第22話 甲子園編●「顔に似合わず怖いヤツ」
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里中繁雄が細身の身体を一瞬縮め、ムチのようにしなる右腕を真横伸ばし、弧を描きながらボールが放たれる投球フォームは確かに芸術的でもあった。女の子のような顔が投球の瞬間だけ厳しく変貌し、挑戦的な鋭い視線が打者を威嚇する。投げ終わった瞬間は憑物が落ちたように元の中性的な美少年に戻っている。
「ヴェニスに死す、に出てくる美少年ってのは、あの里中みたいなもんかな?今大会の女の子人気は里中と青森四沢高校の大田原だろう」
「大田原は父親がロシア系のハーフらしいな。あれもハンサムな男の子だよ。しかし、この二人。実力の方は??どうかな?」
「里中は好投しているが青雲の貧打に助けられている。球速もコントロールも悪くはないが、これからの練習次第で、どこまで伸びるかな?」
「それに田山のリードとキャッチングが巧い。怪しいコースのボールもミットを流さずに捕球しているから審判はストライクと見てしまうんだろう」
若い記者が口を挟んだ。
「俺は里中はかなりのピッチャーだと思いますよ。江口の重たく速い斧のようなボールと対照的に里中のカミソリのような鋭い変化球は切れ味抜群。登板経験は少ないけどチームを任されるピッチャーだと思います」
打席には江口敏を迎えていた。もともと進学校の青雲のオーダーは苦しい。一番にレフトにコンバートした主将の小宮。二番には二年生で一番期待できるファーストの青木。三番に急造捕手の矢吹。四番にサードに転向した副主将の岡部。そして江口は五番である。
江口は唯一の左打者であり、野球部の現状では最も期待できるバッターでもある。五番に据えたのは顧問の天野の進言である。数学教師らしく四球で構わないから出塁したランナーを生還させるためにヒットの期待できる選手を後ろに置くという計算だ。
そんな期待の江口も四球目を引っ掛けてサードゴロに倒れた。ベンチに引き上げた江口は天野以下、矢吹、小宮、岡部等を主力を集めた。
「僕だけが左バッターなのでサイドスローのフォームだと投手の握りが丸見えなんです。里中選手は変則フォームから自然に変化球を投げていると言われてますが、それは違います。カーブとスライダー。あとシュートとシンカーは投げ分けてないと思います。そこだけ自然な変化でしょう」
「右打席だと背中からボールが来る感じがするよ。しかもシュートが多いんだ」
小宮達も同意した。矢吹は
「江口に対してはカーブとかスライダーが多いように見えたんだが?」
「右打者にはシュート。左にはスライダーというのが里中の攻め方みたいです。田山の指示もあるとは思うんですが、顔に似合わず気が強い選手ですよ。僕には怖くて投げられないです。まぁシュートもスライダーも僕が投げても曲がりませんが」
次打者も凡退して青雲の攻撃が終わった。天野は
「江口君のアドバイスで里中投手の攻略法が判った。ともかく、しっかり守ろう!そして必ずチャンスは来る!」
と選手を送り出した。矢吹は不服である。
「やれやれ…いい気なもんだぜ。こうしてジワジワと追い詰められているのは俺たちの方だっていうのによ。攻略法っていったら江口がホームランでも打つしかないんだ」
「矢吹君。僕は里中君からホームランを狙うよ。このチームで打てるのは僕しかいない。僕がホームランを打って朱美さんに見せ付けるしかないんだ!」
「朱美は関係ねぇだろう」と言いかけて矢吹は止めた。恵まれた力を持ちながら闘志や負けん気に欠ける江口が女への嫉妬で闘志を燃やすのも悪くはないだろうと考え直した。