第80話 春風編●「番狂わせは、させない!」

文字数 2,254文字

 68年の夏の甲子園は第50回大会という記念大会であり、各都道府県の代表校が出場した。学校数の少ない鳥取県等は地方予選は試合数も少なく有利であった。69年は恒例通り岡山、鳥取、島根の三県による東中国大会が予選となる。夏、春の二連覇を達成した由良明訓高校はシード枠に組まれたものの各強豪校の「打倒!由良明訓」をスローガンに気合が入っていた。
 同様に岐阜青雲大学付属高校も昨年の岐阜大会ではなく三岐大会。すなわち岐阜と三重の二県による代表を争うこととなる。マスコミは二大会連続で熱戦を繰り広げた二校の対戦を「宿命の対決」として報道した。予選を前に前評判の高い二校に対して他校は闘志を燃やしていた。
 明訓は田山三太郎への敬遠攻めが続いた。岩城へも敬遠四球が投げられたが、この男だけはボール球でも強引に手を出し、それが長打になることもある。土井監督は予選では浜を先発投手に起用した。里中は三番センターで先発し六回ぐらいからマウンドに上がる。投手としての出場は、やりがいはあったが里中自身はセンターを守るのも好きだった。バッティングも巧くなり出塁も増えた。二番の馬場との俊足コンビで出塁すると相手の守備は浮き足立つ。ダブルスチールで試合を決めてしまうこともあった。
 青雲は相変わらず江口敏のワンマンチームという本質は変わらなかった。打撃面でも油断ならない江口には敬遠四球が増えた。ただ成長したキャプテンの青木。新入生の滝と黒沢が攻守に活躍。四番の矢吹に繋ぐ打線を作った。四番の重責に悩んでいた矢吹だが織田監督の
 「お前は岩城と柔道でライバル関係だったというが、俺が岩城に与えたことと同じアドバイスを与える。三打席三三振でいい。四打席目にホームランを打て!どうせ岩城も、あっちの三振王だ。お前も負けずに三振しろ!高校三年間で岩城が勝つか?お前が勝つか?通産三振数で岩城に勝て!」
 というアドバイスで三振を怖がらなくなった。三振をミスと考えるのと相手投手への脅威を考えるのでは矢吹自身の気構えが変わってきた。もともと柔道で鍛えた動体視力と身体の切れ味は外野手のグローブを弾き飛ばすほどの弾丸ライナーを身につけた。後ろに強打者江口が控えていることもあり、敬遠されにくい矢吹は監督の指示通り打点と三振を稼いでいったのである。
 江口はスローカーブとチェンジアップを中心に、いざという時に投げる剛速球で凡打と三振を量産。春に比べてチェンジアップが打たれなくなっていた。それもそのはず、江口は大リーグの左ピッチャーの間で流行し始めていたスクリューボールを習得していたのである。
 曲がりながら落ちてくるカーブよりも真っ直ぐに落ちるチェンジアップの方がバットに当てやすいと考え「ストレートとカーブは捨てろ。チェンジアップだけ狙って打て」と対戦相手の監督は選手にアドバイスを与えるが、なぜかこのチェンジアップにバットが当たらない。プロ野球でも東京ガイヤンツの高岡一三投手がスクリューボールを使い始めるのは、このシーズンからで高校野球の指導者が、この球種を知る以前の予選大会である。
 「最近の江口選手はチェンジアップが上手く決まるようになりました。これで剛速球もより活きてきていますよ」
 織田監督はマスコミの質問に惚けた返事をする。これを鵜呑みにした対戦相手はスクリューボールを空振りする。実際は右投手のシンカーを左投手が投げると球種の名前が変わるだけで、打てないボールでもない。しかし打者はスクリューボールの軌道をイメージしていないため面白いように空振りを取った。その狡猾な織田作戦で三岐大会を制することとなった。
 田山、岩城、馬場、里中の二年生に次いで浜、池田の一年生もベンチ入りしたことで発奮したのが選抜大会までは影の薄い三年生達という嬉しい誤算があった。キャプテン谷口を中心に丸井、五十嵐ら、レギュラーにしがみついた三年生が最後の夏に向けて執念を見せた。もともと外野手の五十嵐は、どこを守っても構わないという姿勢だったが、岩城にサードのポジションを奪われえた谷口。馬場にセカンドを奪われた丸井は闘志むき出しのプレイを見せた。
 東中国大会も大詰めの準決勝。六回で七点リードの由良明訓は岩城を外野へ、馬場をショートに移動させ、サード谷口。セカンド丸井に移動させた。相手チームは舌なめずりして浜のストレートをサードやセカンドに狙い打ちしたが、二人とも他校ならばレギュラークラスの実力者。感激の涙を浮かべながらも着実な捕球と送球を見せた。
 「下級生にポジションを奪われながらも必死でレギュラーにしがみついてきた俺達だぜ」
 そんな谷口と丸井の心の叫びが土井の耳に聞こえた気がした。
 土井は十九歳になったばかりの兄貴分みたいな監督である。谷口や丸井という一学年下の後輩への思いは田山達とは違った感傷がある。一年前、勝つため、甲子園に行くためにキャッチャーのポジションを譲ったことも思い出した。打順も、あえて四番から三番に変えた。結果は甲子園全国制覇という栄冠は手にしたが、どこかで悔しさも残っていた。
 「常勝チームというのは想像よりも残酷なものなのかもしれない。変な温情や人情を捨てなきゃいけない時もある。常にベストメンバーで全力で勝とう!それが敗退してゆくチームへの最大級の敬意なのかもしれない」
 この東中国大会で田山は打率十割。本塁打二本という珍記録を作った。勝負に来た二球は逃さずスタンドに叩き込み。残りの打席は全てが敬遠四球であった。
 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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