第25話 1月4日。共助、公助。

文字数 1,251文字

4日の夕方、僕の両親が再び車でやってきてくれた。
母は晩御飯や明日の朝食のおかず。
父はドラッグストアなどで入手できた、水や日持ちしそうな食料を沢山持ってきてくれた。
僕がまた珠洲に行くときに持っていけるよう父に頼んだのだ。
両親は急激に元気になってきた春香の様子を見て嬉しそうだ。

一息ついて大人たちだけでテーブルに座り、お茶を飲んでいる。
「お父さん、色々食料ありがとう。それにしてもいっぱい集まったね」
物資は玄関横に山積みになっている。
「お母さんが近所の人に話したらみんな自分の家の非常用のストックを持ってきてくれたり、お店を回って買ってきてくれたんだ」
「みんな何かしたくてたまらないのに、実際に何もすることができなかったので逆に喜んでくれる人もいたわ」
「そうなんだ。ありがたいね」
被災地に行ける手段が限定されている今、ここ金沢で一般の人たちにできることはあまりない。
皆さんの善意がありがたかった。

「ところで実家は被害はなかったの?」
今まで僕たちの被害が多すぎて、両親に僕の住んでいた家の状況は聞けずにいた。

「元旦は揺れて、食器棚から色々落ちて、私のお気に入りの急須が割れちゃった。家の被害はそれぐらいだったけど、地震で家を出た時にお向かいのブロック塀が倒れてきて危機一髪だったわ」
思わず珠洲の三月家で見た、大きなブロック塀が地面ごと揺れる光景を思い出した。
「それから家の近くのバス通りの道路が陥没しちゃって、地震後から水の出が悪くなったと思ったら2日から水がでなくなったの」
「えっそうだったの!?」
「道路の陥没も断水も2日の午前中で復旧したけどね。最初復旧の見込みもわからなかったので公園に給水車きて水を貰ってきた」
「そうだったのか。うちの方も大変だったんだね」
「半日だけどね。それにしても水が使えないと不便ね。」
「そう。水が使えないと一気に生活レベルが保てなくなるのは珠洲で実感しました」
「ここに来るときに金沢の水道局の前を通ったけど、大勢の県外の水道局の車で溢れてたぞ。バスに乗り換えて奥能登に向かうみたいだった」
「それはありがたい。」
「うちの近くの自衛隊も、昼夜問わずひっきりなしにヘリが飛び立ち能登に往復しているし、自衛隊からは県外のいろんな自衛隊の車両が連なって能登に向かっていたわ」
「僕らも能登からの帰りに、多くの県外の自衛隊車両や警察や救急の車両とすれ違った。」
「県外の皆さんの車にすれ違うたびに『能登をよろしくお願いします』って頭を下げちゃう。ありがたくて涙がでるね」
母やハンカチで目頭を抑えた。

本当に全国からの支援がありがたかった。
日本の総力を上げて支援をしてくれている。
陸路が寸断され、被災地に行くことがままならない。
海路も海が隆起してしまい港の利用もままならないと報道されている。

ただもどかしさの中にもこうやって各家庭や民間、そして公共機関が能登を救おうと動いてくれている状況が、僕たちの心の希望の光となっている。
少しでも早く能登に多くの支援の輪が届くことを願わずにはいられなかった。
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