第75話 再会 食パン少女のパン食い協奏曲

文字数 6,271文字

 レートの店『千代子とレート』を、ありす一行は再び訪ねた。今度はあまり客がいなかった。
 戦争の大混乱と大騒ぎで、住人達は買い物どころではなくなったのだ。レートによると住人たちは、保存の利く乾パンの類を大量に買っていったらしい。ドイツのハード系パンがまたここで役に立った。
「レートさんのご先祖、テンプル騎士団だったんだって」
 やっぱり彼は心強い味方だ、とありすは確信していた。
「天ぷら串団子? 何それうまそう……」
 ウー……。
「ドイツ騎士団デス」
「ドイツのきし麺?」
「言ってないですしお寿司」
 ありすの相談を受けたレートに代わって、ヒントをくれたのは、意外なことに店の奥から出てきた千代子夫人の方だった。
「あのですネ、アニメなんかでよく早朝に女の子が、『遅刻遅刻ぅ~!』とか言ってパンを食べながら走ってると、街角で幼馴染とぶつかって再会するっていうのがありますよね」
 年齢の割におきゃんなしゃべり方だ。
「う~ん。あるある!」
 ウーが乗ってきた。これは、久々にオーソドックスな意味論の科術になりそーな予感がする。
「そういうのは役に立たないでしょうか?」
 どうも、千代子夫人は深夜の良質なクソアニメを観るのが趣味らしい。
 パン屋の朝は早い。だが夫人は、ハードディスクにこれでもかこれでもかというくらい深夜アニメを録画し、暇さえあれば片っ端から視聴しているという。それも仕事中に厨房で……。
「それとですね、これは直接関係ないんですけど、私あんまりアニメって本職の声優じゃない人が演(や)るの好きじゃないんですよ。大人の事情というか、大人の事情というか、大人の事情というか? ○ブリとか、ジ○リとか、ジブ○とか? ……俳優さん? 女優さんでもいますけど話題性で声当てるのって、私好きじゃないんですよね。顔が浮かんできちゃうっていうか、合ってないっていうか、黙れ小僧!!」
(この人はイキナリ何言ってるの?)
 三人はひそひそ話。何も言ってないのに怒鳴ったぞ?
 アニメについて小柄な夫人がまくし立てている最中、その横でレート氏はモアイ像と化している。夫婦間の溝。彼は着いていけてない。
「つまりパンを銜えて路地を走れば、運命の人と再会できるカモ、ってこと?」
 時夫が無理やり話を元に戻した。
「はい、そうです!」
 そう。佐藤マズルとウーが再会する可能性があるのだ。
「なるほど、食パン少女の科術か! これはいけるかも」
 古城ありすも得心した。
「トーストなら西部にいくらでも浮かんでるぞ。無料で」
 時夫はひらめいた。
「話をまぜっかえすな」
「それで、うちで焼いてる食パンを使えばいい、ということですね。話が見えてきました」
 石化していたレート氏がそこで始めて口を開いた。彼もなかなか大変そうだ。
「それとマンガの実写化についてなんですが、あれも私は……」
「あ、その話はまた今度」
 さっそくレートと千代子夫人は、「食パン少女」科術用の食パンを焼き始めた。
 普通の食パンに加え、ドイツの茶色のロッゲン・ブロートというライ麦パンも用意した。それらを目の前にすると、何となくうまく行きそうな気がする。ともあれ、外でカシラが暴れている。時間はない。

「いいわね、ウー」
 ありす達は、戦場となっている寺フォーマーズ近くの十字路に陣取って、十メートル向こうから、ウーが食パンを銜えたカッコウでスタンバった。
「ぶつかるとき、怪我しないように気をつけなよ」
「あたしの身体は衝突安全ボディだから大丈夫!」
「そんじゃ、レッツゴー!」
「やだもうこんな時間じゃーん、遅刻遅刻~!!」
 ウーが時計を見て叫びながら、ローラースケートで滑走する。
 突如角から、ジャーンというシンバルの音がしたかと思うと、オリンピックおじさんのようにデーハーな姿の科術師が歩いてきた。
 ウーはぶつかることもなく、角の手前でズコーッとこける。それはありすが、師匠との通信を頼んだはずの科術師だった。
「おじさん、まだやってたんだ。間近で見ると完全に目がイッてる……」
 まじまじと見るありす達に気づくこともなく、彼は空を見上げたまま通り過ぎていった。それを後ろから、オッサン犬がウハハハハと笑いながら追いかけていく。
「完全に目標を見失ってるな」
 時夫も声をかける気力をなくす。いくら科術師とはいえ、戦力として頼めそうにない。
「気を取り直して、もう一回行くわよ」
 ありすの掛け声で、ウーは再び十メートル後方へとスタンバった。
「やだモウ遅刻遅刻~~!!」
 ドシンドシン。今度は明らかに重量感のある物体が角から走ってくる。すわカシラか? いいや、あの白彩製ティラノザウルスだ。
「まーだ走ってやがったのか!」
 そのTレックスはこっちには目もくれず、ありすが前に放った蝶を追いかけていった。コイツもまた、完全に目標を見失っている。
「モー、何なのよもう!」
 ウーが咥えた食パンをモグモグしながら苛立っている。
「もう一回!」
 ありすはウーを下がらせた。ここで諦めてはならない。
「そ、そうね。よーし、今度はジャムをつけてみよう」
 ウーはサッと、キャラメル風味のアップルジャムをひと塗りすると、口に銜えた。うーむ。奥深い味わい。ドイツ人は大人でも男性でも甘いパンを食べたがる。
「遅刻遅刻~~!」
 ドシャン。今度は誰かとぶつかった。長髪を振り乱した女だ。
「シートベルトA子!」
「ウンベルトですけど何かッ?」
 ウンベルトA子の格好は、図書館に行ったときと全く同じ、ジョギングスタイルだ。
「まぎらわしいな。こんなところでジョギングしないでよ!」
「アラ横暴ね! 何の権限があってあんたそんなこと言うの? 公道でジョギングしようが、あたしの勝手でしょ! カラスが鳴くのはカラスの勝手でしょ!」
「こっちは町を救うか救わないかの瀬戸際なんだから!」
 そういうとウンベルトA子は、
「ハイハイスイマセンでした、M.C.ハマー、通りま~~~~す」
 などと叫び、横走りで去っていった。どいつもこいつも、この有事に一体何やってんだ?
「あーイテテ……!」
 ウーはすっ転んだままだ。
「大丈夫?」
 ありすが助け起こす。
「うん」
「怪我しなかった?」
「ケツが二つに割れたとか? アッハハハハハ……」
「笑ってる場合か。シリアスな状況だぞ」
「尻だけに?」
 ウーはそれでもめげずに立ち上がって、十メートル後方へ下がった。
 今度はライ麦パンのトーストに、ドイツのベーコン・ペーストをべったりと塗って口に銜える。
「よーい、ドン! 遅刻遅刻~」
 ドカッ。次にウーがぶつかった相手は男だ。
 タンブルウィードを追っかける格好で、カウボーイハットが転がっている。よく見れば口に薔薇を銜えたシャッター・ガイ? タンブルウィードでなく、A子を追うようにして後方を走っていたようだった。
「フザ……」
 ウーはすかさず上体を起こして叫んだ。
「フザケンじゃねーヨ! ドイツもこいつも。こんなんじゃ一向に会えないじゃないのよ」
「おぉっと……すまない君たちか! そんでヨ、ビューティーハニーA子はどこ行ったかしらないか? ずっと先に行っちまったか。よ~し、逃がさないぞ~~。じゃ急いでるんで、バッハハ~イ」
(急いでるくせに、壁パントマイムしながら去るんじゃねェ。壁に埋め込むぞ!)
「時夫、顔怖っ」
 ウーが時夫を見ていったので、時夫は初めて自分がすごい形相になってることに気づいた。
 ガイ……あんな軽いヤツになってしまったとは、見損なったぜ。
「くっそ、マズル! 早くキスさせろよぉ!! そうすればあたしには絶大な注注力が!」
「-----ちゅうちゅうりょく?」
「集中力ね。発情期乙」
 ありすはウーを観察した。
「ウー。ひとまずランニング・フォームを見直しましょ」
 ありすが指摘すると、時夫も意見を言った。
「まず、ローラースケートを脱がないとダメなんじゃない。スピードが速すぎる」
「いや、マズルがそもそも超高速で速いんだから、これでちょうどいいの」
 どこから来るんだよその根拠。いや、意味論の根拠なんて、これまでのことを考えるとそれほど重要ではないのかもしれない。
 さて、食パン少女の科術で、今までいろんな奴に会ってきた訳だが……、肝心のウサメンは?
「スピードだわ。マズルは速すぎるの。それに勝つには、え~と。もうこうなったら持ってきたディップをガッンガッン盛ろう!」
 ウーは片っ端からトーストに、ペーストを塗っていく。
 アボカドのディップ、チーズのディップ、そして茸ペースト。茸。ン? 茸……?
「スッゴ~イ、メガトンメガト~ン♪」
「それだけじゃ捻りが足りないわ」
「捻りって言われても」
 ウーは腰をくねらせる。
「じゃうさぎ跳びでもやれば?」
「なるほど!って何それ?」
 時夫が訊いた。
「じゃ、じゃないわ! うさぎ跳びは身体に悪いことが科学的に証明されてるんだよ! 時夫にウソ教えないで。うさぎでもやらんわ」
「やらないの? ……チ!」
 ありすも性悪だ。
「あそうだ! マズルといえばフィギュアスケーター。あんた、グルグル・バットやってから走ったらどう?」
「なんだそれ……」
 さすがに時夫は突っ込まざるを得ない。
「運動会の競技でよくある奴じゃん、知ってるでしょ」
 そういってありすはバットを取り出した。今、どっから出したんだ。
 ウーがスケート靴を履いたまま、グルグル・バットをやると高速回転した。そうして壁に激突しながら走り出す。
「遅刻遅刻ぅー!!」
 角から、かすかに兎頭の残像が見えた。

 バキッドズガーン!

 とてつもない衝撃音を響かせて、石川ウーは「何か」とぶつかった。
 ウーとぶつかって路上に倒れているのは、兎の面をかぶったタキシードの男。
「ウサメンだッ!」
 ありすが目ざとく近寄った。
「あいててて。ワッ、こんな時間! 忙しい忙しい」
 その兎頭の変なヤツは、倒れたと思ったらまた立ち上がり、走り出そうとした。それを古城ありすが呼び止めた。
「ヘイミスター! チョイ待ちなって。ウーをぶっ飛ばしてそのまま行く気?」
「そうだ、狭いニッポン、そんなに急いでどこへ行く!?」
「金時君、言ってやれ!」
「……え?」
 ウーは……伸びている。だからローラースケートは危ないよって言ったのに。どこが衝突安全ボディだ。
「ウーが、これほどあんたに逢いたがってんのにサ」
 ありすはマズルに訊いた。
「すまなかった! おそらくすれ違っていただけなんだ」
 マズルはウーを抱き起こすも、ウーは揺さぶっても起きない。
「あーあ……」
 ありすの声には、少なからず非難の色が着いている。
「おいチャラ男! 人と話す時はまず面くらい取ったらどうなんだ?」
 急に四十五歳くらいの顔になった時夫が詰め寄った。
 こいつ、重度のヌイグルマーか?
 果たして兎の頭をカッコ良く取ると、中身はサラサラヘアの色白の美青年だ。年齢はハタチくらい。
 男にしては青髭が全く無く、つるつるの美肌に切れ長の眼が涼しい。氷上の貴公子といってもよい。同時にタキシードも片手でマントのように脱ぎ去る。するとなぜか、中身はフィギュアスケーターの衣装だった。
「キスでもして起こしてあげたら?」
 ありすが腕を組んで提案する。
「キースッ、キースッ!」
 ありすと時夫が、死んだ目で手拍子する。マズルは二人の視線に躊躇しながらも、古典的目覚めのキスの意味論を実行をしようとすると、ウーが
「ウ~ン、もう食えない~……」
 と、後世まで語り草になりそうなほどベタな寝言を言った後、パチッと目を覚ました。
「なんであたしに気づかないのよモウ!」
 起きざまにウーは怒り、右ストレートパンチが飛んだが、マズルは高速で避けた。
「何で交わすの!」
「悪かった。僕のうさぎ」
「あ、いや……あの……ご、ごめん。あたしこそ、取り乱して」
「謝るよ」
 マズルの汗がキラキラと輝いている。
「そ、そんな……全然-------、全然、全然大丈夫。パンチ当らなかった?」
 ウーは全身の骨が抜けたようにテレテレし出した。
「急にカレシの前でかわい子ぶってる」
「こんなに女の子っぽかったっけ?」
「女ですけど?」
 これが盛りのついたうさぎの生態というヤツだ。
「そんで、これまで一体何をしてたの?」
 ありすがウーに代わって尋ねた。
「お話します……」
 うさ男・佐藤マズル。マズルは地下のレジスタンスのリーダーをし、とある方法で電柱を脱出したのだという。マズルは、女王の手下たちをケチらしていった。
「皆さんが東京への脱出を図ったとき、『ダークネス・ウィンドウズ10』がアップグレードする真っ最中でした。この町を救う天使軍団が、この領域に入ってこれるようにしようとしたのです。ところがその時、アップグレードの影響で一瞬暗くなったので、皆さんは地下の仕業かと思って、東京への脱出を断念した訳です。そこで天使軍団が降りてくれば、問題解決だったんですが------。でも、あの時は地下の黒水晶のシステム反撃で、アップグレードに失敗しました。その後もアップグレードをしようと僕は東奔西走し、この町のシステムをいじっていた、という訳です」
 マズルはマシンガントークで言い訳した。
 忙しい忙しいと、『不思議の国のアリス』でも、兎は走るものだが。しかし、うさぎの後を追いかけていけとはいうものの、そのウサメンはあまりに速すぎるではないか!
「というかお前、俺の……部屋に居たんだよな?」
「ええ。一時お借りしました。皆さんがドアを開けたとき、出て行きましたけど」
「えっ。じゃ会ってたの?」
「はい。急いでいたので、すぐ入って、すぐ出ました」
 速すぎて見えなかった!? つむじ風だと思った? -----ってオイ!
「……お前、これまで何度も俺達とすれ違ってたよな。道で凄いスピードの杖の老人に出会ったぞ。お前なんだろ」
「ええ。よくぞ分かりましたね」
「分かるワ! あんなハイスピードで杖を着く老人がいるかぃ!」
 マズルは微笑みながら視線を逸らした。な、何かっこつけている。
「なぁ……一つ訊きたいんだが、……わき腹痛くならないの?」
「……」
「でもそのダークネス・ウィンドウズ? って、何」
 当代随一の科術師のありすすら聞いたことがないらしい。
「この世界をあらしめているシステムのことです。現在の恋文町のヴァージョンは、ダークネス・ウィンドウズ7です。それをアップグレードするのが、僕のマジカルイマジネーターのレジスタンスとしての活動内容です」
 佐藤マズルは、ダークネス・ウィンドウズ10アップグレードのシステム屋らしい。
 ちなみにウーが西部で拾ったビー玉は、ウサメンが落としていったものだという。
「ところであんたに訊きたいことがある。あの幻想寺の綺羅宮神太郎って一体何者なのさ?」
 ありすが核心を突く質問をした。マズルなら何か知っているはずだった。
「天使軍団の別名は、綺羅宮軍団です。このシステムを作ったグループです。リーダーは綺羅宮神太郎。あの幻想寺は、僕らが恋文町へ降りてくるための拠点、基地なんですよ」
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