第198話 栄光の片隅で●「頑固な投手」
文字数 3,188文字
スターズは作シーズンこそブレイブとの優勝争いをしたチームだが、この1972年のシーズンは主力選手の故障などで下位に低迷していたのである。シーズン後半戦に向けてスターズの課題は首位独走のブレイブの勢いを止めることにあった。
荒井と里中はバックネット裏に席を用意されていた。里中にしてもパリーグの公式戦を観戦するのは初めてのことだ。どうせなら高校時代の仲間、岩城や田山のいるリンクスかクリッパーズ戦を観てみたかったと思っていた。
「しかし優勝戦線にいるチームと去年の二位のチームの対戦なのに、球場はガラガラですね。これじゃ俺達のやっているイースタンリーグの試合の方が賑わっている…」
そういう里中を、ちらりと見て荒井が笑いながら言った。
「はは。私もスターズのコーチからガイヤンツのコーチになった時には驚いたよ。ガイヤンツの試合には試合開始の何時間も前から、お客さんが行列をしている。毎試合、満員の球場でやるのだから、これは責任重大なチームに来てしまった…と後悔したぐらいだ。榎君や内山君をコーチした時と司馬君の時では、そんな私の責任感も違ってたかもしれないね。でも君もガイヤンツの選手なのだ。他のチームの選手とは責任が違うことを知っておいた方がいい」
そうしているうちに試合が始まった。スターズの田村投手を目当てに来ていたが後攻リンクスの先発投手安達のピッチングに目が行った。柔らかなアンダースローのフォームからベテランらしい熟練のシンカーがスターズ打線を翻弄していくのである。得意のシンカーを打たれても次の打者には、またシンカーで勝負する。「シンカーをやられたら、シンカーでやっつけてやる!」という強気のピッチングである。変化球投手は打者から逃げるピッチングと呼ばれていることが多いが安達の気構えは変化球で打者を攻めている感覚である。
そのうち一回の裏が始まり、田村のピッチングが見れた。里中は小さく「あっ」と叫んだ。アンダースローの安達とは対照的に典型的なオーバースローである。安達のフォームは地面からボールが発射されるような感じだが、田村のフォームは二階の窓からボールが飛び出してくるような印象である。180センチの長身を生かした豪快なボールだ。
「荒井さん。セントラルも堀本さんを始め、湯夏さん。松平さんと凄いピッチャーが揃ってますがパシフィックのピッチャーも凄いですね。田村さんのフォームを研究するために来ましたが、俺にはブレイブの安達さんも勉強になりますよ」
「まぁスターズが今年急成長の田村で来るなら、ベテランの安達で迎え撃ってやろうという西監督の思惑だろう。西さんとは私がコーチ時代にスターズの監督をやられた方だ。優勝監督でありながら球団オーナーに逆らって解雇させてしまった。スターズは馬鹿なことをしたよ。あのまま西さんを監督にしておけば黄金時代を作れたはずだ。こうして負け続けのブレイブを強豪チームにしたんだからね」
「どういう指導をされる監督さんなんですか?」
と里中が聴くと荒井はニヤリと笑って、こう答えた。
「一言で言えば怖い!河村さんは冷静に選手を観察しているが、西さんは何も言わずに殴る。例えば空振り三振でベンチに返ってくれば何も言わないが見逃し三振のバッターは殴られる。だがチームを強くしようという気持ちは人一倍強い。今のブレイブもそうだろう。スターズでも、そうだった。西さんのゲンコツは痛くて熱いが、愛情が籠もっている。西さんに育てられた選手は、皆、監督は、もう一人の親父…と呼ぶよ」
「ガイヤンツで言うと以前の長尾二軍監督みたいな感じですかね?」
「タイプとしては似ているだろうね。ただ西さんの信念みたいなものがあって、選手を信頼すると自由にやらせたりする。ガイヤンツはあくまでもベンチの指示、サイン厳守が基本だ。厳しい中にも温情があるのは西さんの素晴らしさだが、その温情部分を冷徹に突くのが河村監督だ。日本シリーズで明暗を分けてしまうのが、そこの部分かもしれんね」
田村、安達両投手の投げ合いでスコアボールには0が並ぶ。決して打てない訳ではない。両チーム共に四番打者は外国人が据わっている。スターズのウルマンという黒人選手。ブレイブのブルーザーのいう白人選手のバッティング、そして走塁の厳しさはガイヤンツの一軍選手を超えている部分もある。「一軍に上がったら、こんな連中も相手にしなきゃいけないのか…」里中はプロ野球の怖さを改めて感じた。
田村投手のピッチングフォームは、なるほど司馬選手の一本足打法を参考にしたものである。グローブでボールの握りを隠したまま、一度軸足の右足で伸び上がる。その時に踵を上げ、つま先だけで一瞬真っ直ぐに立つのである。そのまま一度、右膝を軽く曲げる。この時も踵は上がったままである。こうして右足一本を全身のバネにして今度はグローブを着けた左手が肩よりも四十度ほど上がる。この時に右腕は田村投手のお尻の辺りに下がる。この状態で最も強い反動を得るのだろう。後は頭上から豪快に投げ下ろすだけである。
どうしても投球フォームが長いため、一塁にランナーがいる場面では、このピッチングフォームは盗塁される可能性が高い。ブレイブには一番打者で福井という俊足選手がいる。パリーグの盗塁王だがシーズン百盗塁を決める凄い選手だ。俊足では自信のある里中も「この福井さんには適わないかもしれない」と思うぐらいだ。里中は「もし福井さんが一塁に出た場合。田村投手は投球フォームを変えるのか?」という疑問があった。
そんな里中の願いが天に届いたのか六回の裏。一死で福井がショートゴロを打った。俊足を飛ばして間一髪で内野安打を決めた。田村は一塁ランナーの福井をジロリと睨んだだけで一本足投法のフォームに入った。「走れるもんなら走ってみろ!盗塁したって後のバッターを抑えれば点は入らないぜ」という強気の姿勢である。それに直球なら田村のボールは速い。キャッチャーからの二塁送球だけで福井の足でも刺される可能性はある。
里中が驚いたのはランナー三塁にならない限り、田村投手は得意のフォークボールをどんどん投げ込むことである。フォークを得意とするピッチャーの泣き所は、ワンバウンドする危険を考え、ランナーを出してからのフォークボールが投げにくくなることである。バッターはフォークボールはないと考え打席に入るので狙い球が絞りやすくなるのだ。
しかし田村は「俺のフォークがワンバウンドする筈などない」という自信を持っているように見えた。分厚い唇、バッターを威圧する鋭い眼光。フォークボールの握りは丸分りだが「俺のフォークは分ってても打てない」と言わんばかりの表情でズバリと三振を取る。
「どうだ?里中君。今日の試合は予想以上に参考になったと思うんだが?」
と荒井に尋ねられ、里中は大きく頷いた。
「荒井さん。俺のピッチングフォームが見えてきましたよ。ただ変えるべき点があるとしたらグローブの出し方ですね。田村さんは上に挙げる感じですが、俺は横に振るか?下に降ろします。田村さんは典型的なオーバースロー。これをバッターに当てはめると大根切と呼ばれる下手な打ち方になってしまう。俺のサイドスローの方が右腕の軌道はバットスイングに近くなりますから、一本足投法は俺の方が有利です!」
里中の未来に光明を見つけたような表情を見て荒井も満足げに笑った。