第42話 1月19日。継続。

文字数 1,619文字

19日の金曜日は有休を取って、ライトバンで珠洲に向かった。
21日の日曜日ははるき君、ともき君が医王山スポーツセンターに引っ越しする。
僕の家で細やかながら送別会をすることになったので、一日前もって休暇を取得した。

今回のメンバーは、前回に引き続きマッサージの柳さんと、料理人の福森さん。
新しいメンバーとして金沢で美容室を営む大花君と、瓦職人だった経歴を持つ異色のサラリーマンの森野さん。
今回清恵さんは、はるき君ともき君の引っ越し準備で金沢に残った。

のと里山海道で18日から部分開通した徳田大津IC~横田ICの区間に差し掛かった。
「うわぁ」
思わずみんなから声が出る。
多くの人の努力のお陰で能登に向かう片側車線だけ部分開通したが、反対車線では多くの箇所で道路が崩落している。
場所に寄っては反対車線側の道を強引に利用している箇所もあった。
40キロ制限となっているのは、地面の凹凸が激しい箇所があり、スピードは出せない。

「よく、片道だけでも通れるようになったな」
森野さんが呟いた。
「本当ですね。まだ通行止めが続いている横田ICより先はどうなってか想像もつきません」
「確かに、あそこからは完全に山道やしな。別所岳や越の原の辺りは大変なことになっとるやろ」

いつも走っていた、震災前の「のと里山海道」の道路の風景を思い出す。
のと里山海道でも七尾以北は、ほとんどの区間が片側一車線の道だ。
多くが山道でカーブも多い道となっている。

報道の写真では震災直後、奇跡的なバランスで道路の崩壊から逃れた車が何台も見受けられた。
部分開通されたと言っても、まだまだ応急処置で道半ばだ。
この光景を見ると、のと里山海道の全線復旧には数年かかってもおかしくない気もするが、国の支援もあり、春には片道だけでも復旧させる目標で進めているようだ。
電車もない奥能登の復旧には、何を置いても「のと里山海道」の全線復旧が最優先だ。
一日も早い復旧を願いつつ、部分開通したのと里山海道を車を走らせた。

***
のと里山海道の部分復旧のお陰で、金沢から珠洲の三月家までの時間は1時間あまり短縮されて5時間で到着した。
震災前は2時間半弱だったので、まだ約2倍の時間はかかるが、少しでも珠洲での活動時間が増える点はありがたい。

上戸小学校の避難所に入ると、花のいい香りが漂ってきた。
「あれ?増えてる」
柳さんが声を上げた。
避難所の入口に先週美久ちゃんが生けていたお花の横に、もう一つ花瓶が置かれていていて、珠洲の花である藪椿(ヤブツバキ)の紅色の花が生けられていた。

町会長さんに聞くと美久ちゃんが花を生けてから、避難された方が自宅から花瓶やお花を持ってきて生け始めたという。
避難所がカラフルになり、みんなの気持ちも少し明るくなったぞ、と町会長さんが教えてくれた。
よく見ると体育館の中に幾つか綺麗な花が飾られていた。

それらの花の写真をスマホで撮って、美久ちゃんに送った。
速攻で美久ちゃんから「キレイ。うれしー!!」と返信が届いた。
僕たちが前回蒔いた種が、花開いたようで僕も嬉しかった。

前回同様、柳さんはマッサージ。
福森さんは給食室で料理を作り始める。
美容師の大花君は理科室を使わせて貰って、簡易美容室を開店。
水が使えないので、ウェットティッシュなどを用いて住民の皆さんの髪を切り始めた。

僕と元瓦職人の森野さんは、隆太さんと合流した。
あらかじめ隆太さんに確認してもらっていた、倒壊を免れたお宅の修繕を行う。
設計事務所の所長や取引業者の方にお願いして、何とかかき集めたブルーシートを持ってお宅に向かう。
森野さんが軽快に屋根に登って瓦を直し、雨漏りがないよう隆太さんと一緒にブルーシートで破損箇所を覆った。
相変わらず高所恐怖症の僕は、家の中に出来た隙間を木材やブルーシートで塞いだ。

幸い6度近くとそこまでは寒くなく、雨も降っていない。
今日だけで3件のお宅の修繕を予定していた。

みんなフル稼働で被災者の支援を終日行った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み