第27話 1月6日。珠洲へ、再び。

文字数 1,690文字

朝4時半、まだ暗い中、自宅からライトバンで珠洲に向けて出発した。
僕が運転し、助手席には清恵さん、後部座席にははるき君とともき君。
今回レイちゃんと春香、聡は留守番だ。

震災で寸断された「のと里山海道」は徳田大津インターチェンジまでしか行けないので、途中から七尾湾を望む国道249号線を通ることになる。
そこが大渋滞となるのはわかっている。

被災地に向かおうとする一般車両が大渋滞を引き起こしており、被災地の救援活動に支障が出ている状況だ。
緊急車両を優先させるため、明日7日の日曜日の朝8時から、一般車両はのと里山海道を通行止めになる。
今日6日が一般車両がのと里山海道経由で能登に迎えるラストチャンスだ。
僕たちも珠洲に自宅があり、緊急車両だとは思っているが、そこの線引は非常に難しい。

珠洲まで順調に行けば合計5時間と見積もって、移動計画を立案した。
自宅から徳田大津インターチェンジまで1時間。
国道249号線の大渋滞を抜けて穴水を通過するのに2時間。
そこから珠洲まで2時間。

通常なら珠洲まで2時間ちょっとなので、2.5倍。
それでも3日の珠洲から金沢まで約13時間かかったことを考えれば、5時間で着ければ移動の負担は大きく減る。
今回のライトバンは保険の関係で、運転できるのは僕だけだ。
できるだけスムーズに珠洲までたどり着ける方法をみんなで考え、朝4時半の出発としたのだ。
6日の珠洲の日の出予測は7:06。
穴水辺りから道の状態が格段に悪くなりエリアを通る頃には、太陽が昇っている計算だ。

液状化した内灘町の道を抜け、のと里山海道に合流する。
ここら辺りの道はなんの被害もなく、順調に進む。
志雄パーキングで一旦トイレ休憩だ。
まだ自宅を出て1時間弱で普段ならトイレに行く必要はないが、震災後恐らく水洗トイレが普通に使えるのはここまでだ。

トイレ休憩中に、大きな地震があった。
今から向かう穴水で震度5強。
志雄パーキングもかなり揺れた。
この後大きな余震がないことを祈るばかりだ。

みんなトイレを済ませ、車を進めるとすぐに渋滞にぶつかった。
のと里山海道の徳田大津インターチェンジの前で、滋賀県警の人たちが車を停めて、1台1台運転手対して話しかけていた。

しばらく待った後、僕の順番が回ってきた。
「どちらに行かれますか?行く理由はなんですか?」
「珠洲に行きます。実家に家族と支援物資を届けに行きます」
ここで断られたらどうしよう、と思い緊張する。
僕より若い警察官は車内の三月家のみんなや支援物資を見回した。
「そうですか。この先道が悪いので、気をつけて」
「ありがとうございます」

運転席側の窓をしめて車を進めた。
焦ったが珠洲に向かって車を進めることが継続できてよかった。
徳田大津インターチェンジを降りて、山道に入る。
ここまでで予定より30分オーバの6時になっていた。
暗い山道は霧が出ていて見通しが悪く、慎重に走った。

山道を抜け七尾湾に差し掛かると、国道249号線は予想通りの大渋滞となっていた。
ただ時折少しづつは進んでいる。
3日金沢に向かうために通った際は、反対車線はほぼ進んでいなかった状況と比較すると、今の時間なら速めに渋滞を抜けられるかもしれない。

途中3日にトイレをお借りしたお家の近くで、少しだけ車を止めた。
紙袋にお礼の手紙とコンビニおにぎり、非常食、お水などを詰めて、はるき君に玄関先に置いて着て貰う。
本当は在ってお礼を言うべきだが、刻一刻、時間とともに渋滞は酷くなっていく。
昨日のうちに清恵さんに用意してもらった手紙で感謝の意を伝えた。

国道249号線の大渋滞は2時間半で抜けられた。
薄曇りだが日の出も終わり十分明るくなっていた。
家を出てから4時間。
予定より1時間オーバーしているが、そこそこ順調だ。
穴水を過ぎると道は悪いが渋滞もそこまで酷くはない。
道は至るところで鉄板などで仮復旧している。
自衛隊や地元の建設業の方の尽力のおかげだろう。
感謝しかない。

珠洲道路に合流し、山道を走ると、そこからは比較的スムーズに珠洲市に到着することができた。
予定より1時間オーバーの10時半頃、避難所の上戸小学校の校庭に車を停めた。
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