第35話 思春期激闘編●「夏の終わり」

文字数 1,645文字

 細い針金を束ねたような里中繁雄の筋肉に抱き締められたことで朱美の中で何かが弾けた。金のためのセックスと全く別の感覚でセックスをしたのは朱美にとっても初めての経験であった。あの陶酔感が忘れられず名古屋から岡山の倉敷へと移ってきていた。
 理由は明白で、鳥取に近いというだけの理由である。甲子園で全国制覇を遂げた由良明訓高校野球部は、ちょっとした芸能人やプロ野球チームを凌ぐ人気を誇っている。交通の便も悪い明訓高校のグラウンドに毎日、見物人が訪れる。客を取らない日には、それらミーハーな女子高生らに混じって野球部の練習を見学していた。
 やや肥満気味で力士体型、丸顔にダンゴっ鼻の田山は、普通ならば女の子にモテるタイプではないが、一年生ながら甲子園で六本のホームランを叩き出し、将来は日本を代表するホームラン打者になると専門家筋も評価すると女の子たちの黄色い声援も飛び始めた。
 小柄な馬場も人気がある。一回戦青雲戦での完全試合阻止。その後も華麗な守備と器用なバッティングが評価されている。どこかの雑誌で馬場はギターとピアノが上手いと紹介されており、その記事を見た女の子にとっては芸術肌の野球選手という意外性の人気もある。
 投手としては球速がさほどないことと、痩身によるスタミナ不足を専門家に指摘され、むしろ俊足の外野手としての本領があるなどと評価されている里中だが、その中性的な顔、手足が長く痩身のスタイルで女の子人気は集中していた。校外に出る時にも女生徒に囲まれる里中だが、ぶっきらぼうな態度を取る癖がある。この男の身体を全て知っていると思うと朱美は密かな優越感に浸れた。
 先の三人とは対照的に男性人気を集めていたのが岩城である。巨体に怪力、豪傑の風貌は一昔前のバンカラ学生を彷彿させる風貌は近隣の大人にも受けがいい。長髪で痩身、理想と体制批判ばかり言い出す最近のヒッピー系の若者を毛嫌いする大人にとっては古き良き豪傑なのだ。大きな空振りで三振しても相手ピッチャーを睨み付け、ここ一番でプロも顔負けの大ホームランを甲子園球場に叩き込む豪快さは地元の小、中学生にも人気があった。
 逆に粗暴な発言や立ち振る舞いで女の子からの人気は今一歩。練習や試合中に野次を飛ばされることもある。しかし当の岩城本人は意に介してなかった。なぜならば鷹陸中学時代からソフトボール部主将の三原夏美という同級生と交際状態にあり、岩城も夏美も共に由良明訓高校へ進学。それぞれ野球部とソフトボール部で一年生から大活躍した。
 そのため里中の中学時代、男子ソフトボール部での活躍を夏美だけが知っおり、その才能を岩城、田山、馬場に伝えていた。田山が大会開始前に里中を投手にするため猛特訓を行ったのも夏美の助言に従ったからである。
 夏美の入部により明訓の女子ソフトボール部も例年以上に勝ち進んだが惜しくもインターハイ出場には至らなかった。その為に野球部の応援団に加わっていた。甲子園大会開会式の直後に朱美と知り合い朱美を応援団に誘い込んだのであった。
 朱美にしてみれば夏美は今までに接点のないタイプの女子高生である。日焼けした顔。筋肉質の腕。化粧にも興味はない。ドロップアウトした朱美とは真逆の体育会系優等生である。
 「ねぇ。あなた由良明訓を応援してくれるの?よかったら私と一緒に応援団席に来ない?」
 甲子園周辺で徘徊していた朱美に声をかけたのは夏美だったのだ。待ち合わせのメモを里中に渡したのも夏美だったのだ。
 金網越しに野球部を練習を見つめる朱美にユニフォーム姿の夏美が声をかけた。
 「うふふ。私も彼も頼りになるけど、あなたの彼も素敵よ。まだまだ里中君は凄くなるわよ」
 「そうかな?夏美ちゃんと違って、あたしはスポーツのこと解からないの。でも、もっと凄くなって欲しいと思ってるの」
 甲子園大会の頃は夕方も暑かったが、今は夕焼けと共に涼しい風を感じるようになった。耳障りな蝉の大合唱を打ち消すように打撃練習の金属音が鳴り響いていた。
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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