第24話 1月4日。おもてなし。

文字数 1,442文字

午後から僕は自分の部屋でパソコンを立ち上げた。
13時にはちょっと遅れてしまったが、ZOOMのミーティングのURLにアクセスした。
「おおっナオ、大変やったな。なんか手伝えることないか」
所長の顔が画面に移った。
他の同僚の顔も画面越しだが見えて、本当にホッとした。
「大丈夫です。ただ奥能登は本当に大変です」

なんだかんだ30分近くかけて、珠洲でのできごと、珠洲から金沢まで帰るまでの道のりをみんなに報告した。
今は金沢市在住者の者でも、親やその上の世代まで遡れば能登に住んでいたが方が非常に多い。
昔は能登も漁業や農業、林業などそれなりに栄えていて、珠洲まで電車が通っていた時代がある。
産業構造の変化とともに、どんどん能登が衰退し、少なからずの人が金沢や関西圏、首都圏に仕事を求め故郷を離れていった。

金沢から珠洲までは道路沿いで約140キロとかなり距離が離れているが、それでも多くの人が我がこととして奥能登を心配しているのはそんな経緯がある。

「そっか、我が設計事務所としても奥能登を支援していこうと思うので、何ができるか考えてみるわ」
「僕も考えてみます」
行動力のある所長なので、色々これから動いていくことになるだろう。

「実はな俺も元旦は和倉温泉におったんや」
「えっそうだったんですか」
所長には珠洲から何度か無事であることは報告していたが、所長家族のことの連絡はなかったのでてっきり所長は金沢の自宅の町家で過ごしていると思っていた。

「普段そんなリッチな温泉なんか行かんのやが、うちの親父の80歳の傘寿の祝いで子供家族が集まって和倉温泉に行っとんたんや」
中能登の中核都市の七尾市。
僕らも珠洲からの帰りに通った七尾湾沿いに、和倉温泉がある。
「おもてなし日本一」の加賀屋を始め、沢山の温泉宿がある温泉街だ。

「3時頃宿について、俺は子どもと大浴場に入っているときに最初の地震がきてな。温泉の水が津波のように揺れて怖かった。館内放送の指示で急いで風呂から上がって浴衣を着ているときに本震や。生きた心地はせんかったわ」
「確か七尾市も震度は6強でしたね」
「ああっ俺も初めて体験した大きな地震やった。他の家族のみんなは8階の部屋で寛いでいた時やったし、もっと大きく揺れを感じてな。避難所であったとき恐怖で震えておったわ。俺は浴衣一丁の寒さでも震えたわ」
画面越しの所長は身振りも踏まえ自分の体を抱えた。
「ホテルのダメージも大きく大変な状況やったけど、それにしても従業員の対応は流石やったわ。自分達も怖いだろうに常にお客最優先やった。避難所でもフォローしてる従業員の人もおったし。一晩避難所で過ごして、金沢に帰ってこれたわ。
従業員の人はもうDNAレベルでお客優先が染み付いているやろうね。流石お持てなし日本一。
まぁ加賀屋は値段が高くて泊まれんかったけど」
所長は最後はおどけて言うと、画面の中で笑いが起きた。

「所長のご家族も大変だったですね」
「まぁナオの10分の1ぐらいやろう」
当たり前だが発災時は県内至るところでそういった状況に陥っていたのだろう。
それからしばらくは実際の現場の話は後回しにして、みんなで復興で僕たち設計事務所が手伝えることを話し合った。

先ずはブルーシートを、取引のある施工事業者に電話してかき集めることにした。
既に業務用のブルーシートは入手しづらくなっているという。
三月家にも必要だし、珠洲の周りの住宅にも間違いなく大量のブルーシートが必要になるだろう。
みんなで手分けしてブルーシートの入手を進めた。
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