席目にホームランを打て!どうせ岩城も、あっちの三振王だ。お前も負けずに三振しろ!高校三年間で岩城が勝つか?お前が勝つか?通産三振数で岩城に勝て!」
というアドバイスで三振を怖がらなくなった。三振をミスと考えるのと相手投手への脅威を考えるのでは矢吹自身の気構えが変わってきた。もともと柔道で鍛えた動体視力と身体の切れ味は外野手のグローブを弾き飛ばすほどの弾丸ライナーを身につけた。後ろに強打者江口が控えていることもあり、敬遠されにくい矢吹は監督の指示通り打点と三振を稼いでいったのである。
江口はスローカーブとチェンジアップを中心に、いざという時に投げる剛速球で凡打と三振を量産。春に比べてチェンジアップが打たれなくなっていた。それもそのはず、江口は大リーグの左ピッチャーの間で流行し始めていたスクリューボールを習得していたのである。
曲がりながら落ちてくるカーブよりも真っ直ぐに落ちるチェンジアップの方がバットに当てやすいと考え「ストレートとカーブは捨てろ。チェンジアップだけ狙って打て」と対戦相手の監督は選手にアドバイスを与えるが、なぜかこのチェンジアップにバットが当たらない。プロ野球でも東京ガイヤンツの高岡一三投手がスクリューボールを使い始めるのは、このシーズンからで高校野球の指導者が、この球種を知る以前の予選大会である。
「最近の江口選手はチェンジアップが上手く決まるようになりました。これで剛速球もより活きてきていますよ」
織田監督はマスコミの質問に惚けた返事をする。これを鵜呑みにした対戦相手はスクリューボールを空振りする。実際は右投手のシンカーを左投手が投げると球種の名前が変わるだけで、打てないボールでもない。しかし打者はスクリューボールの軌道をイメージしていないため面白いように空振りを取った。その狡猾な織田作戦で三岐大会を制することとなった。
田山、岩城、馬場、里中の二年生に次いで浜、池田の一年生もベンチ入りしたことで発奮したのが選抜大会までは影の薄い三年生達という嬉しい誤算があった。キャプテン谷口を中心に丸井、五十嵐ら、レギュラーにしがみついた三年生が最後の夏に向けて執念を見せた。もともと外野手の五十嵐は、どこを守っても構わないという姿勢だったが、岩城にサードのポジションを奪われえた谷口。馬場にセカンドを奪われた丸井は闘志むき出しのプレイを見せた。
東中国大会も大詰めの準決勝。六回で七点リードの由良明訓は岩城を外野へ、馬場をショートに移動させ、サード谷口。セカンド丸井に移動させた。相手チームは舌なめずりして浜のストレートをサードやセカンドに狙い打ちしたが、二人とも他校ならばレギュラークラスの実力者。感激の涙を浮かべながらも着実な捕球と送球を見せた。
「下級生にポジションを奪われながらも必死でレギュラーにしがみついてきた俺達だぜ」
そんな谷口と丸井の心の叫びが土井の耳に聞こえた気がした。
土井は十九歳になったばかりの兄貴分みたいな監督である。谷口や丸井という一学年下の後輩への思いは田山達とは違った感傷がある。一年前、勝つため、甲子園に行くためにキャッチャーのポジションを譲ったことも思い出した。打順も、あえて四番から三番に変えた。結果は甲子園全国制覇という栄冠は手にしたが、どこかで悔しさも残っていた。
「常勝チームというのは想像よりも残酷なものなのかもしれない。変な温情や人情を捨てなきゃいけない時もある。常にベストメンバーで全力で勝とう!それが敗退してゆくチームへの最大級の敬意なのかもしれない」
この東中国大会で田山は打率十割。本塁打二本という珍記録を作った。勝負に来た二球は逃さずスタンドに叩き込み。残りの打席は全てが敬遠四球であった。