第32話 1月8日。倍返し。

文字数 1,826文字

「じゃ元気でな」
「しっかり勉強しろよ」
「おじいちゃん達も気をつけて」
1月8日。積雪もあり予定より少し遅めの朝6時。
小学校の校庭に停めたライトバンで、お義父さん、お義母さん、隆太さんに別れを告げた。

昨晩からの新雪がうっすらと残るグラウンド。
車をゆっくり進める。
はるき君たちは3日の朝とは違って泣きはしていなかったが、やはり随分寂しそうだ。
お義父さんたちの姿が見えなくなるまでずっと振り返っていて見ていた。

雪は15センチぐらい積もったが、道には轍が刻まれており、壊れた道路の段差や亀裂にタイヤを取られることはなさそうだ。
3日の朝と同じように珠洲道路の区間は比較的スムーズに通れる。
穴水を迂回する輪島の山道は心配だったが、思ったより積雪は深くなく、通行も結構あるので前の車の後ろをついて行って比較的穴水までスムーズに着いた。

3日の朝は、大勢の人達が一斉に珠洲や輪島や穴水から脱出したため、異常に道が混んでいたようだ。
勿論今も普段よりは時間は倍以上かかってはいるが、全く車が動かないような極端な渋滞ではなかった。
出発より3時間で穴水町を通過し、七尾市の入口にたどり着くことができた。
ここら辺りから、本格的な渋滞区間に差し掛かった。

「あの、、、ちょっとお腹の調子が悪くなってきたので、またトイレのおばあちゃんのところでトイレ借りてもよいですかね」
ともき君が遠慮がちにそういった。
「了解。また借りれないか聞いてみよう。僕もトイレ行きたくなってたんだ」
「なんかトイレに行けない、というプレッシャーだけで、トイレに行きたくなるよね」
はるき君の意見にみんな同意した。

普段は自由なタイミングでトイレに行ける生活をおくっているが、大渋滞、かつトイレに行けない状況下。
急にトイレが近くなる。
人間、精神的に弱い生き物なのかもしれない。

トイレのおばあちゃん、というのも失礼な呼び方だが、七尾湾沿いのお家の近くに車を停めた。
玄関でチャイムを鳴らすと、しばらくして如何にも人懐っこい、あのおばあちゃんが顔をだした。
「あんたらか、よーきたね。」
「すみません、またトイレ貸してもらってよいでしょうか」
「もちろんや。ただすまんがまた海で水を組んできてくれんか」
僕やはるき君が水を汲みに行き、ともき君がトイレを借りた。
みんなもトイレをお借りして、少しだけ玄関でおばあちゃんとお話をした。

「あんたらがこの前置いてってくれた、おにぎり美味しかったわ。久しぶりにパンやカップ麺以外のもの食べられてホッとしたわ」
「それはよかったです。」
「市の人が配ってくれるパンもありがたいけど、やっぱり毎日続くとあいそんないわ」

愛想もない、は石川県の方言で「もてなしがなくさみしい」「風情がない」といった意味だ。
毎日パンだと確かに飽きてくる。
しかし水も電気も使えない今、どうしても出来合いの食料しか口にするのが難しい。
珠洲など被害の甚大な奥能登だけではなく、道沿いで50キロ以上離れたここ七尾市も大変な状況だ。

「そういや、あの熱がでとった子、大丈夫やったがいね」
「はい。次の日には熱も下がって今は元気にしています」
「そりゃあよかった。お兄ちゃんも元気か」
「ええっ、元気ありあまってます」
「そっかそっか。何よりや」
「ではそろそろ帰ります。今回もありがとうございました」
「そっか。また遠慮なく寄ってけ。ちょっと待ってな」
おばあちゃんは奥の部屋からまた色々入った紙袋を持ち出してきた。
「いえいえ、受け取れません」
「持ってけ持ってけ」
今度こそ絶対受け取らない気持ちで断ってみたが、最後はおばあちゃんに強引に押し付けられて、結局根負けして受け取ってしまった。
またお菓子がたっぷりはいっている。

「んじゃ、本当にまたいつでも寄りまっし」
「おばあちゃんも元気で」
最後に挨拶してトイレのおばあちゃん宅を後にした。

「本当に能登のお年寄りの『人を持て成そうとする気持ち』って凄いですね」
「まぁね。珠洲のお年寄りもあんな感じの人が多いわ。家に来てくれるお客をおもてなしするのが当たり前って感じで」
「せっかく一昨日お礼の品を持っていったのに、倍返しされてしまいました」
「まさに善意の倍返しね」
僕の好きな 池井戸潤さんの小説の中では、ドラマで有名な半沢直樹が「やられたら、倍返しだ!」という決めゼリフを悪役の上司に対して啖呵を切っているが、能登のお年寄りは優しさの倍返し。
渋滞の中でもほっこりとした気持ちで、金沢に向かってライトバンを進めた。
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