第13話 序章●「彗星登場」

文字数 2,226文字



 中京・東海地区のアマチュア球界は騒然とした。全く無名の剛球左腕投手が進学校の岐阜青雲大学付属高校野球部に現れたのである。最も一回戦は青雲と似た進学校の明青学園が対戦相手でもあり、両校の生徒の大半は野球部の活動に興味もなかった。野球部員と仲のいい一部の生徒がお義理に応援に駆けつけただけで、その目撃者は限られていた。もちろん新聞記者など一人も来ていない。
 江口敏の唸りの上げる剛速球を見た明青学園ナインは「えらいこっちゃ!こんなボールが当たったら病院行きだ」「これから受験勉強の本番だっていうのに怪我などしたくない」と言い合って逃げ腰になっていた。4-0というスコアで青雲は勝ったが江口の27奪三振1四球無安打ノーヒットノーランという記録さえ、弱小チーム相手に少しマシなチームのピッチャーが好投したために生まれた珍記録程度にしか思われていなかった。
 そんな評価を一転させたのが二回戦の白川工業戦である。白川工業は甲子園こそ出場できてはいないが、この予選ではシード校になっている強豪だった。彼らにしても青雲野球部を舐めていた訳ではない。いくら弱小同士のヘボ野球といってもノーヒットノーランは簡単にできる記録じゃない。なにせ全てのアウトが三振なのだ。
 十分に警戒して試合に臨んだ白川工業ナインだったが江口の剛球は彼らの想像を超えていた。明青に比べたら甲子園出場を目指す野球部だけに腰が引けることはなかったが、ともかくバットにボールが当たらない。一回戦同様に27奪三振を奪い、今度は四球もなく完全試合を達成したのである。
 この試合は白川工業野球部に注目していた地方紙のスポーツ記者が観戦していたのだ。
 「えらい試合を観てしまった!おいカメラマン!白川なんかどうでもいいから、あの江口ってピッチャーを撮りまくれ!こんちきしょう!紙面に片隅の小さな記事だけの取材だったが、こうなりゃ明日の一面だ!名門進学校に突然変異の怪物サウスポー現る!で、どうだ?田舎のローカル新聞の中年記者の俺が歴史の証人になったんだ!ざまぁみやがれ!」
 事実、彼自身、数日後には天才・江口敏を初めて見たマスコミ業界人として扱われるようになった。東京のスポーツ新聞の取材を受け、テレビに引っ張り出された。
 続く三回戦では江口は1試合29奪三振という珍記録を作った。相手チームも研究しており、派手に空振りすることで急造捕手である矢吹のパスボールを誘ったのである。そのため振り逃げ三振が2回ほど成功したものの得点は許さなかった。相手チームが想像した以上に短期間で矢吹はキャッチャーとして成長していたのである。
 攻撃面でも矢吹と江口が中心になり、小宮、岡部、二年生の青木などが頑張った。むしろ守備面での負担が軽くなったことで送りバントやスクイズなどの練習時間が増え、ノーヒットでもしたたかに1点をもぎ取る天野の采配が奇跡の快進撃の力になっていった。
 矢吹の心配した通りに彼らを悩ませたのはマスコミの存在だった。進学希望者だけが集まり運動部に限らず文科系部活動も盛んではない青雲高校が注目されることは過去になく、学校側もマスコミ対応の窓口がなかった。野球部の練習時間になるとテレビ、週刊誌、新聞等の取材陣が校内に入り込んでくる。見かねた主将の小宮は
 「僕たちはまだ高校生です。放課後は静かに勉強している生徒もいます。あまり大騒ぎしないでください!」
 と記者団を咎めたが、彼らは「江口君の担任の先生」やら「教頭先生に」「理事長から」それぞれ取材許可を取っていると主張した。本当か、どうかは怪しいものだが野球部主将とはいえ一介の生徒である小宮も教師や理事長の許可があると言われては何もいえない。顧問の天野はというと
 「みんな!東京の大学入試試験といったら、凄い人数が集まるんだ。これだけの人に見られていても普段通りに実力を発揮できるようにがんばろう!」
 等と、少し的外れなことを言っている。内情を明かせば公立高校と違い私立高校の生徒集めは切実な問題であり、学校経営側からすれば野球部の活躍で学校が有名になることは大歓迎。取材拒否等はせずマスコミに対応しようという姿勢であった。少し気が弱いところがある天野だけに学校経営陣に反論できなかったのだ。
 江口がピッチング練習を始めるとカメラマンが集まってくるようになった。カメラマンという人種は厚かましい。我先にと捕手を務める矢吹太の背後のポジションを奪い合う。さすがにふてぶてしい矢吹は
 「カメラマンさん。なにせ急造キャッチャーで、まだまだ下手糞なもんで江口の剛速球を捕りそこなうこともありますよ。そん時は自己責任でお願いしますよ」
 などと脅しのような声をかけるので、くだんのカメラマン達は、それぞれ2メートルほどキャッチャーから離れた。しかし記者もしたたかなもので
 「スコアを見る限りは江口君の暴投は今までに一度もないよ」
 と切り返した。スピードだけではなくコントロールの良さも見抜かれていたのである。日を追うごとに江口を扱う記事は増えていった。新聞、雑誌に限らず地方局のラジオ、テレビにも取材された。ほんの1ヶ月前、矢吹の差し金で江口敏の童貞喪失の相手をした朱美も江口の姿をマスコミを通して観ることとなっていた。
 臆病に怯えながら遠慮がちに朱美の肉体を通り抜けたボウヤが天才やら怪物やらと持ち上げられている姿を見ると嬉しくもあり、腹立たしくもあった。
 
 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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