第31話 1月7日。今は来ないで。

文字数 1,798文字

日中は10度を超えた前日とは打って変わって、今日7日は最低気温0度、最高気温4度と冬の北陸らしい厳しい予報だ。
朝から雨やあられが時折降り始めている。
特に日が暮れてからは最大20センチの積雪が予報されている。
比較的珠洲は金沢に比べても海に囲まれているせいか、雪が少ない年が多いのだが、こんなときに限って今年は金沢よりも積雪が多い。
去年2023年12月22日頃、60センチ近くの積雪があり珠洲の一部が陸の孤島と化した。

震災後は雪が積もると、損傷した道路の状況がわからなくなり、車を走らせるのが怖い。
本当は今日からお義父さん、お義母さん、隆太さんは三月家に戻り、損傷が大きい母屋ではなく新しい道路側の部屋で暮らす予定だったが、とりあえず雪が収まるまでと延期することになった。

日中は家族総出で三月家の片付け。
お義父さんと隆太さんは、家の接続部分に隙間が空いた箇所を板やブルーシートで補強している。
僕を含めた残りの家族は家の中の後片付け。
停電し、暖房がない家の中では防寒具を来たまま作業する。
電気を使わない旧式のストーブはすべて避難所に持っていってフル稼働中だ。
履く息が白い。
隙間は家の中からもブルーシートで塞いだので、家の中に雨や風が入ることはほとんど無くなった。
雪が本格的に降る直前にこれ以上家が痛むのは、何とか回避できたと思う。
みんなで作業したお陰で、ようやくこの家で暮らせる目処がたった。

「本当に、所長さんが集めてくれたブルーシートのおかげやわ。助かったわ」
隆太さんが僕の肩を叩いた。
「所長も、ブルーシートを提供してくれた業者さんも喜ぶと思います。
みんな能登のために何かしたいと言ってくれてました」
「ありがたや」
お義母さんも感謝の言葉を述べた。

「これで大きな余震さえなければ何とかなるわな」
お義父さんもホッとしているようだった。
自分が子供の頃から生まれ育った家が壊れたことに、一番心痛めているのはお義父さんや隆太さんなのだろう。
電気もなく水も出ないが、寒ささえ凌げれば何とかこの家で暮らせそうだ。

やはりプライバシーがほとんどない避難所で生活するのはストレスが貯まる。
余震が幾分収まった今、住み慣れた自宅に戻れる人たちは次々と自宅に帰っている。

ただ多くの人達は自宅が全壊、もしくは半壊で家に戻れない。
地域全域で断水、停電が続いている。
避難所は若い人たちが段々減ってきて、元気に動けるメンバーが減少し続けている。
そうなると残った人たちの負担がますます増えることになり悪循環だ。

そう考えると避難所も離れづらい。
今の状況を鑑みると僕やはるき君、ともき君など若くて動ける人材は残った方がいいのでは。
そんな想いを隆太さんに話してみる。
「お前らは金沢で仕事をして、しっかり稼いでくれ。
金沢が元気でないと、能登はいつまで経っても復興できん」
と隆太さんは言った。

震災前の金沢の街は、コロナ禍も終わり休日は勿論、平日も多くの観光客で溢れかえっていた。
金沢駅の飲食店は多くの行列が続き、地元の人が入れないほどだ。
1月1日の震災後は「石川県に来ないででください」という石川県知事の発信もあって、観光客の姿は全く居なくなった。
金沢駅前もぽつりぽつりと能登の復興に向かう方たちの姿が、時折見える程度となった。

実際には金沢をはじめ、金沢以南の加賀温泉や粟津温泉などの観光地は震災の被害はほどんどなく、観光客の方々も受け入れには何ら問題のない状況だ。
ただ連日報じられる能登半島地震の甚大な被害現場の報道を見て、石川県全体で宿泊のキャンセルが行われている。

本来は「今は『能登』にこないで」が正しいと発信だった思う。
石川県は縦に長い。
車で金沢市から今回被害が大きな七尾市まで車で1時間強。
渋滞のない道での1時間強だ。
かなりの距離が離れている。

土地勘のない県外の方たちにとっては「石川県」という括りで考えてしまうのは当然のことだろう。
だが現実的には、金沢以南はほぼ日常生活を送れる状況であることを、もっと的確に報道される必要があると感じている。
加賀の温泉街を始め、金沢や加賀が寂れてしまうと、能登の復興に力を貸せなくなってしまう。

そんなことを思いながら、終日三月家の片付けに没頭した。
夕方にかけて雪は段々本格的に積もりそうな気配となってきたため、みんなでライトバンに乗り避難所の小学校に戻った。
これ以上雪が積もることのないよう祈りつつ。
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