第15話 序章●「意識の革命・顔の革命」

文字数 1,929文字



 名古屋の繁華街にあるアパートの一室。朱美は仲間の女達とたむろをしていた。一応、県内の高校生もいるが、ろくすっぽ学校には通っていない。朱美は中学を卒業すると進学せずに、この一室の主のような存在になった。勉強が嫌いな訳ではない。勉強する意味が判らないのだ。
 ニュースに出てくる大学生はヘルメットを被りサングラスをかけ、口元はタオルで隠して懸命に運動をしている。自由平等、平和、差別解放、闘争…言っていることは正しそうに見える。勉強して一流大学に入って、そんなに御立派なことを言うのならば、なぜ顔を隠すのだろう?あの女性たちが顔を隠すのならば朱美は顔を飾ってやろうと考えた。
 初めて口紅を着けてみたのは十一歳の時だった。家族の留守に母親の鏡台に座り、見よう見まねで口紅を塗った。それまで鏡に写っていた垢抜けない田舎の子供が急に大人びて見えた。その瞬間に朱美の中で何かが変わったのだ。オモチャも可愛らしい文房具もマンガ雑誌も朱美には要らないモノになっていた。乏しいお小遣いだが他の使わなければ、どうにかなるものだ。駅前の薬局で一番安い化粧品と化粧道具を買い集めていった。
 中学生になると放課後は化粧をして町を歩いた。田舎町のことで朱美のことは、すぐに悪い噂となり、両親に密告された。両親は烈火のごとく激怒したが
 「じゃあマジメな中学生活を送って、その先に近くの進学校にでも進学して、そこでもやっぱりマジメな高校生活を送って、都会の有名大学に進学したら、私はゲバ棒を振り回し機動隊に火炎ビンを投げつけるようになると思うわ。だってあの人達は間違ってないもの。中学生でも、そのぐらいのことは解かるわよ」
 朱美は全身を震わせながら本気で両親に反抗した。父親は俯いた。知らないうちに子供だと思っていた娘の成長が怖かったのだ。母親は泣き崩れながら「あの人達は間違っている…あの人達は悪い人達よ…そう信じるしか田舎者の私にはできないもの…」と嗚咽した。
 この時を境に朱美は非行少女になっていった。田舎の町でも不良仲間が増えていく。天才柔道少年と騒がれる矢吹太とも裏の顔から先に知り合うようになったのも、この時期だった。とても同い年とは思えない憎たらしいほど落ち着き払った矢吹には近親憎悪のような複雑な感情が入り混じっていた。
 朱美が化粧をして出かけるようになった頃、すれ違う男達の視線を感じた。マジメそうな公務員。サングラスのチンピラ。父親より年上の髪の毛の薄くなったおじさん。朱美を見る視線の奥に朱美の膨らみ始めた胸や、少し前から毛が生え始めた足の付け根を見つめている気配を確実に感じた。ところが矢吹って野郎だけは私に対し、そっちの方では一向に興味を示さない。朱美の苛立ちは、そっちの方を目当てに寄ってくる男達を金銭に変えるように自分を変えた。苦痛もない代わりに快楽もない…残るのは金。金が全能とは思えないが少なくとも正義や神よりも役に立つことだけは確かだ。
 「そして私は、この部屋にいる…か…」
 まだ午後4時。客を取るには早すぎる時間だ。女達は床に寝そべって週刊誌に目を通したり、タバコを吸いながらコーヒーを飲んだりしている。ミーコと名乗る女が、ふいに朱美に週刊誌のグラビアを手渡した。
 「ねぇねぇ朱美だったら、どっちの子が好み?」
 それは女性週刊誌のグラビアページだった。「これから始まる甲子園大会!乙女心をくすぐる2人の一年生エース」と派手な見出しの記事だった。「英才教育を受けた剛球左腕!岐阜青雲大学付属高校・江口敏クン」の方は忘れもしない。ミーコは朱美が江口の筆卸しを請け負ったことを知らないのだろう。思わず朱美は「ハハ」と冷たく笑った。
 見開きページの反対側には「常勝・由良明訓高校に現れた絶世の美少年・里中茂雄クン」が載っていた。確かに美少年だが、掲載された全身がバネのような投球フォームは野球に興味のない朱美にしては珍しくキレイなものだと感心した。さらに、この里中の闘争心剥き出しの瞳に惹かれた。「こっち」と朱美は里中を指差した。
 「あら?地元は江口クンじゃないの?確かに里中クンってのはカッコいいけどね。甲子園って地元を応援したくなるもんじゃない? 」
 「そりゃそうだけど、男の目ってのはギラギラしてないとつまんないもんよ。アタシはポール・マッカトニーよりもミック・ジャガーの方が好きだもの」
 「そうかぁ。私は垂れ目のマッカートニーの方が可愛くて好きだわ。朱美の言う通り、可愛い顔の江口クンと、ちょっと怖い里中クンのイメージってビートルズとストーンズみたいだね」
 「ねぇ!ミーコちゃん。一週間だけ、ここの仕切り頼めない?アタシ、ちょっと甲子園行ってくるわ」
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

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